神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

息栖神社(常陸国式外社・その3の1)

2017-12-02 23:34:06 | 神社
息栖神社(いきすじんじゃ)。
場所:茨城県神栖市息栖2882。千葉県道・茨城県道44号線(成田小見川鹿島港線)と同260号線(谷原息栖東庄線)の交差点から、県道44号線の旧道に進んで(北西へ)約1kmで参道入り口。右折(東へ)して直ぐ。駐車場有り。
社伝によれば、応神天皇の時代に現・神栖市日川の地(現在地の東南、約8km)に鎮座し、大同2年(807年)に現在地に遷座したという。「延喜式神名帳」に記載がないが、「日本三代実録」の仁和元年(885年)の記事にある「於岐都説神」が当神社のことであるとするのが通説で、所謂「国史見在社」とされる。現在の社号では「いきす」と読むが、「於岐都説」は「おきつせ」で、沖洲(おきす)の意味だろうとされていることによる。現在、久那戸神 (岐神)(クナド)を主祭神とし、相殿に天鳥船命(アメノトリフネ)と住吉三神(上筒男神、中筒男神、底筒男神)を祀っており、近世までは「息栖五所明神」とも呼ばれたという。久那戸神は道祖神の原型の1つとされ、当社の社伝によれば、鹿島神(武甕槌命)と香取神(経津主命)の東国平定の先導をした神とされる。また、天鳥船命は「古事記」で建御雷神(=鹿島神)の副神として葦原中国平定に赴いたとされている。住吉三神も海上交通の神であることから、古くから道路・交通、特に航海の安全の神として祀られたものと思われる。加えて、「鹿島神宮」と「香取神宮」との関係が深く、当神社を合わせて「東国三社」と称された。地理的な関係もあって「鹿島神宮」との結びつきが強く、当神社は「鹿島神宮」の境外摂社とされている(現在、宗教法人としては独立)。なお、当神社は常陸利根川に面した場所に鎮座しているが、「鹿島神宮」と「香取神宮」とともに、古代にはいずれも「香取海」という内海に面しており、中でも当神社は海上の島のような場所にあり、互いに海上交通で行き来していたのだろう。更に、それぞれを線で結んで「東国三社トライアングル」(ほぼ直角三角形になる。)と呼んだり、太陽の方向やら富士山の方向やら、その鎮座地の必然性を論じる説も多いのだが、ここでは立ち入れない。
ところで、当神社の一の鳥居の下に日本三霊泉の1つとされる「忍潮井(おしおい)」という泉がある(他の2つは「伊勢の明星井」・「伏見の直井」)。海辺に面した場所ながら真水(淡水)が出る井戸として、塩水を押しのけて出る井戸の意味でその名がついたという。井戸は2つあり、大きい方の鳥居の下を「男瓶」、小さい方の鳥居の下を「女瓶」といって、それぞれ瓶(甕)が埋め込まれている。伝説によれば、当神社が日川の地から現在地に遷座する際、「忍潮井」は取り残されてしまった。2つの瓶は三日三晩泣き続け、その後自力で移動し、一の鳥居の下に取り付いたという。


神栖市観光協会のHPから(息栖神社)


写真1:常陸利根川に面した「息栖神社」一の鳥居


写真2:同上。一の鳥居の下に「忍潮井」の泉がある。


写真3:「忍潮井」(女瓶)


写真4:「忍潮井」(男瓶)


写真5:境内入口の鳥居と社号標(「東國三社息栖神社」)


写真6:社殿


写真7:境内の松尾芭蕉の句碑。江戸時代には、当神社の祭神を気吹戸主神(イブキドヌシ)とする説が広く流布していたらしく、句碑にも「この里は 気吹戸主の 風寒し」と刻されているとのこと。

コメント (3)
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