九州二日目午後は、九州新幹線で、熊本から新八代へ、そこから高速バスで人吉へ。人吉城だ。人吉は滞在時間が長く、城下巡りもしたせいか、街をだいぶ覚えた。
一昨年の大水害の復旧がいまだに続いている。鉄道も止まったままだ。人吉温泉と人吉紀行は、また別の日に書くとして、今日は百名城の人吉城。
人吉城は、球磨川とその支流の胸川を背後にしている山城と平城だ。戦国が終わり、多くの大名は、平地に屋敷を作り、ここに住んだ。山城は戦いのためだったが、もう平和な時代、不便な山城には住んでいなかった。
さて、人吉歴史館、一昨年の水害で資料がダメになり、いまでも閉館中だ。ただしスタンプはゲットできる。人吉は相良氏が長く治めていた。別名「織月城」(せんげつじょう)とも言う。
そして現在見ることができる建物は、復元だ。多聞櫓に長塀、角櫓、それに水手櫓。
(写真は、多聞櫓と長塀)
水手櫓は、球磨川の水運のためのものだ。水手櫓付近の、この部分の石垣が、はね出し石垣になっている、珍しい。
西南線戦争の舞台にもなった。薩軍は、この上の二の丸に大砲を上げて、政府軍めがけて撃った。しかし、薩軍のは届かず、政府軍のほうが届き、薩軍は撤退したそうだ。
その三の丸に、二の丸。球磨川の展望がいい。近所の中学生が、部活だろうか、登って来る。中学生にとっては、学校の裏山程度のものなんだろう。羨ましいね。
一番奥には、本丸。しかし、天守は築かれなかった。護摩堂というお堂が建てられただけだそうだ。
翌朝、改めて、宿から球磨川にかかる橋に行き、百名城を写す。