神が宿るところ

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橘郷造神社(常陸国式外社・その4の2)

2023-06-17 23:32:43 | 神社
橘郷造神社(たちばなのさとのみやつこじんじゃ)。通称:橘明神。
場所:茨城県行方市羽生1390。国道355号線から茨城県道360号線(大和田羽生線)に入り(角に羽生郵便局がある。)、北東へ約1.1kmで参道入口。駐車場なし。
「応仁・文明の乱」(1467~1477年)の兵火により古文書を失い、創建年代・由緒は不明。口碑によれば、日本武尊が東征の途中、相模国の沖で暴風に遭って船が危うくなったとき、后の弟橘姫が海中に身を投じたことで無事に上総国に上陸できた。その後、弟橘姫が髪に挿していた笄(こうがい)と船の帆が羽生の里に流れ着いた。それを無数の白鳥が塚のように守っていたため、そこを「鳥塚」と名付けた。その笄に羽が生えて高台に飛んで行き、落ち着いたところに「橘郷造神社」として祀った。当神社の地を「笄崎」といい、船の帆を埋めたところを「帆呂山」と称した。当地の「羽生」という地名は、羽の生えた笄に因む、とされる。「日本三代実録」の仁和2年(886年)の記事に「常陸国の正六位上郷造神に従五位下を授ける。」とある「郷造神」を当神社のこととする。ただし、この「郷造神」は、現・茨城県筑西市の「雲井宮郷造神社」(2018年8月18日記事)とする説もあり、所謂式外社(国史見在社)「郷造神」の論社ということになる。鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝が現・行方市八木蒔の「八幡神社」(通称「八木蒔八幡宮」)を奉斎するにあたり、橘(立花)郷のうち、(現・行方市)羽生・沖洲・八木蒔・倉数を「八木蒔八幡宮」の氏子地域、(同)捻木・若海・芹沢・青柳を当神社の氏子地域と定めたという。明治14年、村社に列した。現在の祭神は弟橘姫命と木花開夜姫命であるが、木花開夜姫命が祀られるようになったのは鎌倉時代以降であるという。
因みに、当地(現・行方市羽生)は、平安時代末、常陸国一宮「鹿島神宮」の神領となり、神宮から大禰宜・中臣氏が派遣されて「羽生館」に住んで支配し、羽生氏を名乗ったという(鎌倉時代の史書「吾妻鏡」の養和元年(1181年)の条に「以常陸国橘郷令奉寄鹿島社」とある。)。そして、鎌田啓司著「茨城の神社覚書Ⅱ」によれば、江戸時代後期の地誌「水府志料」羽生村の項に「鎮守を橘明神と号す」、「水戸藩神社録」に「橘明神今羽生村に在り、鎮守帳蓋武甕槌命を祀る」となっていて、江戸時代までは「郷造」の名はなかったことから、本来は「鹿島神社」で、明治時代以降に現社号になったのではないかとしている。


写真1:「橘郷造神社」参道入口。社号標。


写真2:宮路久子氏製作の弟橘姫の銅像があったが、盗難に遭ったらしい。


写真3:参道。参道自体の雰囲気は良いのだが、直ぐ横を国道355号線が通っており、ダンプなども多く走っていて、少しうるさい。参道は約250m。


写真4:鳥居


写真5:拝殿


写真6:本殿。行方市指定文化財。


写真7:境内社「城山稲荷神社」
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