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「何時まで?」
「年内ですか?」
「えっ、違うよ。今日は何時まで」
「今日はもう終わってます。閉店後に入って来たのがあなたですが」
「なんだって、だったらなんでこんなもの飲んでるんだ。帰るよ」
「ありがとうございます。250円いただきます」
「安いな。水割りいっぱい飲んだけど、そんなんでいいのかね」
「勿論です。ほとんどが水でほとんどが氷ですから、気持ちほどいただきます」
「いい人だね。また来るよ」
店を出るとまだ昼間だった。この辺りは人間将棋が盛んなようで、身近な交差点を利用して雇われた駒たちがブレーンの指示に従って、囲いを構築したり手裏剣を放ったり、破壊活動に汗を流したりしていた。
「おまえ入ってくるな!」
形勢を悲観した小駒たちの一部が、隣の交差点から流れてきて、別の戦場に加わろうとするのを、司令塔格の馬が中央から罵声を浴びせ牽制している。騒ぎを聞いた警備員が旗を大きく振りながら駆けつけてくると、駒台の上を一旦封鎖して歩の数を数え始めた。傍からみる限り、ルールはあってもやはり人間のすること、それに加えて人通りの絶えない路上の遊戯とあっては、混乱もやむなしといったところだろう。
「あんたもどうかね?」
白い煙を吐きながら、老人が言った。
「いやあ」
それは駒としてという意味だろうか。曖昧な返事をして、混乱の収まらない戦場を後にした。しばらく歩く内に道に王や金銀が深く彫り込まれた場所に出た。詰め将棋ストリートだ。
「3手詰めか……」
シンプルな図面の前に立った。一つ片づけていこう。
龍が入る。銀が動く。桂馬を打つ。玉が逃げる。
おかしいな。
龍が入る。のめり込んで、自ら龍になって入った。
銀が動く。
「うわっ、誰だ?」
いつの間にか銀も人になっている。誰かが玉方となって、相手をしてくれているのだった。
桂馬を放つ。玉が逃げる。
「待て! 逃がすか!」
一路、龍を動かして、玉を追いかけた。
ひらり。玉が、龍の視線をかわす。
もう一路、龍はずれて、追撃する。
ひらり。玉は、涼しげに、追っ手をかわす。
「待て!」
一路、龍は身を寄せる。
ひらり。玉は、堂々と返事をする。
追っても追っても、なかなか追いつけない。こんなはずではないのだが、龍は自分の力を持て余しているのだ。本来はもっと動けるのだったが、相手のペースにはまりすぎているのだ。王者の風格が龍の威勢を吸収してしまうのかもしれない。
「待て! 合い駒を使う気はないのか」
「待て! 3手はとっくに通り過ぎたぞ」
「ふふ、ここは路上じゃないか」
もう一度、龍が入る。
銀が動く。
ふわり。どこからともなく桂馬が宙を舞う。
玉が逃げる。
後をすぐに龍が追う。
ひらり。玉は余裕の顔を変えない。
「おまえ入ってくるな!」
追いかけすぎた結果、いくつも交差点を越えて人間将棋の領域に踏み込んでいたのだった。
「そっちこそ、道で何やってるんだ」
「いいんだよ。ここはこういう町なんだから」
「はい、はい、そこの龍! そこまで!」
警備員が駆けてきて、顔のすぐ正面で旗を振った。
「すみません。少し、追いかけすぎました」
手順を逆再生しながら、玉方と路上を戻った。激しい戦場をくぐり抜けて。詰め将棋ストリート。たどり着いた場所は、路上に面した対局室の前になっていて、新聞記者らしき人の姿が見えた。
「対局は何時まで?」
「ずっと続くみたいですよ」
「へーっ」
男は興味深そうに、対局室の襖を開けた。熟考の厳かな気配が、路上に漏れ出した。
「開けたら入らないと」
「そりゃそうだ」
龍と玉とがここに至って意見を一致させた。男は、常識知らずのようだった。開かれた襖にカブトムシのように付着して様子をうかがっている。
「志村じゃないか」
コントの中の。
もたれかかっていた襖が、外れた。
ほら、言わんこっちゃない。
関わるのは、ごめんだな……。3手詰めサークルを解いて、僕らは別々の道に進んだ。激しい駒音が、背中を追って駆けてきた。
「待ち合わせたでしょう」
別れたというのに、彼女が控えた桂馬のように待っていた。
待った分だけ先を急げと角を曲がり、細い通路へと入っていった。
「うーちゃんのお菓子を買うのよ」
「誰だって?」
聞こえない。彼女の声はいつも聞こえないのだ。
「うーちゃんよ。うーちゃんのお菓子」
足を止めず、振り返ることなく答える。
聞こえたとしても、わからない。
「えー、誰って」
やっぱり、また別れたくなる。(もう、別れたんだしな)わからない話を考え続けるのは、もうたくさんだ。
チョコレートコーナーを曲がった勢いで炎を吐いた僕は再び路上へ飛び出していった。
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