「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

鎌倉鶴岡八幡宮の太鼓橋の歴史がいまいち見えない

2023-10-06 09:13:22 | あちこち見て歩く
今回は、昨日夕方の5時頃に撮影した画像を使おう(白旗神社の話の3枚だけは別で、数年前の画像だ)。

鎌倉鶴岡八幡宮の三の鳥居からすぐ近くのところに太鼓橋がある。


「若宮大路や源平池が出来てすぐに木製の朱塗りの橋(赤橋)が出来たが、それが太鼓橋の前身だ」とあちこちの解説に書いてある。

しかし太鼓橋に関するほとんどの解説が、その話の続きをいきなり20世紀に飛ばしてしまう。

「関東大震災で太鼓橋が崩落し、その後橋桁を鉄筋コンクリートにして現在の太鼓橋が作られた」と誰もが知るその話に、いきなり飛び移ってしまうのだ。


じゃあその二つの話の間、700年以上にわたり、最初の木製の赤橋がずっと残っていたわけ?

そんなはずないよね。しかしそれを語る鎌倉の解説って見かけない。


マニアックな話になるので、ご関心ない方はどうぞ、飛ばしてくださいね(笑)。

少なくとも江戸時代(元禄10年 / 1697年)から関東大震災(1923年)までは、石で出来た太鼓橋が存在したのである。

話が逸れるけど、関東大震災で崩れたと言えば白旗神社の鳥居があるよね。

この東京生命と書いたのがそれだ。



鶴岡八幡宮内の白旗神社の鳥居は、関東大震災で崩れた。その笠木が上の画像だ。これは白旗神社からすぐのところに置かれてある。

話がそれるが、石製の鳥居で笠木というのも変だけどね。

ちなみに門柱や塀の上に載せる水平な板状のものも笠木と言うよ。

すべてこうしたものが木製だった時代の呼称がそのまま残っているのだろうね。



我が家の門柱の上に載っているものも笠木だ。

材質はコンクリートで、木じゃないよ(笑)。

話を戻す。

白旗神社の現在の鳥居はこちらだ。震災後新たに建てられたものである。



その奥が白旗神社ね。


で、話を最初の太鼓橋に戻すと、江戸時代に造られ関東大震災で崩れた石製の太鼓橋の遺材って、今もどこかにあるのか?

さっきの白旗神社の東京生命と書かれた鳥居の笠木みたいなのが、太鼓橋についてもあるのか?

それがあるんだなーー。あるんですよーー。

どこにあるか? どんどんマニアックな話になるよ。


八幡宮の脇を北鎌倉・大船方面に抜ける道沿いに、クルマのお祓い所があるでしょ。

そのお祓い所の南側の脇に境内へと続く細い道がある。


そこを入るといい。


まっすぐまっすぐ行こう。


それが左手に現れるから。


これ(↓)だよ。



これが江戸時代に造られ、関東大震災で崩れた太鼓橋の橋桁の遺材だ。

今はなんと植栽の土留めとして使われているのだ。

しかも一部土に埋もれて(笑)。



何か彫られているのがわかりますか?

遠くからでも「元禄」はわかるね。


もっと近づきましょう。

右端に「元禄十(1697年)」とあるのは判るよね?


左端には「鎌倉材木座 石由 庄兵(衛)」とある。


ただし「衛」は埋もれてしまっている。

鎌倉の名門石材店石長(いしちょう)の四代目庄兵衛の名がここに残っている。

この太鼓橋を担当したのも、400年前の石長だったのだ。ただし当時は石長とは名乗っていない。

石長本店ビル(下の画像)は今も若宮大路沿いにある。


その前には石燈篭もあって、「下に石長」と書いてある。近年造り直された段葛に多数建ってる新しい石灯篭を担当したのも石長だよ。

江戸中期以降長く、この名門石屋さんの家長が「石工の長次郎」を名乗っていたらから「石長」。

というかなりマニアックなお話でした。

繰り返しになるが、江戸時代に造られた太鼓橋の橋桁の遺材の設置場所は、クルマのお祓い所の南側の脇の細い道を奥へ入った左手だ。興味ある人は行ってみましょう。

現場に行って八幡宮の職員さんに尋ねても「何言ってんだ、この人???」って顔をされるだろうから、事前に場所はしっかり把握しておいた方が無難だ。

植栽の土留めに使われていて一部土に埋もれているが、他の石よりはるかに大きいのですぐにわかりますよ。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今宮(新宮)@鶴岡八幡宮 in 鎌倉

2023-10-05 12:00:39 | あちこち見て歩く
コカ・コーラをほぼ毎日飲む。

炭酸、甘さ、冷たさ。気持ちいい飲み物だねえ。


実はひとつ、最近大変なことがあったのだ。

事件現場はここ。我が住宅地、七里ガ浜住宅地のプロムナードだ。

春のソメイヨシノが見事。


春はいいよ、春は。

問題は暑い時期。

チャドクガの幼虫(毛虫)が大発生する。サクラ、ツバキ、サザンカや茶の木にそれは多く見られる。


そして我が住宅地の緑のプロムナードにはサクラもツバキもあるし、サクラのプロムナードには当然ながらサクラが多い。

チャドクガの毛虫の毛は風に舞う。

そして飛んで、直接あるいは間接に肌についたら大変だ。毒がある。

痒いと感じてかきむしったりしたら、それはさらに広がる。

ただれたように赤くなる。実に痒いのだ。


エロ映画のようにモザイクかけ。

あまりにブチュブチュ気持ち悪いからね。

飲み薬や塗り薬にお世話にならないといけない。


私がこれに罹るのは二度目だ。

以前罹ったのは2011年だったと記憶する。

さて、本日は久しぶりに今宮(新宮)へ。


鶴岡八幡宮の駐車場の端っこから入る。

住宅地と八幡宮の森の間を入ればいい。


人はほとんど来ない。

私は何度か行っているが、ここで人に会ったことがない。

こんな道ですがね。


この道をまっすぐずぅ~~っと歩く。


まだ歩く。

左側の土地が空いているね。



売っているのかしら?

便利だし、住宅地としてはいいと思うよ。

見えて来ましたよ。


ジャン! お久しぶりの今宮(新宮)だ。


八幡宮の末社にあたる。

何年ぶりかな?・・・と調べてみると5年ぶりだった。

2018年に一度私はここへ来ている。


松林堂書店の店主さんとランチしたあとにここに立ち寄った(と私のブログに書いてあった)。

同じ場所で撮影した画像だが、今回撮影した画像(↑)と、5年前の画像(↓)では社殿が違う。

また5年前の画像の右端、鳥居の手前にある木(↓)が、今回撮影した画像(↑)では見当たらない。



2019年の台風で一部破損したんだよねー。

したがって改修工事が行われ、2021年に竣工している。その時あるいはその前に、おそらく手前の木が切られたのでしょう。

今宮、あるいは新宮とも呼ばれる。


今宮も新宮も、新築のナウい(=死語だね)お宮さんって意味だね(⇐違うってば)。


新旧を比べてみてください。

上が2023年。下が2018年。



全然違うでしょ。

今宮の御祭神は土御門上皇、後鳥羽上皇、順徳上皇。


源実朝の死後、後鳥羽上皇と鎌倉の関係は難しくなる。

承久の乱(1221年)で北条義時に鎮圧された後鳥羽上皇。

今宮の祭神とされる皆さんは遠くへ流され、やがて亡くなる。

こちらは再び今の社殿。


その霊の怨みを抑えるというか、鎌倉としてはそれを弔い、この地味な場所でひっそりと静かにして頂こうと造られたのがこの今宮だ。

そうした背景があり、鎌倉のスポットの中でも中心部にありながら天皇寄りなマイナーな存在の場所であり、どことなくその成り立ちからして冷気が漂う場所なのである。

まず観光客は来ない。この時も誰もいなかった。

護良親王陵にも似たムードだね。

こちらは再び5年前に撮影された社殿。



私はこの古いデザインの方がいいと思うなあ。

怖さがあるよ。歴史の怖さがより強く感じられる。

直線的なデザインであり、白い塗り壁だからだろうね。

新しい社殿は普通の木造社殿のつくりで、屋根なんてかなり極端な曲線だしね。

あちこちに建っているが、読むのがちょっと面倒な鎌倉町青年団の史跡碑。


ん~、読めないね。

拡大しましょう・・・やっぱり読めない(笑)。


後ろには井戸がある。



新社殿を見ておきましょう。


屋根が大きくて、やはりその曲がり方が極端だね。

白い塗り壁から、全面が木の作りに。

5年前に来た時には奥にあった賽銭箱が、柵の外に出ている。


赤みが強い国産の杉や檜よりも、やや黄色がかっていて非常に目が細かい木が、新しい社殿には使われている。おそらく米ヒバ(イエロー・サイプレス)、あるいは米ツガ(ヘムロック)かなぁ?? どちらも北米産の木だ。こうやって見ただけだと、私にはそれが何だかまったく特定できないが。

「神社は国産材を使うはずだ!」と言う人もおられるかもしれないが、そんなことはまったくないよ。今や輸入材がどんどん使われている。特にこうした末社になると、もはやこだわっていられない。神社も経営が大事だからね。

この改修工事を担当したのは名古屋の魚津社寺工務店およびその設計事務所なのだ(かなりマニアックな情報だね(笑))が、電話して何の木を使ったか聞いてみようかな・・・嫌がられそうだから、やめておこ(笑)。


ついでに・・・お寺によってはその境内の面積の半分ほどを占める墓地。あそこ立っている墓石は今やほとんどが中国やインド等外国産だ。つまりお寺も神社も、見渡せば外国産素材がいっぱいってことだ。

今宮は竣工から二年経過しているが、今も木の香りがプンプンしている。

社殿全体が同じ木で作られているね。


私は鎌倉に関する本や雑誌はかなり多くを読んでいる。すると鎌倉中心部から北鎌倉にかけての地域の住宅あるいは商店の建築が、近年洋風になって景観が変わったと嘆く著者が散見されるが、それはちょっとヘンだと思う。

だってその著者が現代の基準で「和風」あるいは「日本風」と肯定的に呼ぶ建物も、歴史をわずか数十年でも遡って見れば、それは和風でも何でもなく、おそらく奇妙奇天烈なデザインの建物と言えるだろうからね。

むしろ様式を踏襲しているならば、西洋建築も美しく、鎌倉の景観に大きく貢献する。例えば市内浄明寺地区の華頂宮邸(下の画像。滑川を挟んで浄妙寺とは反対側にある)なんてすばらしいよ。鎌倉の景観に不釣り合いだとは私は全く思わない。ヘタな和風住宅よりよほど素材もデザインも美しいでしょ。



もし800年前から現代までの鎌倉の風景が画像で記録されていたとしたら、最後の70~80年だけが異様なスピードで大きく変化していて、その前の700年以上の期間の景観の変化は極めて緩慢なものだったことが認識できるだろう。戦後わずか70~80年の間に建てられた「和風」「洋風」の建築のほとんどが、それ以前の長い期間にはなかったスタイルのものだ。あまりに建て替えサイクルが短い国で起こる、景観の悲劇でもあるね。現代の基準で「和風」「洋風」を議論してもあまり意味がない。

鎌倉で最も重要と言える若宮大路の両側は、今や延々とビルが建っているしね。若宮大路にズラッと立ち並ぶ建物のうち、「変わってない」と言えるのは三河屋さん(酒店)くらい(?)ものだろう(笑)。こちら(↓)がそれ。



鎌倉の住宅の「和風」vs.「洋風」なんてことを嘆くなら、その前に、景観的に最も重要な若宮大路に沿って林立するビルを全部潰して、三河屋さん並みに純和風二階建てに建て直すことを提案するのが先かな(それは無理)。

さらに言うとですね、先に見たように、日本の伝統的様式に則ったように見える寺社の建築も墓石も、素材はそっくり全体が海外から運ばれて来たものであったりする。和魂洋才・・ちがうな、換骨奪胎・・これもちがうな(笑)。とにかくすっかり入れ替えられたような感じだ。

因みに我が家の構造材はダグラスファー内装材はオークやパインらだけで、北米産だ。土台はスプルースだったかな??・・記憶があいまい。

さて、今宮の話に戻りましょう。後ろは緩やかな斜面で、社殿は南西方向を向いて建てられている。


紋は丸鶴。


鶴岡八幡宮の神紋だ。

曲線が強調された建物になった。



私なら以前の社殿のデザインを踏襲するがなあ(・・・くどい?)。

以前の社殿とは、デザインがあまりに大きく異なるな。

さあ帰りましょう。



凸凹したところを歩きにくい靴で歩く、今日の私。



この日の鎌倉市内の幹線道路は、どの方向も大渋滞。

世間は日曜日だったので、神奈川県外のクルマだらけよ。


富士山同様、最近はどこも混み過ぎな鎌倉市内。

しかしこの混雑した道路のスグ近くに、今宮みたいな静かで霊気漂う場所があるんですよ。



お暇で、まだここへ行ったことがない方は、どうぞ行ってみてくださいね。

とても良いところですよ。

自宅@七里ガ浜東にたどり着いた。


芝刈りしてからまだ5日ほどだ。

これくらいのタイミングが一番キレイだね。


このまま伸びないで、芝は止まって~。


切なる願いだよ。

もう芝刈りしたくない。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サザンでRelay~杜の詩♪ 自分史上初のゴーヤチャンプルー + 8 Peaksのビール@鎌倉七里ガ浜

2023-10-04 00:00:49 | 食べ物・飲み物
新しい作品からどうぞ。

サザンオールスターズ - Relay〜杜の詩♪

前回建長寺レシピで稲庭うどんのパスタを作った時に使ったゴーヤがあまってしまった。


自宅でめったに買わないゴーヤだ。

にがうりとも言うね。

それを縦に半分にして、種をとり、薄切りする。


冷蔵庫から野菜を組み合わせて出す。


これでサラダづくりだ。

トマトも切りましょう。


そろってきましたよ。



盛り付け完了。冷蔵庫へ。


豆腐を崩す。


まるで禅寺だね。

卵を溶く。


あじつけはこれよ。

塩、胡椒、醤油。


豚コマに塩と胡椒。



サラダ・ドレッシングは以下のとおり。


中華鍋に油を入れて加熱し、豚コマを炒める。


こちらでは崩した豆腐を揚げるように炒めている。



出来上がり。

一旦外へ出す。


豚コマを炒めたら、そこにゴーヤを加えて炒める。


そこにリケンの本かつおだしを使いましょ。


さらさらとかけて旨味を確保。


炒めたら、蓋して蒸す。


サービスでキムチも出しちゃう。


豆腐を入れて、溶き卵も入れて。


できましたーー。

ゴーヤチャンプルー定食です。


かなりおいしいわぁ~💛

人生初の自作ゴーヤチャンプルー。


バランスがいい食べ物だね。


ここにキムチを加えて炒めてもいいなあ・・・と妻が言った。

そうだね。

ここで話が変わる。

八ヶ岳西麓に行きたくてもしばらく行けない私のために、八ヶ岳西麓に行った人がわざわざ買って来て下さった8 Peaks の2本。


八ヶ岳山麓にある同社の斉藤社長が丹精込めてつくる銘柄のうち、私向きなペールエールとホップをきかせたIPAを選んでくれたわー💗

素晴らしいチョイス。ありがとうございます。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建長寺レシピで、ごぼうの揚げ煮と稲庭うどんのパスタ@鎌倉七里ガ浜自宅厨房

2023-10-02 17:55:22 | 食べ物・飲み物
またまた建長寺レシピ。


精進料理を学びましょう。


昆布に干しシイタケで精進だしを作る。


そのエキスをゆっくり出したら、ちょっと煮る。


「精進だし」と言って当たり前のように昆布を使っているが、鎌倉時代に昆布がこの鎌倉において、どこまで普及していたかね? 鎌倉というのは昆布から最も遠い場所だ。

昆布は北海道や東北北部でしか採れないのだ。

日本海側を船で南下して運ぶ方④が、太平洋側で同じことをする⑤より海流の関係ではるかに楽だったので、昆布の普及は日本海側や西日本ではるか早くに進んだ。現代のうどん・そばその他の料理の出汁でも明らかにそれが見られる。関東では、昆布より鰹や醤油を多く使う。

現代にいたってもその影響は残っている。鎌倉時代から800年近く経っても、昆布の消費量は①や②の地域で多い。③では少ない。鎌倉は昆布から遠いのだ。


しかし平安時代に京都のやんごとなき人々により昆布が消費されていたのは確実で、そうであれば京都と多くの人的交流があった鎌倉で、鎌倉時代初期において昆布が限られた人々の間で使われたことがあってもおかしくはない。

鎌倉時代中期には昆布がかなり広く日本で普及する。

したがって創建1253年、建長寺開山であり宋からいらっしゃった蘭渓道隆様が開基北条時頼に「ワタシ・コンブー・ダイスキアルネー」なんて言っていたとしても、そんなにおかしくはない。

ゴボウを切る。


アスパラガスも切る。


ゴボウとアスパラガスは揚げてから、干しシイタケと昆布の精進だしで煮る。

しかしここから先しばらくは、稲庭うどんのパスタの材料の話だ。

我が家としてはめずらしいゴーヤ。


断面がおもしろい。



中を掻き出して、薄切り。


大葉を用意する。


これは細切り。


トマトも用意する。小さく切りましょう。


稲庭うどんをパスタにするのだ。


このパスタはちょっと亜流だけど、鉢の木(北鎌倉の料理店)が提案する建長寺レシピのひとつだよ。

白ごま、胡椒、唐辛子を使いましょ。


再び話題を、揚げたゴボウやアスパラガスを精進だしで煮る作業に戻そう。

いよいよ精進だしの出番だ。


エキスが出切った干しシイタケと昆布。


これはこれで、あとでまた醤油で煮て佃煮風になる予定だ。

こちらのレシピがゴボウを揚げて煮たものだ。


ゴボウを揚げる。


精進だしに砂糖と醤油とみりんをブレンド。


ごぼうが揚がったよ。

いい匂いだ。


アスパラガスも揚げる。


ほらできた。

これを煮るのだ。


精進だしを煮たてて砂糖、みりん、醤油を加え、そこにゴボウを入れる。

次にアスパラガスを加える。


十分煮たら、ゴボウとアスパラガスの揚げ煮ができる。

一方ここからは再び稲庭うどんのパスタの話に戻ろう。

フライパンではオリーブオイルと唐辛子を合わせて加熱。


稲庭うどんは間もなく茹で上がる。


冷水で締める。


ゴーヤ、トマト、大葉、醤油、唐辛子、オリーブオイル、ごまとうどん。


ザザザッと炒めたら終了だ。

稲庭うどんのパスタと、ごぼうの揚げ煮。


おいしそうでしょ。

そこそこおいしいよ。


ごぼうの揚げ煮は完璧だ。


精進だしがきいてしっかり味付けられ、サクサクと食べられる。

稲庭うどんのパスタもいいね。


楽しい休日のランチ。

二つを並行して作ったので、途中、どっちがどっちかよくわからなかったでしょ。

SDGs的ランチなのでした。ゴボウの皮すら、捨てやしない。だしをとった干しシイタケや昆布も食べる。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早朝の七里ヶ浜でドガティ君と遊ぶ

2023-10-01 16:32:58 | ペット
まずはこちらから。

ビル・エヴァンスで名曲Autumn Leaves♪

 

朝早く起きたら、さあ行こう。


ドガティ君が大好きな七里ヶ浜へ。


この坂(↓)を下りたということは、もう行き先は決まっている。


ドガティ君はどんどん速くなる。


私は置いてゆかれる。


行合橋交差点。


長いリードにしてもらったドガティ君。


「おとーさんも、おかーさんも早く来い」

「そのボールで遊んで!」


しらす漁船だねー。


今日は海水の透明度が高い。

ボールを追って遊ぶよ。


あちこちに足跡をつけて遊ぶドガティ君。


我々はボールをあちこちに投げるが、彼はそれを追う。



「さあ、おかーさん、どっちに投げる?」


「どこに投げてもボクはすぐに咥えて来るよ」


おかーさんとドガティ君は内緒話中。


またボールを追いかける。全力疾走だ。


「あはは、あはは、おもしろい」


ボールかみかみが好きなドガティ君。


「おとーさん、おかーさん、毎朝ここまで来ましょうよ」(いやです)


海は嫌いなドガティ君だが、ボールが海に入ると喜んで海に入る。


下の画像中央にうっすら見えるのは富士山。


その下に見えるのは小動(こゆるぎ)の岬だ。

まだまだボールを追うぞ。


「ボク、楽し過ぎます」


ボールを投げつつ東へ移動中。


上に上がったボール(↓)。でもそれより先にフライングして先頭を走るドガティ君。


行合川河口にお友達が集結中。


みんなとご挨拶。よく知ってるワンコたち。

「今日はいいことが朝からいっぱいあったな」


みんなが帰って行くよ。


ひとりだけ「帰るのが嫌だ」と言っているワンコがいる。

それがドガティ君だ。


「帰らない、帰らない、ボクは帰らない、上り坂は嫌いだし・・・」


なだめすかして、移動。

七里ガ浜住宅地に帰って来た。


だれーーもいないねえ。


まだ朝早いからね。

もうちょっとで自宅ですよ。


私はかなり疲れている。

だって睡眠時間は短めで、早朝からこれでしょ。

疲れるよね。


運動用リードは砂だらけ。


特にサルカンはよく洗いましょう。砂が詰まるからね。


洗ったら干す。


ドガティ君はお風呂。


やっと朝ごはんだ。

ニンゲンもワンコも。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする