神が宿るところ

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佐波々地祇神社(常陸国式内社・その26の2)

2020-03-14 23:20:28 | 神社
佐波々地祇神社(さははちぎじんじゃ)。通称:佐波神社。
場所:茨城県北茨城市上小津田1233。茨城県道10号線(日立いわき線)沿い、「華川小学校」北側の五差路から約190mのところを右折(南東へ)、約270m進んだところを左に入る。駐車スペース有り。当神社は向かって左手にある鳥居の奥にある。
創祀年代は不明。社伝によれば、元は現社地の北西約4kmの澤山(佐波山)の南嶺、浄蓮寺渓谷の奥の「神楯」というところに祀られていた。日本武尊が東征の帰途に佐波神を拝して、佐波山の妖蛇を斬り、また塩原山の山上に鏡を納めたのを創祀とする。延暦20年(801年)、坂上田村麻呂が征奥の折、佐波山に兵を休めて戦勝を祈願した。永禄12年(1569年)に塩原山の山上に移り、後に塩原山中腹の現社地に遷座したという。北茨城市には「佐波波地祇神社」を名乗る神社が2社あり、当神社も「日本三代実録」貞観元年(859年)の「常陸国正六位上の石船神と佐波波神に従五位下の神階を授けた」という記事にいう「佐波波神」、また「延喜式神名帳」登載の多珂郡鎮座「佐波波地祇(神)社」に比定される論社となっている(北茨城市大津町鎮座の「佐波波地祇神社」につき前項記事)。なお、現在の祭神は天日方奇日方命(アメノヒガタクシヒガタ)。
大津町の「佐波波地祇神社」に比べて、現在の社勢の差は明らかであるが、式内社としては当神社の方を推す説が強いようである。因みに、元は社殿が南向きであったのを、昭和45年に本殿を移築して東向きにしたという。これについて、玄松子さんは、「「式内社調査報告」には、海(東方)に向かせるためとあるが、あるいは、佐波山を背にするためじゃないかとも思う。」と書いているが、これは流石に慧眼だと思う。


玄松子さんのHPから(佐波々地祇神社)


写真1:「佐波々地祇神社」境内入口の鳥居


写真2:本殿。鳥居を潜って石段を上ると本殿の横に出る。


写真3:拝殿。「佐波神社」という扁額が掛かっている。江戸時代には「佐波明神」と呼ばれていたようだ。


写真4:社殿の横(北側)に短い石段があり、その上に小祠がある。ここに旧本殿があったようだ。


写真5:社殿は東向きだが、そちらには細い山道しかない。山道側から社殿を見る。

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