クリスチャンとかなら教会にでも行くんだろうが、そうじゃないので、結局、午後2時46分に「黙とう」するためにだけ、東急線に乗車してきました。
この時間の3分前に、私が乗った電車は、「非常時の列車一斉停止訓練」という名目で駅に停車。
そして46分になった時に、「よろしければ黙とうを」という車内アナウンスが流れた。
一瞬、車内を見まわしたら、ほとんどの人が目を閉じました。
私も急いで帽子を取り、黙とう。
次の駅で降りて、好きなコーヒー屋さんで一休みし、また電車に乗って帰ってきました。

テレビについて言えば、仕事をしながら、朝からずっと、あちこちの震災特番を見ていた。
その結果、今、順不同かつ断片的に思い出す映像は・・・・
●みのもんたが被災地に、あの大パネルを持って行っていた。
●1年前に取材した被災者たちを訪ね、現在の様子を取材していた。
●木村太郎が復旧したという被災地の鉄道に乗っていた。
●1年前、視聴者が撮った映像の中で「津波から逃げていた人」を探し出し、インタビューしていた。
●アメリカ軍による「トモダチ作戦」のエピソードを紹介していた。
●長渕剛が被災地でずいぶん憤っていた。
・・・などなど、です。

こうなると、3月11日のテレビ東京の"通常”編成には、何かしら深い意味、もっと言えば独自の“見識”のようなものがあったのではないか、と思えてきたりして。
たとえば・・・
「ウチ(テレ東)は、3月11日であろうとなかろうと、震災や原発に関する新たな事実といった、伝えるべきことがあれば、いつでも伝えます。だから1年という区切りが存在するかのような、まるで震災も原発事故も終息したかのような、<いい話><今だから言える話><泣ける話>などを並べたイベント的な特番をこの日にやることは、あえてしないんですよ」
・・・とか。
まあ、本当のところはわかりませんが、各局の怒涛のごとき震災特番にやや疲れるたび、マラソンの給水ポイントのような感じでテレビ東京を訪問し、震災とは無関係な番組を眺め、少しホッとしたことを、正直に記しておきます(笑)。