NHK-BSプレミアムで、映画『黒部の太陽』特別編を観た。
未曾有の難工事だった黒四ダムの建設を描いた熊井啓監督作品で
あり、ずっと見たいと思っていた1本だ。
公開は1968(昭和43)年だが、この作品は現在に至るまでビデオ化されていないし、テレビでの放映もほとんどなかった。
また、最近だと2003年に石原裕次郎17回忌で記念上映が行われた以外、劇場でのリバイバル公開もあまりない。
公開当時、私は信州の中学生だったが、信州にかかわる作品、信州出身の監督ということで、学校の体育館に映画館が出張する形で、全校生徒が一緒に観た。
それ以降は『黒部の太陽』を観ていない。
慶大SFCで教えていた90年代の終わり、「日本映画の巨匠たち」シリーズと題して、監督の講演と上映会を連続して行ったことがある。
上映はビデオやDVDではなく、映写機と映写技師さんをチャーターしてでも、スクリーンでの上映にこだわった。
学生たちに、”映画という体験”をして欲しかったからだ。
このシリーズ・イベントで、母校(松本深志高校)の大先輩である熊井監督にも藤沢キャンパスまで来ていただいた。
当初、私は『黒部の太陽』を上映したいと思い、監督に相談している。
すると、監督から「あの作品だけは難しいんだよ」と残念そうな返答があった。
実際そうだった。
上映は叶わなかった。
最終的には、『海と毒薬』を上映することにした。
そんなわけで、昨夜、BSプレミアムで『黒部の太陽』が流されること
自体に、さまざまな感慨があったのだ。
ただ、放映された「特別編」を観ていて、「あれ?」と思った。
記憶の中にあるシーンが出てこなかったのだ。
「中学生時代の記憶だから」とも思ったが、熊井監督のシナリオで確認してみた。
そこには、今回の「特別編」で消えていたシーンがあった。
映画のラストで、三船敏郎が演じる関西電力の黒四建設事務所次長が、すでに観光地となった黒四ダムを訪問する。
その際、三船は、ダムへと客を運ぶバスから、トンネルの途中で降りるのだ。
そこは難工事の現場である「破砕帯」の部分。
80数メートルの距離に長い時間と多くの犠牲を払った場所だ。
トンネル内には「これより破砕帯」と「破砕帯おわり」という、2つの表示ランプが設置されている。
三船は、その2つの表示の間を、自分の足でゆっくりと歩く。
歩きながら、苦しかった当時の出来事を思い出すのだ。
いいシーンだった。
実は、特別編では、この部分だけでなく、気がつかないけれど、たくさんのシーンがカットされているのだ。
熊井監督が書き残してくれた『黒部の太陽 ミフネと裕次郎』(2005年刊)によれば、この映画の封切版の長さは「3時間15分」。
しかし、2003年の裕次郎17回忌記念上映も、今回のBSプレミアムでの放映も、「2時間10数分」の長さである。
監督は、シナリオも収録したこの本の“あとがき”で、「私は三時間十五分の『完全版』の再上映を強く望むものである」と書いている。
上映に関しては、石原プロがコントロールしているはずだ。
完全版の“封印”をめぐって、どんな事情があるのか、くわしいことは知らない。
ただ、一人の映画ファンとして、熊井監督が生前に果たせなかった完全版の上映を、私もまた強く希望するものであります。