kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

感情論

2007-02-01 | 考える
「授業のために必要だ!」「生徒に○○の力をつけるために必要だ!」と思う事は「感情論」なのだろうか?思い付きで話をするわけではないし、力をつけるためには最低限今の環境を維持して欲しいと願う…、それが感情論だと言われたらどう対応しろというのか?新しいものを準備するわけではなく、今まであった環境を維持して欲しいという気持ちは「事務的な考え方」「行政的な考え方」には「無駄だからいらない」という事につながるのだろうか。

事務的な考え方は私には分からない。人と関わる仕事を「事務的」にこなせというなら今の仕事にはほとんど興味を感じなくなるだろう。何度もいうが子ども達の「未来」を預かっている仕事だと思っている。短期的な結果や成果ではなく、10年後に力が発揮できればいいとずっと思ってやってきた。たまたまhika rikuさんにお礼メールと一緒に今の私の気持ちを送らせて頂いたが、送った後に全く違う場面で「感情論」と言われてしまう出来事があって衝撃を受けたわけで…。

今は分からなくてもきっといつか「大切なこと」に気付く時が来る。後悔をすることになるかもしれないが気付かないまま生きていくよりはきっと「後悔」をしてでも気付くほうがいい。私は授業や部活でその『種』を与えているつもりです。周りからは「何をやってるの?」と言われるかもしれない。でも「見えない力」の『種』を与えておく事がきっとこの子達の将来に役立つと信じています。

誰かを思いやる気持ち、苦しさから逃げない気持ち、他の者と力を合わせて何かを成し遂げる、何をすべきかを判断し行動に移す力等を身につけるために様々な取り組みをしているつもりです。これぱ「自分のため」ではなく「子ども達に必要だ」と考えるからです。誰にだって悩む事、失敗する事がある。そこから何を学ぶかが大切であって、私から大人から強制される事には全くの意味を持たない。全ては「自分自身」のためだから。

立ち止まること、戻る事を恐れていては何も始まらない。『失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい』「真剣ならば、たとえ失敗しても、ただは起きぬだけの充分な心がまえができてくる」という文章があり、うちの選手達に渡した。伝えたいものがあったから…。これが『種』になるんだと思う。

「感情論」と言われても訴え続ける。発信し続ける。無駄になるとは思わない。『種』を植えるのが私の役目だと想っているから。理詰めより強いのは「感情」なんじゃないかな…。何が大切か…。信じるものをやり続けなければモチベーションが維持できない…。私がモチベーションを低下させることはきっと子ども達のためにはならない。今は立ち止まれない。

『失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい』。自分自身にも言い聞かせたい…。たとえ感情論だと言われても…。
コメント
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