碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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『ヒューゴの不思議な発明』に困った

2012年03月10日 | 映画・ビデオ・映像

映画『ヒューゴの不思議な発明』。

世界各国でベストセラーとなったブライアン・セルズニックの冒険ファンタジー小説「ユゴーの不思議な発明」を、マーティン・スコセッシ監督が3Dで映画化。駅の時計台に隠れ住む孤児の少年ヒューゴの冒険を、「映画の父」として知られるジョルジュ・メリエスの映画創世記の時代とともに描き出す。1930年代のパリ。父親の残した壊れた機械人形とともに駅の時計塔に暮らす少年ヒューゴは、ある日、機械人形の修理に必要なハート型の鍵を持つ少女イザベルと出会い、人形に秘められた壮大な秘密をめぐって冒険に繰り出す。

とにかくスコセッシ監督作品ですから、無条件で劇場へ。

ただし、予備知識なしに観ようと思い、原作の内容も含め、事前に中身についての情報は出来るだけ遮断して、“出会いがしら”を目指しました。

で、先に言っちゃうと、「うーん、困ったなあ」といった感じです。

こういう話だったのかあ(笑)。

確かに映像は見事だった。

そして、スコセッシ監督の「映画愛」なるもの、映画監督の大先輩としてのメリエスに対する敬愛も、十二分に伝わってきます。よーくわかりました。

でも、それが、まんまこの作品に感動することに、どーにも自分の中で繋がらなくて、困ったわけです。

あらら、ということもいくつかあって・・・

・特に前半の、退屈一歩手前のズルズルしたテンポ。

・主人公の少年の気持ちが、いまいちよくわからない。

・メリエスが映画と別れてしまう理由って、アレでいいのか。

・機械人形に隠された謎、メッセージが、アレなのか(笑)。

などなど。


スコセッシ監督が選び、歩んできた、映画という世界への“感謝と自負”を、実績的にも年齢的にも、「そろそろ残しておいてもいいかな」と思ったのかもしれません。

そういう意味では、これ以上ない、というくらい監督の思いは表現されておりました。