眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

カート泥棒

2023-08-06 17:31:00 | ナノノベル
 いつもの道を少し外れるとその先に新しい風景が開ける。おばあさんは日常を踏み越えて開拓者になった。いつもの場所に不満があるというわけではない。ささやかな冒険心を抑え込むには、おばあさんはまだ若すぎた。大通りから1本入ったところ、緩やかな坂の上にそのスーパーはあった。

「高いよ高いよ。白菜、キャベツ、人参、椎茸、葱にもやしにニラにほうれん草、牛肉、豚肉、鶏肉、挽き肉、肉が高い、野菜が高い、何でも高いよ。高かろうよかろう。どうぞお客様手に取ってごらんくださいませ」

 高いが売りのスーパーのようだ。地域に密着した店で、それなりに近所の人が足を運んでいる様子だ。見回してみるとどれも驚くほどに高い。おばあさんは財布の紐をきゅっと締める。

「米が高い。パンが高い。総菜が高い。文具が高い。日用品が高い。目玉が高い。お買い得が高い。当店お安いものは一切ございません。時給が高い。月給が高い。ボーナスが高い。退職金が高い。役員の報酬が高い。期待が高い。コンプラが高い。当店従業員あってのお客様でございます。ごゆっくりとお買い物をお楽しみくださいませ」

 うっかりコロッケに伸ばしかけた手を、おばあさんはピーヒャラ笛のように引っ込めた。どこかに掘り出し物はないものか、店内を注意深く見て回る。アナウンスの通り、そんなものは何1つ見当たらない。それはともかく、従業員を大切にすることは素晴らしいことだ。そうでなければ心からのおもてなしなどできないとおばあさんは思う。

「いらっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、白菜、お野菜、ザーサイ、天才、北斉、関西、万歳、一切合切、山菜、盆栽、ください、どうぞ、へいらっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、らっしゃい、高いよ高いよ、麺類高い、缶詰高い、飲料高い、お酒が高い、レトルト高い、手作り高い、チョコが高い、煎餅高い、何でもかんでも高いよ。この店の方が高いじゃないか。もしもそんな店がございましたら、どうぞこっそりとお教えくださいませ。もっともっと高くして参ります」

 高さへの突き抜けたこだわりが清々しい。おばあさんは初めての店の中を歩きながら、他の買い物客の様子を密かに観察していた。値札を見ずにどんどんカートに投げ入れる者。慎重に吟味した上でようやく1つを差し入れる者。首を傾げながらただ見ている者。あれは他店のスパイかもしれない。巧みな口車に乗せられてしまわないように、おばあさんは財布の紐をきゅっと締める。

「いらっしゃいようこそ。じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃん、父ちゃん、兄ちゃん、姉ちゃん、嬢ちゃん、わんちゃん、猫ちゃん、おじちゃん、おばちゃん、Gジャン、革ジャン、しんちゃん、山ちゃん、今チャン、えいちゃん、みきちゃん、まこちゃん、ゆうちゃん、くろちゃん、コチュジャン、麻雀、たけちゃん、てっちゃん、さっちゃん、よっちゃん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、行ってらっしゃい、お気をつけて。あっちの棚は高いぞ。こっちの棚は高いぞ。どうぞお客様手の届かない棚がございましたら、遠慮なく従業員にお申し付けくださいませ。当店、従業員あってのお客様でございます」

 それにしても参ってしまうくらいに高い。濃縮還元100%ジュースの値を見ておばあさんは思わずのけ反ってしまった。(あの店のたこ焼きだったら15個分と同じだ)

「高いよ高いよ。アイスが高い。タオルが高い。醤油が高い。めんつゆが高い。菓子が高い。キノコが高い。水が高い。牛乳が高い。チーズが高い。ビールが高い。ビルが高い。土地が高い。敷居が高い。棚が高い。天井が高い。品質が高い。好感度が高い。高い高いと手を出さないお客様。見てるだけはお客様でも何でもない。角さんや見せしめです。ひとつ懲らしめてやりなさい。当店はお客様の財布を高く買っております。どうかご理解くださいませ」

 次は自分かもしれない。懲らしめられて青果コーナーで土下座する男の前を、おばあさんは急ぎ足で通り過ぎた。枕か、ドルか……。よくわからないけれど、何かが高すぎてハラスメントの匂いがする。無事に出られたら、ここには二度と来ないとしよう。おばあさんは息を殺して空っぽのカートを押した。

「あれも高い。これも高い。山田のじゃが芋が高い。田中の人参が高い。鈴木のキャベツが高い。横山のトウモロコシが高い。佐藤の小松菜が高い。島田のトマトが高い。田原の卵が高い。鮮度が高い。評判が高い。作り手のプライドが高い。エブリデイ高い値。当店は一切高止まることはございません。今日より明日、明日よりも明後日、そして来週に向けていよいよ高くなって参ります。高いよ高いよ。高い高いと手を伸ばさないのは客でもない。角さんよさあさあひとつ遊んでおやりなさい」

 見つかってしまった。おばあさんは小走りで店を出た。流石に店の外までは追って来ないだろう。けれども、後ろから誰かが駆けてくる音がした。おばあさんは財布の紐をきゅっと締めてカートの中に乗り込んだ。来た時よりも坂が急になっているように感じた。おばあさんは加速をつけて坂を下りた。
 いつもの店でコロッケを買おう。

コメント
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