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神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

立野神社(茨城県水戸市)(常陸国式内社・その16の2)

2019-05-11 23:53:29 | 神社
立野神社(たてのじんじゃ)。
場所:茨城県水戸市谷津町899。茨城県道52号線(石岡城里線)「中原」交差点から県道を北へ、約2.8km。「水戸 西の杜霊園」という看板が出ているところで左折(西へ。看板の矢印方面)して、直ぐ、左側の狭い道路へ入る。駐車場スペースあり。
社伝によれば、大同2年(807年)の創祀。元は、「鹿島社」、「谷津明神」とも呼ばれていたという。「延喜式神名帳」登載の常陸国式内社「立野神社」の論社とされることもあるが、式内社「立野神社」は久慈郡鎮座となっており、当地が久慈郡内だったことはないとされているので、可能性は低いというのが一般的。一方、当神社は「朝房山」の南東約3km(直線距離)にあって、「朝房山」=「常陸国風土記」那賀郡の条にある「晡時臥山」所縁の常陸国式内社「藤内神社」の論社とされることがある。こちらは那賀郡鎮座なので、可能性がないわけではないが、「藤内神社」(前項)又は「有賀神社」(次項予定)の方を支持する論者が圧倒的に多い。
当神社の場合、式内社というよりも、「常陸国風土記」の記事に出てくる「蛇神の子を祀る社」に比定されることがある。解説書などでは「朝房山」山頂の「朝房権現社」(「朝房山」(2019年4月20日記事)参照)のこととしているものも多いが、「常陸国風土記」の記述では、「昇天できなかった蛇神の子は(晡時臥山の)峰に留まった。投げつけた甕は今も片岡の村にある。(蛇神の子の母親の)子孫が今も祭祀を行っている。」という書きぶりになっている。そうすると、祭祀の場所は、晡時臥山上ではなくて「片岡」の村(里)にあったのではないか。「片岡の村」というのがどこであるか不明だが、当神社が大足、牛伏、田島、黒礒、三ノ輪、谷津、三ヶ野という「朝房山」を巡る7ヵ村の鎮守社とされている。また、「朝房山」が神体山であるとすると、山を南麓から仰ぎ見る形が自然なのではないか。また、「谷津」というのは、谷や低湿地をいう言葉で、各地にそういう地名があり、「谷(や、やと)」・「谷地(やち)」・「谷那(やな)」なども同じ意味である。そして、「常陸国風土記」行方郡の条に「夜刀の神(やとのかみ、やつのかみ)」というのが登場し、これは「角のある蛇(神)」である(「夜刀の神」についてはいずれ別項で書きたい。)。谷津=低湿地=蛇が多く棲んでいるところ、という連想が働くので、蛇神と関連がある場所なのではないかとも思われる。
ただし、現在の祭神は、級長津彦命(シナツヒコ)と級長津姫命(シナツヒメ)で、風の神ということになっている。これは、現・奈良県生駒郡三郷町立野南に鎮座する大和国式内社(名神大)「龍田大社」からの勧請だろうということを示している。「龍田大社」の現在の祭神は天御柱命と国御柱命となっているが、社伝や祝詞ではシナツヒコとシナトベ(=シナツヒメ)と同神とされている。古くから「風の神」として信仰を集めた。「龍田山」というと紅葉の名所のイメージが強いが、風が農作物の生育に影響することから、元は農業神であった。ということで、当神社も早くから拓けた土地の守護神として勧請された可能性が高い。


写真1:「立野神社」鳥居


写真2:鳥居横の社号標「村社 立野神社」


写真3:参道


写真4:拝殿


写真5:拝殿・本殿
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