神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

宇賀神社(茨城県稲敷市上君山)

2022-02-19 23:29:08 | 神社
宇賀神社(うがじんじゃ)。通称:稲荷さま。
場所:茨城県稲敷市上君山3493。国道408号線「松山」交差点から北西へ約3.3km、「こもれび森のイバライド」案内看板が出ているところで右折(北東~東へ)、道なりに約1.2km。駐車場なし。テーマパーク「こもれび森のイバライド」(旧称「江戸崎農業公園ポティロンの森」)とゴルフ場「江戸崎カントリー倶楽部」の間にある。
「茨城縣神社誌」(昭和48年)では、創立時期不明、明治15年に村社となり、明治39年に香取神社・天満神社・八幡神社・白山神社・皇産霊神社を合祀したとされる。祭神は保食命(ウケモチ)としている。一方、「稲敷郡郷土史」(大正15年)によれば、永正4年(1507年)、当地を領有した江戸崎城主・土岐治頼の夢枕に嫋やかな美女が立ち、「我は君山の稲荷である。我のために社を建ててくれれば、京都に走り正一位の位階を得て、領内に五穀豊穣・悪疫消除を約束する。疑うべからず。」と告げた。そこで、神社を建立して豊受比売命(トヨウケヒメ)を祀ったところ、その年から五穀豊穣となり、他の村に疫病が流行っても、君山村には疫病が入ってこなかった。そのため、周辺10ヵ村の村人の信仰が篤く、明治7年には村社に列した、というような記載がある。なお、本来、保食神、稲荷神(=倉稲魂命。ウカノミタマ)、豊受大神は別神だが、いずれも穀物・食物の神として、次第に混同されるようになったとされるので、ここでも同一視がなされたのだろう。
さて、当神社の参道のようになっている直線的な道は、現在、無舗装で、あまり通る人もいないようだが、元は古代東海道だったとする説が有力。当神社があるために、ここで道が途切れるが、この道の西側に舗装道路があり、それが稲敷市下君山から阿見町に向かう、概ね直線的な道路となっている。伝承では、中世、下君山に「保科(星名)長者」という長者がおり、この直線的な道を造ったので、これを「保科(星名)街道」と称したという。この伝承は、下君山に駅長(駅家の長)の後身である長者がいたことを推定させる理由の1つになっている。
因みに、豊崎卓(茨城大学教授)「信太郡家の探求」(1962年)では、旧・君山村の稲荷神は「常陸国風土記」信太郡条にみえる「飯名の社」(の後身)であるとの伝承が地元民の間にあった、と記している(「飯名神社」については2020年10月17日記事、「稲塚古墳」同年10月24日記事及び「女化神社」同年10月31日記事参照。)。この伝承についての根拠がよくわからず、一般にはあまり知られていないようなので、殆ど顧みられることがないが、ひょっとすると常陸国式外社の論社かもしれない。


写真1:「宇賀神社」前の道(南方向)。向かって左(東側)がゴルフ場のフェンス。


写真2:鳥居。扁額は「正一位稲荷大明神」


写真3:拝殿


写真4:本殿。なお、当神社は「沼口古墳」という前方後円墳に鎮座していて、前方部は社殿敷地として削平され、社殿背後に後円部のみ残っているらしい。


写真5:稲敷市下君山方面から来る道路


写真6:阿見町方面に行く道路
コメント (4)
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