ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

大江戸歴史散歩(2017-3-① (人形町、浜町川界隈を歩く)-2

2017-03-19 14:05:00 | ガイド街歩き

3月19日(日)                 <3月8日(水)の続き>

大江戸歴史散歩を楽しむ会 3月定例会-①

江戸東京の歴史散策に興味があり、健脚であればどなたでも気軽に参加できる「大江戸歴史散歩を楽しむ会」を開催しております。健康散歩や歴史探訪に好奇心がある趣味を同じくする世間と折合いの付けられる人々が集い、江戸切絵図を片手に身近な散歩を楽しみながら懇親を深めることを目的としています。定例会は2・8月を除く毎月の第2水曜日と第4水曜日の2回開催致します。どうぞ、お気軽に参加ください。 

テーマ   :   人形町、浜町川界隈を歩く

ガイド   :   渡辺功一(大江戸歴史散歩を楽しむ会)

主要順路: 人形町駅→玄治店→うぶげや→浜田屋→大観音寺→
                 芸者新道→西郷隆盛屋敷→谷崎潤一郎生家→蛎殻銀座
                 茶ノ木神社水天宮有馬小学校箱崎川浜町緑道
                 明治座浜町公園久松町元吉原末廣神社
                 甘酒横丁人形町通り→人形町駅

茶ノ木神社 中央区日本橋人形町1-12-10 

 

水天宮 中央区日本橋蛎殻町2-4-1 

 

 

中央区立有馬小学校 中央区日本橋蛎殻町2-10-23  1873(M6)年創立                           校名は旧久留米藩第11代藩主有馬頼咸の寄付を受けて創立されたことに由来するそうで
有馬氏は年末競馬の「有馬記念」の由来にもなっています。

 

この辺りには銀貨の製造工場の蛎殻銀座があったそうです。

 

浜町緑道                                                                   現在暗渠となっている浜町川は、かつて現千代田区神田佐久間河岸の神田川から分れ、清洲橋の下流付近で隅田川と合流する水路で江戸時代に開削された人工的な水路でした

 明治座

浜町公園 
江戸時代に熊本藩主細川氏の下屋敷があり明治時代以降も細川家の邸宅であった場所。

 

 

清正公寺 日蓮宗  中央区日本橋浜町2-59-2 

 真淵縣居跡

日本橋久松町  中央区立久松小学校   1873(M6)年創立
都内でも1・2を争うほどの歴史ある学校の1つで
明治維新後、旧伊予国(現愛媛県)松山藩主久松家の屋敷があり久松定謨伯爵の寄付を受けて創立されたことに由来するそうで

 

 小川橋の由来

 漢方医学復興の地

元吉原                                                                                                         江戸時代唯一公許であった遊廓で最初に設立されたで明暦の大火により焼失し移転したことから「元吉原」と云われた 

 末廣神社

甘酒横丁 
明治の初め頃にこの横丁の入り口の南側に尾張屋という甘酒屋があったことから昔は『甘酒屋横丁』と呼ばれていた。

人形町通り 
江戸時代、堺町と葺屋町が現在の日本橋人形町三丁目の人形町通り西側にあり歌舞伎小屋の中村座と市村座があり薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていたて、人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされているが、江戸時代に人形の芝居小屋が数軒あり人形を作る家も多数あったことから俗名として人形町と呼ばれていたそうです

出発場所の人形町駅近くに戻って解散です、渡辺さんありがとうございました、

参加者の皆さんお疲れ様でした、楽しい15,600歩でした、

たまご焼と人形焼を買って帰ります。

コメント (2)
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