コカ・コーラをほぼ毎日飲む。
炭酸、甘さ、冷たさ。気持ちいい飲み物だねえ。
実はひとつ、最近大変なことがあったのだ。
事件現場はここ。我が住宅地、七里ガ浜住宅地のプロムナードだ。
春のソメイヨシノが見事。
春はいいよ、春は。
問題は暑い時期。
チャドクガの幼虫(毛虫)が大発生する。サクラ、ツバキ、サザンカや茶の木にそれは多く見られる。
そして我が住宅地の緑のプロムナードにはサクラもツバキもあるし、サクラのプロムナードには当然ながらサクラが多い。
チャドクガの毛虫の毛は風に舞う。
そして飛んで、直接あるいは間接に肌についたら大変だ。毒がある。
痒いと感じてかきむしったりしたら、それはさらに広がる。
ただれたように赤くなる。実に痒いのだ。
エロ映画のようにモザイクかけ。
あまりにブチュブチュ気持ち悪いからね。
飲み薬や塗り薬にお世話にならないといけない。
私がこれに罹るのは二度目だ。
以前罹ったのは2011年だったと記憶する。
さて、本日は久しぶりに今宮(新宮)へ。
鶴岡八幡宮の駐車場の端っこから入る。
住宅地と八幡宮の森の間を入ればいい。
人はほとんど来ない。
私は何度か行っているが、ここで人に会ったことがない。
こんな道ですがね。
この道をまっすぐずぅ~~っと歩く。
まだ歩く。
左側の土地が空いているね。
売っているのかしら?
便利だし、住宅地としてはいいと思うよ。
見えて来ましたよ。
ジャン! お久しぶりの今宮(新宮)だ。
八幡宮の末社にあたる。
何年ぶりかな?・・・と調べてみると5年ぶりだった。
2018年に一度私はここへ来ている。
松林堂書店の店主さんとランチしたあとにここに立ち寄った(と私のブログに書いてあった)。
同じ場所で撮影した画像だが、今回撮影した画像(↑)と、5年前の画像(↓)では社殿が違う。
また5年前の画像の右端、鳥居の手前にある木(↓)が、今回撮影した画像(↑)では見当たらない。
2019年の台風で一部破損したんだよねー。
したがって改修工事が行われ、2021年に竣工している。その時あるいはその前に、おそらく手前の木が切られたのでしょう。
今宮、あるいは新宮とも呼ばれる。
今宮も新宮も、新築のナウい(=死語だね)お宮さんって意味だね(⇐違うってば)。
新旧を比べてみてください。
上が2023年。下が2018年。
全然違うでしょ。
今宮の御祭神は土御門上皇、後鳥羽上皇、順徳上皇。
源実朝の死後、後鳥羽上皇と鎌倉の関係は難しくなる。
承久の乱(1221年)で北条義時に鎮圧された後鳥羽上皇。
今宮の祭神とされる皆さんは遠くへ流され、やがて亡くなる。
こちらは再び今の社殿。
その霊の怨みを抑えるというか、鎌倉としてはそれを弔い、この地味な場所でひっそりと静かにして頂こうと造られたのがこの今宮だ。
そうした背景があり、鎌倉のスポットの中でも中心部にありながら天皇寄りなマイナーな存在の場所であり、どことなくその成り立ちからして冷気が漂う場所なのである。
まず観光客は来ない。この時も誰もいなかった。
護良親王陵にも似たムードだね。
こちらは再び5年前に撮影された社殿。
私はこの古いデザインの方がいいと思うなあ。
怖さがあるよ。歴史の怖さがより強く感じられる。
直線的なデザインであり、白い塗り壁だからだろうね。
新しい社殿は普通の木造社殿のつくりで、屋根なんてかなり極端な曲線だしね。
あちこちに建っているが、読むのがちょっと面倒な鎌倉町青年団の史跡碑。
ん~、読めないね。
拡大しましょう・・・やっぱり読めない(笑)。
後ろには井戸がある。
新社殿を見ておきましょう。
屋根が大きくて、やはりその曲がり方が極端だね。
白い塗り壁から、全面が木の作りに。
5年前に来た時には奥にあった賽銭箱が、柵の外に出ている。
赤みが強い国産の杉や檜よりも、やや黄色がかっていて非常に目が細かい木が、新しい社殿には使われている。おそらく米ヒバ(イエロー・サイプレス)、あるいは米ツガ(ヘムロック)かなぁ?? どちらも北米産の木だ。こうやって見ただけだと、私にはそれが何だかまったく特定できないが。
「神社は国産材を使うはずだ!」と言う人もおられるかもしれないが、そんなことはまったくないよ。今や輸入材がどんどん使われている。特にこうした末社になると、もはやこだわっていられない。神社も経営が大事だからね。
この改修工事を担当したのは名古屋の魚津社寺工務店およびその設計事務所なのだ(かなりマニアックな情報だね(笑))が、電話して何の木を使ったか聞いてみようかな・・・嫌がられそうだから、やめておこ(笑)。
ついでに・・・お寺によってはその境内の面積の半分ほどを占める墓地。あそこ立っている墓石は今やほとんどが中国やインド等外国産だ。つまりお寺も神社も、見渡せば外国産素材がいっぱいってことだ。
今宮は竣工から二年経過しているが、今も木の香りがプンプンしている。
社殿全体が同じ木で作られているね。
私は鎌倉に関する本や雑誌はかなり多くを読んでいる。すると鎌倉中心部から北鎌倉にかけての地域の住宅あるいは商店の建築が、近年洋風になって景観が変わったと嘆く著者が散見されるが、それはちょっとヘンだと思う。
だってその著者が現代の基準で「和風」あるいは「日本風」と肯定的に呼ぶ建物も、歴史をわずか数十年でも遡って見れば、それは和風でも何でもなく、おそらく奇妙奇天烈なデザインの建物と言えるだろうからね。
むしろ様式を踏襲しているならば、西洋建築も美しく、鎌倉の景観に大きく貢献する。例えば市内浄明寺地区の華頂宮邸(下の画像。滑川を挟んで浄妙寺とは反対側にある)なんてすばらしいよ。鎌倉の景観に不釣り合いだとは私は全く思わない。ヘタな和風住宅よりよほど素材もデザインも美しいでしょ。
もし800年前から現代までの鎌倉の風景が画像で記録されていたとしたら、最後の70~80年だけが異様なスピードで大きく変化していて、その前の700年以上の期間の景観の変化は極めて緩慢なものだったことが認識できるだろう。戦後わずか70~80年の間に建てられた「和風」「洋風」の建築のほとんどが、それ以前の長い期間にはなかったスタイルのものだ。あまりに建て替えサイクルが短い国で起こる、景観の悲劇でもあるね。現代の基準で「和風」「洋風」を議論してもあまり意味がない。
鎌倉で最も重要と言える若宮大路の両側は、今や延々とビルが建っているしね。若宮大路にズラッと立ち並ぶ建物のうち、「変わってない」と言えるのは三河屋さん(酒店)くらい(?)ものだろう(笑)。こちら(↓)がそれ。
鎌倉の住宅の「和風」vs.「洋風」なんてことを嘆くなら、その前に、景観的に最も重要な若宮大路に沿って林立するビルを全部潰して、三河屋さん並みに純和風二階建てに建て直すことを提案するのが先かな(それは無理)。
さらに言うとですね、先に見たように、日本の伝統的様式に則ったように見える寺社の建築も墓石も、素材はそっくり全体が海外から運ばれて来たものであったりする。和魂洋才・・ちがうな、換骨奪胎・・これもちがうな(笑)。とにかくすっかり入れ替えられたような感じだ。
因みに我が家の構造材はダグラスファー内装材はオークやパインらだけで、北米産だ。土台はスプルースだったかな??・・記憶があいまい。
さて、今宮の話に戻りましょう。後ろは緩やかな斜面で、社殿は南西方向を向いて建てられている。
紋は丸鶴。
鶴岡八幡宮の神紋だ。
曲線が強調された建物になった。
私なら以前の社殿のデザインを踏襲するがなあ(・・・くどい?)。
以前の社殿とは、デザインがあまりに大きく異なるな。
さあ帰りましょう。
凸凹したところを歩きにくい靴で歩く、今日の私。
この日の鎌倉市内の幹線道路は、どの方向も大渋滞。
世間は日曜日だったので、神奈川県外のクルマだらけよ。
富士山同様、最近はどこも混み過ぎな鎌倉市内。
しかしこの混雑した道路のスグ近くに、今宮みたいな静かで霊気漂う場所があるんですよ。
お暇で、まだここへ行ったことがない方は、どうぞ行ってみてくださいね。
とても良いところですよ。
自宅@七里ガ浜東にたどり着いた。
芝刈りしてからまだ5日ほどだ。
これくらいのタイミングが一番キレイだね。
このまま伸びないで、芝は止まって~。
切なる願いだよ。
もう芝刈りしたくない。