神が宿るところ

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藤内神社(茨城県水戸市)(常陸国式内社・その16の1)

2019-05-04 23:12:24 | 神社
藤内神社(ふじうちじんじゃ)。
場所:茨城県水戸市藤井町874。国道123号線「藤井町」交差点から西へ約900m、「延喜式内 藤内神社」という看板がある。ただし、ここは社殿の裏手になる(駐車スペースあり。)。正面入口は、更に進んで突き当りを左折(南へ)、約160m。
社伝によれば、当神社の西、約5kmにある朝望山(朝房山)は経津主命(フツヌシ)の神山であり、養老5年(721年)、その峰に霊光が輝き、当地を照らした。人々は驚き恐れ、社殿を建立したのが創始という。また、一説には、嘉祥年間(848~851年)に、神託により下総一宮「香取神宮」の神を勧請したともいう。境内入口鳥居横の石碑に「仁和元年(885年)官社に列し、」とあるが、出所不明。康平5年(1062年)、源頼家が征奥の途次、当神社に武運長久を祈願し、社前の藤(フジ)の枝を鞭として進軍した、という。このフジの木というものが、今も境内入口近くにあり、この伝承を刻した石碑も建てられている。なお、このとき、義家は10万の兵を率いており、その兵を集めたところを「十万原」と称した。「十万原」は当神社の北、約1.5km(直線距離)のところにあり、今は住宅団地開発されて「藤が原」という地名になっているが、「十万原近隣公園」等に名を残している。大永年間(1521~1528年)に火災で社殿・神宝を焼失、長らく社殿の再建ができなかったが、寛永5年(1628年)に宍戸城主・秋田河内守が社殿造営、元禄年間(1688~1704年)には水戸藩主・徳川光圀の命により社殿改築されたという。近世には「藤内大明神」とも称した。「延喜式神名帳」登載の「藤内神社」に比定される式内社(論社)で、現在の祭神は経津主命。
由緒にもあるように、当神社も「朝房山」(2019年4月19日記事)に所縁がある。「藤内」という名は、一説に「藤林の中にあったから」というのもあるが、「常陸国風土記」の「晡時臥山(くれふしやま)」を「ホジフシ山」と読んで、これが「藤内」に訛ったのではないか、という説もある(ちょっと苦しいような気もするが。)。さて、どうだろうか。


茨城県神社庁のHPから(藤内神社)


写真1:「藤内神社」境内入口。木々に覆われて鳥居がよく見えない。社号標は「延喜式内 藤内神社」。向かって左側には由緒の石碑もある。


写真2:参道の鳥居


写真3:拝殿


写真4:本殿。随分、屋根が大きい感じ。


写真5:「藤内神社のフジ」石碑。境内入口西側の道路を隔てたところにある。


写真6:ケヤキの大木に絡みついているのが「藤内神社のフジ」。木の前に石祠がある。なお、木の後ろには小さな池がある。これが神池だろうか。





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