「何がマスク会食や。そんなもんずっとやってるわ。半世紀以上やっとんねん。何を今更やねん」
おじさんはマスクを取って麺をズルズルと啜った。一口スープを飲むと再びマスクを着けた。
「言われんでもやるっちゅうねん。常識やろ。こんなん普通の日常やんけ。元は俺が考えたんちゃうか。それやったらそれなりのもんはもらわなあかんで。何でもただちゃうんやから。ただほど高いもんあるんか。あったらつれて来い。ここへつれて参れっちゅうねん」
おじさんは慣れた手つきでマスクを引き下げるとズルズルと勢いよく麺を啜った。レンゲを持ち上げて一口スープを飲むとレンゲを器の縁にかけた。ふーっと息を吐いてからマスクを上にずらし、完全に鼻までを覆った。
「こうしといたら安全や。虫がいきなり飛んできても口によう入らへん。お前口に入ったら大変ぞ。どないなんねん。どないもならんゆうこっちゃ」
おじさんは虫をも防ぐマスクをさっとずらすや否やズルズルと麺を啜った。麺がどれだけ長くても途中で噛み切ったりすることは一度もなかった。麺が終わると続けてスープを口にした。そして、ふーっと息を吐くところはさっきとまるで同じだ。その後は抜かりなくマスクを装着する。
「ほんでこのパーティションってなんやねん。どこもかしこも区切りやがって東西冷戦か。いつまで独裁やっとんねん。ほんで前の奴らは何やあれ、お前らそんな偉いんか。前に立つ奴が何で揃ってマスクせえへんねん。どういうつもりや。人にさせるんやったら自分もせえよ、当たり前やがな。自分の身は自分で守らなあかん。身から鯖出るで。なんでサバやねん。俺はアホかー。ほんまどないなってんねん。いつになったら自由にしゃべれんねん。ほんで自転車調子こいてどこ走っとんねん。そのスピードで走るんやったら車道を走れよ。十分速度出とんねんから。歩道を行くんやったらもっと緩めなさい。お前らだけのもんちゃうで。歩道やないかい。そやったら歩かんかい。ほんまどないなってんねん。ええ加減にせえよおー?」
おじさんは調子を上げつつマスクをすっと下げた。そしてズルズルと麺を啜った。大きく頷いて次は啜る前に麺を高く持ち上げて数秒間その輝きを見上げた。麺について何か誉めてみたいところをがまんして言葉を呑み込んだ。麺が終わるとスープを飲んだ。もはや熱さを警戒せず躊躇いなくレンゲに口をつけることができるようになった。ふーっと息を吐くとマスクが上昇する。
「どこにも行くなって? ほんだらどこ行ったらええねん。俺らもう八方塞がりやんけ。行くのはええ言うとったんちゃうんかい。万全の対策したら構へんのとちゃうんかい。どないやねん。万全の対策ってなんやねんなお前。普通のと何がちゃう言うねん。適当なことばっかり言うなよ。こっちは振り回されてくたくたやねん。誰がくたくたや。俺まだ全然本気ちゃうで。アホか。こんなもんで本気になって言うかいな。冗談やって。お前通じへんな。俺が本気出したら天下がひっくり返んで。西軍の勝ちや。ハマチがブリになるいうこっちゃ。おー? チャーハンやったら何になんねん。もう俺わからへんわ」
おじさんは首をひねりながらマスクを外した。ズルズルと麺を啜る。最後の一本がなくなると器を抱え込んで忘れ物を探すように器の中に顔を突っ込んだ。余すことなくスープを飲み切ってふーっと長い息を吐いた。楊枝に手を伸ばしかけたが途中で思い直して引っ込めた。マスクを装着するとどこにも抜かりはないか手で押さえて確かめた。
「何がマスク会食や。お前ちゃんとやらなあかんで。当たり前や。言い出した奴がやらんで誰がやんねん。家でもせえよ。当たり前や言うてんねん。ちゃうでそんな本気で言うてないって。わかれよ。わかるやろ。お前何年生きとんねん、ほんま。いやほんまちゃうねん……」
おじさんはルールを守りながら壁に向いて熱く語っていた。