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ちょうど先客の会計が終わるところだった。最高のタイミングで僕はレジへとたどり着いた。そう思った瞬間、大きな声に前進を阻まれた。
「お客様! 先にお待ちの方々が……」
まさかと思い振り返ると川が流れていて、小舟に乗って近づいてくる人の姿があった。列は川の向こうにあるようだった。早合点した自分が恥ずかしくなった。
(大人150円)
橋を渡るのにも金がいるのか。
橋の上の診療所は大変混んでいた。それは良い傾向で、話のわかる先生がいることを暗示している。待合室で本を開けば、その瞬間から2つの時間が流れ始める。1つは本を持つ時間、自分が望む時間。もう1つは先生を待つ時間、自分がみられるまでの時間だ。所期の目的は物語の中で弱められる。ずっと呼ばれず読み進むことになったとしても、そこに流れるのは幸福な時間だ。異世界の色に染まる頃には、本を持つ手の感触も消えて、自身も透明になっている。
・
宇宙人はモノレールに乗ってやってきた。
それが最強のエイリアンだとわかり始めた頃には、もう極めて厄介な状況に陥っていた。
エイリアン様と崇め、その下に取り入って生き延びようとする者もいた。エイリアンの好みを探究し喜ばせるように努めればそれは不可能なことではなかった。エイリアンの食べられた後の食器を片づけたり、エイリアンがお休みになる寝床の支度をしたりと、人間にできる仕事は多くあったものと思われる。しかし、その中でもしも粗相があったとしたら、エイリアンの怒りを買って食べられてしまうというリスクもあった。
「食べれるの?」
「そうだね」
森の中での区別は難解だ。エイリアン以前の安全な暮らしの中では選択の必要もなかった。今では食べれる内に食べておなかければ先が思いやられる。
人間にとっての敵は何だ?
睡魔、退屈、空腹、病、妬み、恨み、寿命……。
今は何を置いてもエイリアンどものことだった。
戦いは終わらない。個としても、種としても。
「どこに行こう?」
「それともここで泣こうかな」
ニコニコしないのは不幸だからというのではなく、蒲鉾的な多幸感の下に人々がコントロールされた結果だった。蒲鉾が作り出したもの。どこにいても心ここにあらずという状態。人々は加工された自己を照らし合わせては、誇らしく思うようだった。謎は蒲鉾の身に詰まっているのか、板の方にあるのかは定かではない。
「一生蒲鉾なんて持たないから」
誓いは遠い過去に、エコバッグの中に忘れてきた。猫も杓子も気まぐれ以上に速く蒲鉾を身につけなければ置いていかれてしまう。エイリアンに睨まれた時代、飲食・観光業界は廃れ、蒲鉾産業だけが辛うじて生き残った。人間の最後の武器として、小さな蒲鉾に多くの望みは託された。
信号を長くしたのはエイリアンの企てに他ならない。人々は皆突っ立ったまま同じ方向を向かされていた。しかし、その手の中には例外なく蒲鉾が握られていることを、エイリアンは軽視していたのではあるまいか。傍目にそれはただ個々の蒲鉾のように映るが、それぞれの蒲鉾は遙か宇宙基地を経由してつながっていたのだ。点と点が結ばれて無数の線が交流する先に、人々は多くの夢や希望をマッチングすることができた。不要なプロセス、まどろっこしい遠回りに別れを。腹は探り合うより最初から割れていた方がいい。それはエイリアンにはまだ想像できない世界だったに違いない。蒲鉾を持ち合った孤独。それこそが人間がエイリアンに対抗して仕掛けたフェイクだったのだ。
・
「……さーん!」
「はーい」
「先生はもう帰りましたよ」
(どこに行ってたのですか?)
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