kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

時間配分

2018-01-28 | 陸上競技
練習に関して。

昔から「時間配分」が苦手なところがある。2時間練習計画を立てたとしても結局3時間かかってしまう部分。ここは考え直さないといけないと感じている。短時間で練習を終わらせよう棟思っているわけではないがある程度のところで終わらせていきたい。

先日1時間練習計画を立てた際、「かなり少ないな」と思いながらやってみるとちょうど1時間で終了。計ったように1時間。ほとんど休みなく動き続ける1時間なのでかなりハードだと思う。それでも「少ないな」と思うレベルの内容。他がどれくらいやるのか分からないので判断基準は自分自身の中にしかないのですが。

どうしても「やりたいな」と思うことを詰め込んでしまう傾向がある。前までは「3セット」のように同じ種目を何度も何度もやっていく傾向があった。今は少し変えてあれこれやる形になっている。練習の準備なども含めてかなりやることがある。hkt高校ではマネージャーが複数いて彼女たちが円滑に練習をサポートしていた。こういう部分で効率よく練習が進むのだと思う。

うちはマネージャーがいないので準備も片づけも全て自分たちでやる。そうなるとその時間も含めての練習計画にしなければいけない。どうしても「練習のバリエーション」を増やしたくなるので練習道具の出し入れなどが関係してきて時間配分が上手くいかない。

最近は走る量自体は減っている。走り込みといってもそれほどの量は追わない。一定水準の競技レベルまでは「走り込み」が必要だと思っている。走る中でしかつかめない感覚もあると思うので。が、走練習ばかりやっていると他の部分が追い付かない。走れる本数というのは案外限られている。それ以外の方法で「予備負荷」をかけておいてそこから走れるようにする。

あれこれ練習パターンを考える。最近はちょっと固定化しつつあるが。練習の準備に時間がかかる種目は極力減らしたい。が、「強制的に動きを作る」という意味では道具を使った練習の効果は高い。ここもバランスだと思う。こうやってやりたいことをピックアップしていくとどうしても練習時間が長くなる。練習強度が高いかどうかは別にして時間配分が上手くいかなくなる。

もっと絞ってやっていくほうが良いのかもしれない。ここに関しては未だに試行錯誤中。性格的に「あれこもこれもやりたい」というのがあるので。今はできれば最大でも2時間半程度で練習自体を終わらせたいなと思っている。色々なバランスも考えながら。「鍛える」という部分に特化し過ぎてしまうとそれに対する弊害も出てくる。見逃せない部分かなと。

練習に関しては必死にやるようになっている。以前に比べると細かいところにこだわりながらやる。できない部分は質問をしながら互いにチェックする部分も出てきた。そういう部分では「質」は間違いなく上がっている。そうなると「負荷」が自然と大きくなる。故障のリスクも大きくなる。だとすれば「練習量」の考え方自体も変えていかなければいけない。

時間配分。これをどう考えるか。答えはないが自分なりのやり方をもっと模索していきたいなと思う。
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考えさせられる

2018-01-28 | 陸上競技
色々と思うことがあります。

良い練習をする。そこはすごく大切なことだと思います。練習さえすればいいのか。ここも考え物だと思っています。ちょっとしたことがありました。どの立場から見るかによってその正当性は異なると思います。が、私的には「違うな」と思う部分。「自分の都合」を最優先することで誰かほかの人に迷惑をかける可能性がある。約束していた部分を反故にする。これはやはり違うのではないかと思います。

この数週間、限られた時間の中で練習をするという部分がありました。その「限られた」という部分の解釈の仕方はそれぞれ違ってくると思います。「練習時間が1時間になる」というのであればそれはそこで受け入れていくしかない。しかし、その部分に対して「事実とは異なる」のであればそれは「互いの約束」が成立しなくなる。それで本当にいいのか。

これまで指導してきて「中国大会に行きたくないな」と思ったことがありました。チームとしては「勝ってはいけない」という状況があった。それでも勝ち上がれていた。それは次につながる意味があったのかもしれない。苦しい状況の中で「戦う」という意味。

ここ最近、練習自体はかなりの質の中でできていたと思います。かなり力がついてきているなと感じている。が、「良い練習をする」ことだけを求めるのか。比較対象がどこなのかという部分はありますが、技術的な指導や練習に関してはある一定水準を越えてできていると思います。メニューだけをやる。技術的な指導を受けられないという環境も驚くほどある中で「恵まれている」という部分はある。

が、本当にその意味が分かっているか。「約束事」の意味。前回のblogに書いていますが「検定課外があるから練習ができないのは仕方ない」というのは違うと思っています。勉強時間の確保は必須。そこに対しては異論はありません。が、「意味」が違う。勉強をしなければいけないので練習できないのは仕方なないというは自己正当化でしかない。

「勝負」という部分では関係ないから。自分の都合を最優先するというのでは組織は存在できない。集団で行動する部分が出てくるから。競技であれば「個人」で争う部分がある。が、練習などは一人ではできない。だから力を合わせながらやっていくことになる。その視点が失われるようなことはあってはならないと思っている。

考えさせられます。
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