神が宿るところ

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前林山 東光寺

2024-09-28 23:34:37 | 寺院
前林山 東光寺(まえばやしさん とうこうじ)。
場所:茨城県古河市前林1765。茨城県道56号線(つくば古河線)「上砂井」交差点から南東へ約850m、「前林」交差点を右折(南へ)、約350m進んで(案内板がある。)右折(北西へ)、狭い道路を約100mで参道前、駐車場あり。
寺伝によれば、第61代・朱雀天皇の連枝・伝真院二品親王により承平元年(931年)に開基された。当初の本尊は不動明王であったという。「平将門の乱」の兵火に遭い、堂宇が焼失。天承元年(1131年)に再興されたが、原野のままのようで、「原の坊」と呼ばれた。その後、中世での状況は不明となるが、江戸時代には、真言宗の教法道場として有力寺院となっており、慶安元年(1648年)には徳川幕府第3代将軍・徳川家光から朱印地10石を許され、最盛時には末寺30ヵ寺を数えた。寛保3年(1743年)に焼失、宝暦5年(1755年)に堂宇を再建し、供養塔(宝篋印塔)を建立した。現在は、真言宗豊山派に属し、本尊は胎蔵界大日如来。本堂のほか観音堂があり、堂本尊の千手観世音菩薩は、正徳4年(1714年)に開創された「葛飾坂東観音霊場」第8番札所となっている。また、境内に「東光寺の椎」というスダジイの巨木がある。樹高約15m・周囲約6mで、天承元年に堂宇が再興された際に植樹されたと伝えられていることから、推定樹齢約1000年とされる。
因みに、「前林」という地名(大字)は「ウマヤ林」が転訛したもので、古代官道の「駅家(うまや)」があったのではないかという説もある。これは、東側に隣接する現・古河市水海に「猿島郡家」があったとする説にも関連している(前々項「三島神社」(2024年9月14日記事)及び前項「水海城跡」(2024年9月21日記事)参照。)。また、中世には、現・古河市市街地に向かう「鎌倉街道」が前林を通っており、当寺院はその「鎌倉街道」に面していたとされている。
蛇足:当寺院の中世の状況は不明だが、一説に、現・神奈川県横浜市の真言律宗別格本山「金沢山 称名寺」の末寺として前林に「戒光寺」があり、当寺院がその後身ではないか、とするものがある。この説の真偽を判断する材料に乏しいが、「そうわの寺院Ⅰ」(総和町教育委員会・社会教育課編集)によれば、「東光寺」という寺号は薬師如来を本尊とする寺院に多く(薬師如来が「東方瑠璃光浄土」の教主とされることに因む。)、当寺院は元々民間の薬師如来信仰による仏堂だったのが、真言僧の流入によって寺院に発展したものとみており、所在地などからして「戒光寺」とは別だろうとしている。


古河市のHPから(東光寺の椎)


写真1:「東光寺」寺号標


写真2:山門


写真3:入るとすぐに「東光寺の椎」(古河市指定文化財(天然記念物))


写真4:同上。見えているのは、大きくコンクリート?で固められた幹


写真5:東側に回り込むと、生きている幹が見える。大手術の後、無事に枝葉を伸ばしているようである。


写真6:同上


写真7:鐘楼と宝篋印塔


写真8:本堂


写真9:観音堂


写真10:大師堂
コメント (2)
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