神が宿るところ

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雲井宮郷造神社(常陸国式外社・その4の1)

2018-08-18 23:27:45 | 神社
雲井宮郷造神社(くもいのみやくにのみやっこじんじゃ)。
場所:茨城県筑西市倉持928。茨城(・栃木)県道45号線(つくば真岡線)「明野中学校東」交差点から南西に約1.2km。途中、バイパスができており、道なりに進むと外れてしまうので、約750mのところで左折(南東へ)する。駐車場スペースあり。
社伝によれば、景行天皇41年(111年)、新治国造・比奈良珠命(ヒナラス)が武甕槌命・大国主命・事代主命の三神を祀ったのが創始で、後に子孫の車持命が家祖・比奈良珠命を合わせ祀った(鎮座地の「倉持」という地名は車持命に因むという。)。大同年間(806~810年)に藤原宗城が社殿を造営、中世以降は当地の領主に庇護され、江戸時代には真壁・筑波・新治の3郡、20ヵ村に及ぶ氏子がいたとされ、今も「新治国一之宮」を名乗る。なお、「雲井宮」という号は、藤原宗成が「伊予親王の変」(大同2年:807年)により常陸国に流刑になったとき、現・つくば市水守(「水守城(跡)」に接して「殿坪」という場所に「藤原宗成館」があったという。)におり、毎日当神社に詣でて恩赦を祈ったところ、赦されて都に帰る時に報恩の為に贈ったとされる。
「日本三代実録」仁和2年(886年)の記事に「常陸国正六位上の郷造神に從五位下を授ける。」というものがあり、これが当神社のこととする説があり、いわゆる「式外社」の論社となっている。「日本三代実録」には郡名の記載がなく、同時に神階授与された神社もないことから、決め手に欠け、現・行方市に「橘郷造神社」があって、こちらも有力。
因みに、当神社は「和名類聚抄」(平安時代中期編纂)に載る「真壁郡伊讃郷」内に鎮座している。古代「新治郡」は律令制以前の「新治国」を引き継いだものと思われるが、南部が7世紀後半に「白壁郡」として独立、8世紀末に「真壁郡」に改称されたという。当神社が「新治国一之宮」を称するのは、こうした事情(「新治国造」の祖による「真壁郡」独立前の創建)を踏まえたものと思われる。ただし、そうであれば、比奈良珠命の一族は出雲系とされているので、主祭神が武甕槌命というのはどうだろうか。


写真1:「雲井宮郷造神社」境内入口。看板に「新治国一之宮」とある。


写真2:鳥居と社号標。まっすぐな参道が約200m。


写真3:神門


写真4:拝殿。社殿は南西向き。


写真5:拝殿の扁額。「鹿嶋 蝦夷 雲井宮郷造神社」とある。主祭神が武甕槌命(常陸国一宮「鹿島神宮」と同じ)だから「鹿嶋」はわかるが、蝦夷は何だろう。「えびす」と読んで事代主命のことだろうか? また、「式外一宮郡中鎮守」とも記されている。


写真6:本殿。覆屋がある。
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