神が宿るところ

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八橋山 不動院

2017-03-18 23:46:34 | 寺院
八橋山 不動院(やばせさん ふどういん)。通称:庚申堂。
場所:秋田県秋田市八橋本町4-1-70。旧国道7号線を「八橋一里塚」交差点から西へ約220m。駐車場なし。旧県社「日吉八幡神社」(秋田市八橋本町1)の随神門(北参道)の向かい側に当たる。
当寺院は、明暦3年(1657年)、宥専が開基。真言宗智山派に属し、本尊は青面金剛童子。現在は比較的こじんまりとした境内地であるが、多くの石仏や石塔などが設置されている。「庚申堂」と通称され、「日本三庚申」の1つという。「日本三大〇〇」というのは多いが、いずれも諸説あって、3つに決めがたいことが多い。「庚申」とは、元来は道教に由来し、人の体内に居る「三尸(さんし)」という虫が、60日又は60年に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に天に昇って天帝にその人の罪を報告する。そうすると、その人が早死にするということで、庚申の日には堂に集まって、「三尸」の虫を体内から出さないようにするため眠らないで身を慎む。これを「庚申待ち」といい、その守り本尊が青面金剛(童子)という神様で、「庚申様」とも称したという。「三庚申」の場合、京都市の「金剛寺 八坂庚申堂」、大阪市の「四天王寺 庚申堂」、東京都台東区の「入谷庚申堂」をいうのが一般的だそうであるが、このうち「入谷庚申堂」は現存しない(ただし、「小野照崎神社」境内に「庚申塚」がある。)とのこと。で、その代わりに岐阜県中津川市の「下野庚申堂」とか、東京都台東区の「浅草寺 庚申堂」(これも現存しない。)とかが挙げられていたりする。ということで、当寺のことはあまり出てこないが、寺伝によれば、天平時代、天竺(インド)の婆羅門僧正が奈良の大仏開眼法要のため日本に渡来し、その後、日本の国土開発を祈って3体の庚申尊(青面金剛)像を彫刻して「金剛寺 八坂庚申堂」・「四天王寺 庚申堂」に納め、残る一体を行基が羽後国秋田郡舞鶴(現・秋田市太平?)に安置したが、後に当寺院に納められたという。よって、当寺院を「日本三庚申」の1つという、ということらしい。しかし、その「青面金剛童子」像は、明治19年の所謂「俵屋火事」(現・秋田市内の約3千5百戸が一夜にして灰燼に帰した大火事)により惜しくも焼失してしまったとのこと。
なお、当寺院の境内に亀趺に載った石碑があるが、第42世住職の善恵という人の墓で、「羽陰温故誌」によれば、「明治初年に発願して生のまま土葬されることを希望し、生きているうちに石の唐櫃を作って境内に埋めて入定しようとしたが、政府が許可しなかった。」ということがあったらしい。古老の話として、21日間の断食の後に唐櫃に入れられて埋葬されたと伝わるが、その時生きていたかは不明という。


写真1:「不動院」境内入口。巨大な「岩之山 太平山 三庚申」と刻された石碑がある。また、傍の標石柱にも「日本三庚申霊場 不動院」とある。


写真2:参道両脇に多くの石碑がある。


写真3:「鶏卵塚」。当寺の北西約2kmのところにある「古四王神社」(2015年8月15日記事)信仰により四足二足の食のタブーにより現・秋田市寺内地区等では鶏卵を食べなかったが、病気療養等のため止む無く食べたときに、こうした供養塔が建てられたようだ。


写真4:本堂
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