駒形神社(こまがたじんじゃ)。
千葉県野田市木間ケ瀬3623。千葉県道17号線(結城野田線)「新宿」交差点から東へ約1.7km。駐車スペースあり。
社伝等によれば、天慶年間(938~947年)、平将門が当地の農家・白石家を訪れ休息したとき、ちょうど正月14日に若餅を搗いて祝う風習があり、将門にも振舞った。ところが、将門の馬が餅の入った水を飲み、喉に詰まらせて死んでしまった。将門は何も咎めなかったが、白石家では馬を哀れみ、以前からあった保食神の祠の傍らに埋葬して、駒形大明神と呼ぶようになった。なお、白石家では、それ以来、若餅は搗かなくなったという。現在の祭神は、武甕槌命。
因みに、当地の地名(字名)の「木間ケ瀬(きまがせ)」は、「駒(こま)」に由来するという。また、利根川の対岸(下総利根大橋を渡ったところ)に茨城県坂東市木間ケ瀬があって、江戸時代初めの利根川東遷事業(東京湾に注いでいた利根川を現・千葉県銚子市を河口とするように付け替えた土木工事)の前は、一体であったと思われる。そして、坂東市木間ケ瀬の北側に長須という地名がある。これは、「延喜式」にも記載がある平安時代の官牧の1つ「長洲馬牧(ながすのうままき)」の遺称地とされている。将門は、下総国の官牧を実質的に支配していたという説もあり、当神社の社伝等が実話かどうかは不明だが、当地が将門や馬との関わりが深いことが窺われる。
写真1:「駒形神社」鳥居。扁額は「正一位駒形大明神」。なお、当神社境内は彼岸花(ヒガンバナ)の名所とのこと。
写真2:鳥居の傍らの青面金剛像など。
写真3:境内社「大杉大神」
写真4:「駒形神社」社殿(南向き)。境内全体が一段高く、島のようになっていて、周囲を道路が一周している。社殿は更に高く、塚の上にあるようになっている。
写真5:「駒形神社」の裏(北側)にある集会所と墓地。集会所の前に大きな木の切り株がある。
写真6:集会所の北側に鎮座する「稲荷神社」一の鳥居
写真7:同上、二の鳥居
写真8:同上、社殿(西向き)。「駒形神社」の社伝等の通りなら、こちらのほうが先に存在したことになろう。
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