土曜日、練習は学校で。トレーニングとしました。この日は色々と思う事があり、開始時にミーティングから始めました。前日に話をした内容をもう一度確認しておきたかったというのもあったので。
8月1日となり、私が直接指導をし始めて120日が過ぎました。1年間の3分の1が過ぎたのです。この段階で本当に練習が出来てきたか?2年生はこれまでとのギャップに戸惑うこともあったでしょう。が、1年生は全ての基準が今の指導体制です。今の指導体制は適材適所になっていて私は短距離、もう一人の指導者は長距離と完全に分担できています。これができるだけで全く違ってくると思います。
「強くなるために」という目標を掲げてチーム作りを進めています。が、本当にそれに見合う努力が出来ているのか?ここは分かりません。今週はあれこれあって練習に来ていない者が数人います。学校行事とはいえ、全く練習に参加していません。休むと報告しに来たときに「自分達で時間を合わせてやるように」と指示をしましたが、どう考えてもやっている様子はありませんでした。確認をすると「家で少し補強しました」とのこと。何人か聞きましたが聞くたびに声が小さくなっていきます。間違いなくやっていないんだろうなという感覚。え?これって決めつけだと言われて否定されますか?間違いない事実だと感じますし、その返答を聞いた他の選手も同じことを感じていると思います。日頃往生だと思っています。
実際問題、この一週間の差は大きいと思います。しっかりと練習した選手とほとんど何もやっていない者がいる。この差はどうするのか?「やりました」という返答。腹筋を1回やってもやったことになる。が、そのレベルと必死で練習してきた選手の差は埋められるでしょうか?埋めるためにはそれぞれが大きな努力を自分達でやらないといけなくなります。私が大きなことを求めすぎなんでしょうか?高校生に何を求めているのかって思われますか?ではいつになったら「一生懸命やる」って事を学べるでしょうか。社会人になったら身につくのでしょうか?足りない部分を自分でやらないと追いつけないっていう感覚は自然に身につくわけではありません。経験的に学べないとアウトだと思っています。
実際問題、怪我をして思うように練習ができなくても涙を堪えて必死に練習をしている選手がいます。この姿をみて何を思うのか?多分、感じられない選手にとっては全くわからないと思います。でも、私は見ています。なんとかしたいという気持ちで毎日を必死に過ごしている選手がいるのです。それと全く同じ気持ちでやる事を求めるのは不可能です。それでも多少なりと近づいていこうとする努力は必要だし、感じて欲しい。それって求めすぎなんでしょうか?同じ高校生です。できない事はないと思います。
更に少し話を。「切磋琢磨」について。磨くという事に関して。これをどう捉えるか?同じチームとして何を目指すのか?それなりに練習をしていて本当に強くなれるのか?磨くこと=努力して少しでも強くなる事を自分のためにどれだけできるのか。上述の内容、「家で補強しました」という部分です。磨くという感覚があれば「補強を少しやった」だけでは足りない事が分かるはずです。そういう意識がなければどれだけ技術的な練習をしても身にはつかないと思います。やるだけの練習ではダメだから。自分のために自分を磨く。これは感覚的なものだと思っています。他人から教えられるものではない。感じ取れない子はやっぱり分からないのかもしれない。
そして「磨く」ことは一人では出来ない。陸上は個人競技と言われる。だから一人でやればいい。そう思われるかもしれない。でも、本当に強くなろうと思えば「団体競技」なのです。近くにいるライバルの存在を認め、競争していかないときちんと磨けないのです。一人で磨いていたら「自分が一番やっている」と思い込んでしまうから。隣にいるライバルが補強をやっていたらそのライバルよりも1回でも多くやる。そうやって競争があるから磨けるのです。他者と比較して「これでは足りない」と感じられるようになってくると確実に行動が変わります。
ライバルに「勝てないから仕方ない」と思っている選手は「磨く事を諦めてしまった」のです。この手の気持ちを持っていたら競技はできなくなるのです。強豪校と言われる学校で競技をする事の最大のメリットはここだと思います。常に自分が一番になれる環境ではないから。学年が上がっても近くに同レベルのライバルがいる。だからもっと強くなろうとする。一人では絶対に強くなれない。そこに技術的な指導と長期的なトレーニングの視点が入ってくると見違えるほど変わるのではないかと思います。
そんな話をかなりしました。どこまで響くのかは分かりません。同じ話をしても感じられない選手は出てくるでしょうから。私はチームとして作っていきたい。私がいるから進学したいと言ってもらえるとしたらそれは幸せな事だと思います。が、もっともっと幸せなのは「あのチームの雰囲気が好きだからあそこでやりたい」と言ってもらう事。選手が評価を受けてくれるのが一番なのです。単純にはそういきません。分かっています。それでもきちんと指導を続けていきたい。
磨くのは自分。それが分からない間は変化はない。一人では磨けない。そこには仲間が必要で、ライバルが必要で、指導者が必要になる。その感覚を持たないと本当の意味での「磨く」という行為はできないと思います。これからです。これからなんです。足りなければ気づけばいいだけ。そのチャンスは与えたい。そう思っています。
練習前でしたがかなり話をしました。こういう機会がなければ「心」を磨く事はできないですからね。練習も大切。でも「心」を磨く事はもっと大切です。取り組みの姿勢に反映されます。これが変わらないと何をやっても変わらないと思っています。技術的な練習だけでもダメ。トレーニングだけでもダメ。そこの根本にある「心」が取り組みを決めるのです。
伝わったでしょうか。自己満足と言われたらそれまで。否定しません。それでも私は自分の正しいと思う事をやっていきます。
8月1日となり、私が直接指導をし始めて120日が過ぎました。1年間の3分の1が過ぎたのです。この段階で本当に練習が出来てきたか?2年生はこれまでとのギャップに戸惑うこともあったでしょう。が、1年生は全ての基準が今の指導体制です。今の指導体制は適材適所になっていて私は短距離、もう一人の指導者は長距離と完全に分担できています。これができるだけで全く違ってくると思います。
「強くなるために」という目標を掲げてチーム作りを進めています。が、本当にそれに見合う努力が出来ているのか?ここは分かりません。今週はあれこれあって練習に来ていない者が数人います。学校行事とはいえ、全く練習に参加していません。休むと報告しに来たときに「自分達で時間を合わせてやるように」と指示をしましたが、どう考えてもやっている様子はありませんでした。確認をすると「家で少し補強しました」とのこと。何人か聞きましたが聞くたびに声が小さくなっていきます。間違いなくやっていないんだろうなという感覚。え?これって決めつけだと言われて否定されますか?間違いない事実だと感じますし、その返答を聞いた他の選手も同じことを感じていると思います。日頃往生だと思っています。
実際問題、この一週間の差は大きいと思います。しっかりと練習した選手とほとんど何もやっていない者がいる。この差はどうするのか?「やりました」という返答。腹筋を1回やってもやったことになる。が、そのレベルと必死で練習してきた選手の差は埋められるでしょうか?埋めるためにはそれぞれが大きな努力を自分達でやらないといけなくなります。私が大きなことを求めすぎなんでしょうか?高校生に何を求めているのかって思われますか?ではいつになったら「一生懸命やる」って事を学べるでしょうか。社会人になったら身につくのでしょうか?足りない部分を自分でやらないと追いつけないっていう感覚は自然に身につくわけではありません。経験的に学べないとアウトだと思っています。
実際問題、怪我をして思うように練習ができなくても涙を堪えて必死に練習をしている選手がいます。この姿をみて何を思うのか?多分、感じられない選手にとっては全くわからないと思います。でも、私は見ています。なんとかしたいという気持ちで毎日を必死に過ごしている選手がいるのです。それと全く同じ気持ちでやる事を求めるのは不可能です。それでも多少なりと近づいていこうとする努力は必要だし、感じて欲しい。それって求めすぎなんでしょうか?同じ高校生です。できない事はないと思います。
更に少し話を。「切磋琢磨」について。磨くという事に関して。これをどう捉えるか?同じチームとして何を目指すのか?それなりに練習をしていて本当に強くなれるのか?磨くこと=努力して少しでも強くなる事を自分のためにどれだけできるのか。上述の内容、「家で補強しました」という部分です。磨くという感覚があれば「補強を少しやった」だけでは足りない事が分かるはずです。そういう意識がなければどれだけ技術的な練習をしても身にはつかないと思います。やるだけの練習ではダメだから。自分のために自分を磨く。これは感覚的なものだと思っています。他人から教えられるものではない。感じ取れない子はやっぱり分からないのかもしれない。
そして「磨く」ことは一人では出来ない。陸上は個人競技と言われる。だから一人でやればいい。そう思われるかもしれない。でも、本当に強くなろうと思えば「団体競技」なのです。近くにいるライバルの存在を認め、競争していかないときちんと磨けないのです。一人で磨いていたら「自分が一番やっている」と思い込んでしまうから。隣にいるライバルが補強をやっていたらそのライバルよりも1回でも多くやる。そうやって競争があるから磨けるのです。他者と比較して「これでは足りない」と感じられるようになってくると確実に行動が変わります。
ライバルに「勝てないから仕方ない」と思っている選手は「磨く事を諦めてしまった」のです。この手の気持ちを持っていたら競技はできなくなるのです。強豪校と言われる学校で競技をする事の最大のメリットはここだと思います。常に自分が一番になれる環境ではないから。学年が上がっても近くに同レベルのライバルがいる。だからもっと強くなろうとする。一人では絶対に強くなれない。そこに技術的な指導と長期的なトレーニングの視点が入ってくると見違えるほど変わるのではないかと思います。
そんな話をかなりしました。どこまで響くのかは分かりません。同じ話をしても感じられない選手は出てくるでしょうから。私はチームとして作っていきたい。私がいるから進学したいと言ってもらえるとしたらそれは幸せな事だと思います。が、もっともっと幸せなのは「あのチームの雰囲気が好きだからあそこでやりたい」と言ってもらう事。選手が評価を受けてくれるのが一番なのです。単純にはそういきません。分かっています。それでもきちんと指導を続けていきたい。
磨くのは自分。それが分からない間は変化はない。一人では磨けない。そこには仲間が必要で、ライバルが必要で、指導者が必要になる。その感覚を持たないと本当の意味での「磨く」という行為はできないと思います。これからです。これからなんです。足りなければ気づけばいいだけ。そのチャンスは与えたい。そう思っています。
練習前でしたがかなり話をしました。こういう機会がなければ「心」を磨く事はできないですからね。練習も大切。でも「心」を磨く事はもっと大切です。取り組みの姿勢に反映されます。これが変わらないと何をやっても変わらないと思っています。技術的な練習だけでもダメ。トレーニングだけでもダメ。そこの根本にある「心」が取り組みを決めるのです。
伝わったでしょうか。自己満足と言われたらそれまで。否定しません。それでも私は自分の正しいと思う事をやっていきます。