走っていると不安が襲ってくる。
(どこかで道を間違えてしまったのでは)
その答えは誰も教えてくれない。ずっと独りだからだ。不安を避けて走ることはできない。走っていなければ自分でいることができない。どこまで行けばいいのだろう。あるいは、いつからこうなってしまったのだろう。この上なく愚かなことをしているのではないか。進んだ先にゴールはあるのか。
(何もいいことなんてないのでは)
いいこと? そこが指す場所はどこだ。
走っているとどんどん自信がなくなっていく。
(自分はここで何をしているのだろう)
人々は酒を楽しみ、言葉を交わし、写真を撮り、テクノロジーを駆使し、漫画を描き、絵画を鑑賞し、海を開き、野菜を串に通し、肉を焼き、雲を追って、山に登り、日記を通し、共感を抱き、羽を広げ、自分を磨き、琴を奏で、温泉に浸かり、人としての本分を……。
「僕は道を外れているのでは」
「みんなそうだよ」
「みんなって?」
「あなた以外のみんなよ」
「そうかな?」
「みんな疑っているわ」
「そうは見えない。確信を持っているように見える」
「あなたの方こそそう見えているのよ」
「そんなことが……」
いつの間にか、ユキヒョウが隣を走っていた。
「あなただってジェラシーの対象になるの」
「あり得ないよ」
「自分が何も持っていないと思っているのね」
「僕には何もないよ」
「いいえ。すべてを持っていないというだけよ」
ユキヒョウは落ち着いた口調だ。まるで止まっているように息一つ乱れていない。
「それはまるで違うよ」
「あなたは考えすぎの虫ね」
彼女から見れば僕は虫のように小さく映るのだろう。けれども、虫はもっと機敏だ。
「みんなうまくいかないよ」
走っているのは自分の意志だろうか。勿論、最初はそうだった。でも、今はどうだろうか。惰性の先に風景が流れ去るだけではないのか。
「平坦な道なんてないわ」
この道はいつか来た道だろうか。
「どこだって歪んでいるのだから」
ユキヒョウはどこに行くのだろう。ちょうどコースが被ったのだろうか。
「生き物というのはみんなそう」
まだ自分が走っていることが不思議だ。
「食べれて眠れて愛せる人なんていないわ」
彼女は急に早口になって何かを言った。
「えっ、何だって?」
「ちゃんと愛せる人なんているもんですか」
どこか怒っているようにも見えた。
僕はまだ走っている。どこに行くあてもないというのに。
「この道があるじゃない」
ユキヒョウは自分に言い聞かせるように言った。
「足りないんじゃない? あなたは走りが」
彼女のように走ることはできない。
「もっと飛ばしなさい。この夜を」
そう言ってユキヒョウは一気に加速して闇の向こうに消えた。
ああ、いいな。
あんな風に僕だって駆け抜けたいよ。