神が宿るところ

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舟塚山古墳

2018-02-10 23:27:17 | 古墳
舟塚山古墳(ふなつかやまこふん)。舟塚山古墳群16号墳。
場所:茨城県石岡市北根本597番地ほか。国道6号線と茨城県道118号線(石岡田伏土浦線)の「貝地」交差点から、県道を南下、約2.3km。県道沿いに「見学者用駐車場」がある。そこから、直ぐ手前(北西)のところに「史跡 舟塚山古墳」の石碑があり、そこから南西へ、約300m。なお、JR「高浜」駅からは徒歩約11分(約900m)。
「舟塚山古墳」は、恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ河口近くの台地上に築かれた前方後円墳で、墳丘長は約186m。これは、茨城県内で最大、関東地方でも「太田天神山古墳」(群馬県太田市、約210m)に次ぐ第2位の規模になる。墳丘は3段築造、前方部幅約100m、後円部径約90m、後円部高約11mで、盾形の周濠も巡らされていたとされ、これを含めた全長は約260mという大きな古墳である。後円部径に比べて前方部が長く、日本一の大きさで有名な「大仙陵古墳(仁徳天皇陵)」(大阪府堺市)に似た形であるという。墳丘の発掘調査は行われていないが、昭和47年の周濠確認発掘調査時に円筒埴輪が出土しているほか、付近の陪塚とみられる円墳からは木棺、短甲、直刀、楯などの副葬品が発見されており、築造時期は5世紀後半頃と推定されている。被葬者は明らかでないが、よほどの大豪族の首長であり、伝承では茨城国造の筑紫刀禰(天津彦根命の孫で、応神朝に茨城国造に任命されたとされる。)であるという。大正10年、国指定史跡に指定された。


石岡市のHPから(舟塚山古墳)


写真1:県道沿いに立つ「史蹟 舟塚山古墳」の石碑。古墳へは、この道を入る。


写真2:石碑のところから進むと、「舟塚山古墳」がこんな感じに見えてくる。墳丘は西向き。


写真3:後円部西側に「鹿島神社」があり、その部分が少し削られている。


写真4:「鹿島神社」鳥居


写真5:「鹿島神社」社殿


写真6:古墳上に上ると、北西方向に「筑波山」がきれいに見える。


写真7:後円部から前方部を見る。前方部南端が墓地になっている。


写真8:前方部から後円部を見る。なんだかゴルフ・コースみたい。


写真9:同上


写真10:古墳北側からみる。かつて墳丘全体が松林となっていたが、マツクイムシの被害で松の木がなくなったとのこと。
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