飯名神社(いいなじんじゃ)。通称:稲野(飯名野)の弁天様。
場所:茨城県つくば市臼井(字稲岡)1。茨城県道138号線(石岡つくば線)と同139号線(筑波山公園線)の交差点(「これより つくば道」という大きな道標石が立っている。)から、139号線を北に約2.8Kmのところで左折(西へ)、約400m進んだところで右折(北へ。民家の塀に「飯名神社入口」という案内看板が掛けられている。)、約300m。鳥居前に1~2台の駐車スペースあり。県道を含め途中の道路はかなり狭いところが多いので注意。また、当神社から更に上に(北へ)向かえば「筑波山神社」(2020年9月12日及び19日記事)に行けるが、道路は更に狭く、急坂になるので、自動車では無理に上っていかない方がよい。
創建年代は不明だが、ちょっと変わった形での「式外社」とされている神社である。「常陸国風土記」信太郡の条に「その里の西に飯名神社がある。これは筑波山におられる飯名神の別属(分社)である。」(現代語訳)という記述があり、間接的に、筑波山に「飯名神社」の本社が存在したことがわかる。これが、当神社のこととされている。また、「萬葉集」に東歌として「筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも」(第14巻・3351)(現代語訳:筑波山に雪がふったのだろうか、そうではあるまい、可愛いあの娘が(白い)布を干しているのだろう。)があり、「否をかも」というところが「稲岡も」と掛詞になっているではないかとされている。
一方、「六所神宮」(前項「六所皇大神宮」のこと)大宮司・長戸家文書の中に「飯奈野神社伝記」があり、これによれば「当社の勧請は康正2年(1456年)で、飯奈野の地に社殿を造立して保食神(ウケモチ)が鎮座した。」、「天正19年(1591年)に遷宮した。」、「万治3年(1660年)に弁財天(社)を造立した。祭神は市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)である。」(現代語訳)とのこと。ということで、現在の祭神も宇気母知神と市杵嶋姫命であるが、古代の「飯名神社」とは別、ということになるのだろうか?
「飯名神社」については、「筑波山神社」の里宮だったとか、「歌垣」の場所であったとかの説もあり、また、「稲野」・「稲岡」という地名の方が先にあり、その名から引かれて保食神(宇気母知神)が後から勧請されたのかもしれない(保食神(宇気母知神)は稲荷神社に祀られる倉稲魂命(ウカノミタマ)と同一視されることがある。)。なお、「筑波山神社」摂社の「稲村神社」(祭神:天照大神、「筑波山神社」2020年9月19日記事の写真4)に比定する説もある。
思うに、当神社の創始は筑波山そのもの、あるいは巨石(磐座)に対する信仰で、人格的な祭神は意識されていなかったのではないだろうか。もちろん、それでも(あるいは、そうであるからこそ)、ここがパワースポットであることには違いないのだろう。
写真1:「飯名神社」鳥居と社号標
写真2:拝殿
写真3:本殿は覆い屋の中。背後の巨石を祀っていることがわかる。
写真4:「磐座」と思われる巨石で、これが「陰石(女石)」(縦に割れ目がある。)と思われる。
写真5:巨石の上に小祠と並んで「立石」があり、これが「陽石(男石)」だろう。これは人工的に立てたもの。
写真6:巨石の後ろには小川(歌枕で有名な男女川の支流)が流れている。
写真7:境内の万葉歌碑
写真8:境内にはこんな岩もある(注連縄が掛けられているが、詳細不明)。
場所:茨城県つくば市臼井(字稲岡)1。茨城県道138号線(石岡つくば線)と同139号線(筑波山公園線)の交差点(「これより つくば道」という大きな道標石が立っている。)から、139号線を北に約2.8Kmのところで左折(西へ)、約400m進んだところで右折(北へ。民家の塀に「飯名神社入口」という案内看板が掛けられている。)、約300m。鳥居前に1~2台の駐車スペースあり。県道を含め途中の道路はかなり狭いところが多いので注意。また、当神社から更に上に(北へ)向かえば「筑波山神社」(2020年9月12日及び19日記事)に行けるが、道路は更に狭く、急坂になるので、自動車では無理に上っていかない方がよい。
創建年代は不明だが、ちょっと変わった形での「式外社」とされている神社である。「常陸国風土記」信太郡の条に「その里の西に飯名神社がある。これは筑波山におられる飯名神の別属(分社)である。」(現代語訳)という記述があり、間接的に、筑波山に「飯名神社」の本社が存在したことがわかる。これが、当神社のこととされている。また、「萬葉集」に東歌として「筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも」(第14巻・3351)(現代語訳:筑波山に雪がふったのだろうか、そうではあるまい、可愛いあの娘が(白い)布を干しているのだろう。)があり、「否をかも」というところが「稲岡も」と掛詞になっているではないかとされている。
一方、「六所神宮」(前項「六所皇大神宮」のこと)大宮司・長戸家文書の中に「飯奈野神社伝記」があり、これによれば「当社の勧請は康正2年(1456年)で、飯奈野の地に社殿を造立して保食神(ウケモチ)が鎮座した。」、「天正19年(1591年)に遷宮した。」、「万治3年(1660年)に弁財天(社)を造立した。祭神は市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)である。」(現代語訳)とのこと。ということで、現在の祭神も宇気母知神と市杵嶋姫命であるが、古代の「飯名神社」とは別、ということになるのだろうか?
「飯名神社」については、「筑波山神社」の里宮だったとか、「歌垣」の場所であったとかの説もあり、また、「稲野」・「稲岡」という地名の方が先にあり、その名から引かれて保食神(宇気母知神)が後から勧請されたのかもしれない(保食神(宇気母知神)は稲荷神社に祀られる倉稲魂命(ウカノミタマ)と同一視されることがある。)。なお、「筑波山神社」摂社の「稲村神社」(祭神:天照大神、「筑波山神社」2020年9月19日記事の写真4)に比定する説もある。
思うに、当神社の創始は筑波山そのもの、あるいは巨石(磐座)に対する信仰で、人格的な祭神は意識されていなかったのではないだろうか。もちろん、それでも(あるいは、そうであるからこそ)、ここがパワースポットであることには違いないのだろう。
写真1:「飯名神社」鳥居と社号標
写真2:拝殿
写真3:本殿は覆い屋の中。背後の巨石を祀っていることがわかる。
写真4:「磐座」と思われる巨石で、これが「陰石(女石)」(縦に割れ目がある。)と思われる。
写真5:巨石の上に小祠と並んで「立石」があり、これが「陽石(男石)」だろう。これは人工的に立てたもの。
写真6:巨石の後ろには小川(歌枕で有名な男女川の支流)が流れている。
写真7:境内の万葉歌碑
写真8:境内にはこんな岩もある(注連縄が掛けられているが、詳細不明)。