神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

香取神社(茨城県坂東市沓掛)

2025-01-04 23:35:20 | 神社
香取神社(かとりじんじゃ)。通称:沓掛香取神社。
場所:茨城県坂東市沓掛4120-1。茨城県道20号線(結城坂東線)「沓掛南」交差点から南へ約150m、コンビニエンスストア「セブンイレブン茨城沓掛店」の前で右折(西へ)、約60mで左側(南側)に駐車場入口、右側(北側)に二の鳥居がある。
創建時期は不明だが、社伝によれば、経津主命の傍系孫・美計奴都加佐命が神籬(ひもろぎ。神を迎える依り代)を立て、祖神を奉斎したのが始まりという(ということは、下総国一宮「香取神宮」からの勧請ではないということだろうか。美計奴都加佐命については不詳。)。大同2年(807年)、空海(弘法大師)の巡錫の折、神社裏に十一面観音が勧請された。弘仁元年(810年)に再び空海が参詣して別当寺院「香取山 金乗院」を建立し、社僧を置いて奉仕させた。天慶2年(940年)、平将門が社殿を造営。正長元年(1428年)、下総結城氏11代当主・結城氏朝が社殿を修築し、刀剣(来国行の作)を奉納した。正徳2年(1712年)、神階正一位に進む。享保9年(1724年)、徳川幕府第8代将軍・徳川吉宗の命による飯沼の開発(新田3000町歩)に際して沿岸の31ヵ村の名主らが起誓文を捧げて大願成就を祈願し、完成後の享保13年(1728年)には飯沼地方民が本殿と大鳥居一基を奉納した。寛政10年(1798年)、疫病流行のため氏子及び近郷から「金乗院」に大般若経六百巻の奉納があり、社寺で大祈願祭が行われた。天保年間(1830~1844年)、「愛宕神社」の軻遇突智大神を合祀した。明治初期に「金乗院」は廃寺となり、明治6年、村社に列格。現在の祭神は、経津主大神(伊波比主命)と軻遇突智大神。


茨城県神社庁のHPから(香取神社)


写真1:「香取神社」一の鳥居


写真2:二の鳥居、社号標


写真3:二の鳥居横にある神木の欅(ケヤキ)の巨樹。根元に境内社「日枝社(祭神:大山咋神)・庚申社」がある。


写真4:同上、光明真言供養碑や三猿の庚申塔がある。


写真5:同上、西側から見る。根元の太さがよくわかる。樹高約19m・目通り幹囲約7m、推定樹齢200~300年という。


写真6:拝殿


写真7:本殿(覆屋)。本殿は極彩色の豪華な彫刻で飾られているというが、外からは見えない(茨城県神社庁HPの当神社のページに写真があります。)。茨城県指定文化財。平成3~4年に修復され、かつての色彩が蘇ったという。


写真8:境内社「春名神社」(祭神:速須佐男命、櫛名田姫命)
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