神が宿るところ

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三鈷室の碑

2020-03-21 23:14:29 | 史跡・文化財
三鈷室の碑(さんこむろのひ)。
場所:茨城県常陸太田市里川町49-1。国道349号線から茨城県道22号線(北茨城大子線)に入り、約5.3km(「里川コミュニティセンター」の手前(西)、約350m)。県道沿いだが、少し高いところにあり、見落としやすい。駐車場なし(県道の路肩が少し広くなっている。)。
「三鈷室の碑」は、現・茨城県と福島県の県境にある「三鈷室山」の麓に建てられた石碑で、当地に出没した群狼を妙見菩薩の力によって調伏して平穏を得たということが刻されている。碑文によれば、宝亀7年(776年)、行基菩薩が当地に来て、狼の害を取り除くため、害が最も多い三峰のうちで先ず中峰を開いて観音を祀り、前峰に霊符を置いた。その後、後峰に上って法を修し、塚を築いて、そこに金紋のついた法器を埋めたことから、この三峰を三鈷室と称した。祭祀が行われている間はよかったが、祭祀が途絶えた天明年間(1781~1788年)には再び狼の害が多くなってきた。そこで、前峰に妙見菩薩を祀って調伏したところ、群狼は居なくなったという。調伏を行ったのは「鱗勝院」の前院主・隆豊と権大法印・祐観という2人の僧で、隆豊が碑文を書き、祐観が石碑を建てた、ということになっている。流石に行基が当地に来ることなどなかっただろうが、大袈裟に自分たちの法力をアピールしたのだろう。里川地区は、寛永4年(1627年)に蓮実掃部衛門という人物が開いた新田で、明治になるまで行政上は1つの村として認められなかったから、それ以前には集落は無かったとされる。ただし、現・高萩市には水戸藩の軍用馬を飼育する「大能牧場」があり、当地はその西端に当たるとのことで、放牧していた馬が狼の被害に遭ったということはあるらしい。なお、現在も「三鈷室山」(標高870m)があり、地形図にはないが、「妙見山」、「前室山」という峰があるとのこと。
因みに、妙見菩薩と狼の関係であるが、妙見菩薩は元々、中国の道教の影響により北極星または北斗七星を神格化したもので、妙見尊星王、北辰妙見菩薩などとも称する。「妙見」というのは、良く見える、ということで、善悪や真理を良く見通す者を意味するという(そのため、眼病治癒の御利益もある。)。一方、全天で最も明るい星の1つが「シリウス」こと「大犬座」α星で、中国では「天狼星」という。こうした星繫がりで、妙見菩薩が狼を抑える力があるとされたのではないかと思われる。


常陸太田市観光物産協会のHPから(三鈷室の碑)


写真1:「三鈷室の碑」。県道沿いだが、一段高いところにあり、説明板が目印。


写真2:同上


写真3:「三鈷室の碑」の後ろにも石碑


写真4:直ぐ横の道が「三鈷室山」の登山口のようだ。
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