神が宿るところ

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酒の井

2014-01-11 23:46:00 | 史跡・文化財
酒の井(さけのい)。
場所:千葉県印旛郡酒々井町酒々井137。酒々井小学校の南、約120mのところにあるが、狭い道路に囲まれ、わかり難い。徒歩なら、県道137号線(宗吾酒々井線、旧・国道51号線)沿いに案内標識が出ているところを西に入る。駐車場なし。
「酒々井(しすい)」というのは、なかなか読み難い地名だが、地名の由来の伝説がある。即ち、「昔、この地に年老いた父親と孝行息子が住んでいた。父親が酒好きだったので、息子は毎日働いて父親に酒を買って帰った。ある日、金が無く、酒を買えずに帰る途中、道端の井戸から酒の良い香りがした。この水を汲んで帰ると、それは上等の酒で、父親は大変喜んだ。ところが、この父子以外の者が飲むと、ただの水であり、村人は孝行息子の徳が天に通じたものと褒め称えた。」というもので、この酒の井戸から「酒酒井(しゅしゅい)」村と呼ばれるようになったとする。似たような伝説は他の地方にもあり、「孝子酒泉」とか「養老の滝」などと言われるものである。
「酒々井」の場合は、印旛沼に面して古くからの湧水地で、水量も豊富であったことから「出水(しゅすい)」と呼ばれていた。それを、僧侶が親孝行の徳を説くために「酒々井」とこじつけたものらしい。それが、いつしか、当地の鎮守「麻賀多神社」の神酒の仕込み水であった「酒々井山 円福院 神宮寺」の井戸が酒泉とされた、ということらしい。また、その井戸の傍らにあった石碑が「酒の井」を記念するものと信じられるようになったともいう。
「円福院」の創建は不明だが、室町時代には既に存在していたとされる真言宗智山派の寺院で、本尊は阿弥陀如来と伝わるが、寛永年間(1624~1645年)に落雷により焼失、現在では境内に建物はない。「神宮寺」という寺号は、当地の「麻賀多神社」の別当寺であったことによるらしい。なお、「酒の井」の碑とされる石碑は、下総地方に多く見られる板碑で、実は「酒の井」とは全く関係が無く、かなり摩滅しているが、蓮花と梵字の「キリーク」(阿弥陀如来の種字)が刻まれているという。


酒々井町のHPから(円福院の「酒の井碑」)


写真1:「円福院」境内入口


写真2:「伝・酒の井の碑」(向って右側)


写真3:「酒の井」(復元)


写真4:鎮守「麻賀多神社」鳥居(場所:酒々井町酒々井204。酒々井小学校の東南角)


写真5:同上、社殿

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