権現塚古墳(ごんげんつかこふん)。新宿古墳群5号墳。
場所:茨城県那珂市静835。「静神社」(前項)前から茨城県道61号線(日立笠間線)を北東へ約200mのところで左折(北へ)、約700m進んだところで右折(東へ)、約300mの交差点の北側の畑の中にある。駐車場なし。
「権現塚古墳」は、那珂市静付近で8基発見された古墳の1つで、那珂市唯一の前方後円墳(他の古墳は殆ど隠滅)。現在の古墳の全長は約31m、前方部幅約20m、後方部径約19m、後円部高約3mとなっているが、発掘調査では全長約50m、前方部幅約30m、後円部径約35mという大きさだったと推定されている。後円部に自然石積の無袖型横穴式石室があり、玄室は長さ約3m、幅約1.4mの長方形。また、周濠の存在が認められている。出土物は、鉄刀、鍔、刀子、鉄鏃、耳輪、臼玉、小玉、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器。築造時期は5世紀末頃と推定されているとのこと。
当古墳の南西約800m(直線距離)のところに式内社「靜神社」が鎮座しており、「倭文」という織物を織る部民の長の墳墓ではないか、そして「靜神社」(前項)とも深い関係があるのではないか、ともいわれているようだ。
那珂市教育委員会のHPから(権現塚古墳)
写真1:「権現塚古墳」全景。道路側(南側)から見る。遠目にも、ひょうたん型にみえる。向かって左が前方部、右が後円部だそうである。前方部西南端の下に説明板がある。なお、撮影が日没ギリギリだったため、写りが良くなく、恐縮です。
写真2:西側から見る。古墳全体がフェンスに囲まれているが、説明板の後ろにフェンスの出入口があり、施錠されておらず、開けっ放しになっていた。
写真3:説明版。フェンスに近くて、読み辛い。
写真4:前方部から後円部を見る。
写真5:同上、北側。こちらの方が括れがはっきりしている。
写真6:後円部から前方部を見る。どちらも円形か方形か良くわからない。
写真7:東側から見る。まあ、丸い形かなぁ。
場所:茨城県那珂市静835。「静神社」(前項)前から茨城県道61号線(日立笠間線)を北東へ約200mのところで左折(北へ)、約700m進んだところで右折(東へ)、約300mの交差点の北側の畑の中にある。駐車場なし。
「権現塚古墳」は、那珂市静付近で8基発見された古墳の1つで、那珂市唯一の前方後円墳(他の古墳は殆ど隠滅)。現在の古墳の全長は約31m、前方部幅約20m、後方部径約19m、後円部高約3mとなっているが、発掘調査では全長約50m、前方部幅約30m、後円部径約35mという大きさだったと推定されている。後円部に自然石積の無袖型横穴式石室があり、玄室は長さ約3m、幅約1.4mの長方形。また、周濠の存在が認められている。出土物は、鉄刀、鍔、刀子、鉄鏃、耳輪、臼玉、小玉、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器。築造時期は5世紀末頃と推定されているとのこと。
当古墳の南西約800m(直線距離)のところに式内社「靜神社」が鎮座しており、「倭文」という織物を織る部民の長の墳墓ではないか、そして「靜神社」(前項)とも深い関係があるのではないか、ともいわれているようだ。
那珂市教育委員会のHPから(権現塚古墳)
写真1:「権現塚古墳」全景。道路側(南側)から見る。遠目にも、ひょうたん型にみえる。向かって左が前方部、右が後円部だそうである。前方部西南端の下に説明板がある。なお、撮影が日没ギリギリだったため、写りが良くなく、恐縮です。
写真2:西側から見る。古墳全体がフェンスに囲まれているが、説明板の後ろにフェンスの出入口があり、施錠されておらず、開けっ放しになっていた。
写真3:説明版。フェンスに近くて、読み辛い。
写真4:前方部から後円部を見る。
写真5:同上、北側。こちらの方が括れがはっきりしている。
写真6:後円部から前方部を見る。どちらも円形か方形か良くわからない。
写真7:東側から見る。まあ、丸い形かなぁ。