あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ジョン・ウー監督の「ハードボイルド 新・男たちの挽歌」を見て

2013-04-15 07:01:12 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.435

中国の傘下に組み込まれる以前の香港映画はどれもこれも無類に面白かった。

1992年に製作されたこのハードボイルド映画も、暴力団と警察が敵味方入り乱れて無茶苦茶に殺しまわる。それは確かに家や句や火薬やダイナマイトの浪費なのだが、そのゆく宛てなしのアナーキーさ自体が人間精神の自由さと儚さを象徴しており、単なるフィルム・ノワールとして片づけられない存在感を内蔵していた。

本作における監督のジョン・ウー、主演のチョウ・ユンファ、トニー・レオンなどの世界を股にかけた大活躍は誰もが知る通りだが、1997年の中国への併合以降の彼らはどこか根こぎにされたうつろな漂流者の面影を漂わせているように思われる。

やはり悪しき政治は、良き映画の友人にはなれないのであろう。



わたくしを黄泉の国に招いておる曇天の空に漂う白き花々 蝶人
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高村是州著「ファッション・ライフのはじめ方」を読んで

2013-04-14 10:17:55 | Weblog


照る日曇る日第585回&ふぁっちょん幻論第74回


文化学園大学の先生で以前は文化服装学院や東京モード学院、バンタンデザイン研究所などでもデザイン画を教えていたことのある高村選手の手になるふぁっちょんライフの基本教則本です。

この方がこれまでに書かれたストリート・ファッションのデザイン画や実践的な技術書は本邦のみならず英語、フランス語、中国語、韓国語に翻訳されて世界中で読まれているのです。

わが親愛なる高村選手が2010年にジュニアのために書き下ろしたこの新書では、ファッションに関する初歩的な用語解説、自分らしい着こなしをするためのキーポイントが懇切丁寧に書かれていて、とりわけ私のような田舎者たちの必読書といえませう。



性愛の淵に溺れしヒロインの叫びに黙す川喜多記念映画館 蝶人

悦楽の井戸に溺れしヒロインの叫びは哀し『愛の亡霊』
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ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭のヘンデル「ジュリアス・シーザー」を視聴して

2013-04-13 09:42:31 | Weblog



♪音楽千夜一夜 第302回

バルトリがデイレクターを務めることになった12年のザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭で、ヘンデルを歌いました。まあ歌は絶好調で素晴らしい。脇役で出ているアンネ・ソフィー・オッターが完全にかすむほどの出来栄えで、自分の思い通りの声と表現で完璧に歌いきっている。いまが歌手生活の最高の時を迎えているのではないでしょうか。

劇伴はジョヴァンニ・アントニーニ指揮のイル・ジャルディーノ・アルモニコですが、このオケは古楽器の嫌いなわたくしがフライブルグ・バロックと並んで高く評価する演奏団体で、とびっきり新鮮で溌剌とした音色を発し続けます。

モーシュ・レゼールとパトリス・コーリエ の下品で挑発的な演出については各方面から非難轟々顰蹙万響ですが、ならば私はあえてこれを擁護したい。例えば劇中で捕虜にしたクレオパトラをセストが犯すシーンなども、じっさいに彼女とその弟のプトレマイオス13世とは「姉弟婚!」をしているので、あながち荒唐無稽とは言い切れない。それなりに史実を研究しキーポイントを押さえている形跡もあるのです。

さらにあえていうなら、ヘンデルのオラトリオやオペラの多くは冗長で退屈です。同じ歌詞による旋律を2度、3度、4度、5度としつこく繰り返し、ドラマの進行がさながらNHKの大河ドラマ「清盛」や「八重の桜」のようにまどろっこしいので、せめて演出くらいは思い切って遊んでくれないと、いくら天下の大歌手たちが名アリアを歌いまくっても次第にあくびが出てくるのです。

したがって私が勝手に昔風ミニマルオペラと命名しているヘンデルとロッシーニに限っては、このような面白おかしい現代風演出もあってよろしいのではないでしょうか。じっさい2011年にロバート・カーセンが演出したグライドボーン音楽祭のヘンデル「リナルド」もおなじ理由によって素晴らしい観物となりました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1876742696&owner_id=5501094


    健ちゃんが美術論をぶつ間に耕君がエビ天をかっさらっていった 蝶人
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サム・ライミー監督の「スパイダーマン1&2」を観て

2013-04-12 09:35:31 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.431&432


スタン・リーの漫画の原作は、蜘蛛の糸でオブラートにくるまれてはいるが、かの名作スーパーマンの物語を換骨奪胎した正義の味方の一大冒険物語である。

デイリー・プラネットならぬデーリー・ビューグル新聞社のワンマン社長がなかなかいい味を出している。

しかしどこから見ても冴えないダメ少年が、新種の蜘蛛に咬まれただけで霧隠才蔵と猿飛佐助を足して2で割った蜘蛛面超人男に変身するとはうまく考えたね。スパイダーマンの敵役グリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)の二重人格の設定はうまい。

続編はその大半が正編の出来栄えに劣るのに、「スパイダーマン2」は1より良かった。

わたしとしたことが、僕は正義の味方として世の中のために闘わなければならないので、君とは結婚できないのだ、とスパイダーマンが告白するところで不覚にも涙を流してしまったのだあ。

ヒーローもヒロインもどちらかといえば地味でダサいのに、どうしてこんなパルクフィクション出来の漫画映画で涙なんか出してしまうんだ。と悔やんだがもう遅い。人間は自分が流した涙については価値と責任を感じるので、そのことが作品の評価に悪い影響を与えることがあるということをわたしは知っている。

それは目の前で涙を流す女の存在感が、流す前とは比較にならないくらい重くなるのと似ている。


やな感じ世界中が北朝鮮のミサイル発射を待っている 蝶人
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平岩幹男著「自閉症スペクトラム障害」を読んで

2013-04-11 08:53:35 | Weblog


照る日曇る日第584回&バガテル-そんな私のここだけの話op.164

これは自閉症について初めて岩波書店から出版された新書ではないだろうか。福祉や医療、児童教育についてはかなりのレパートリーがあるのに、2012年の年末になってようやくこのジャンルの入門書が刊行されるとは、名門書肆の旧弊と怠慢以外のなにものでもない。

されどわが敬愛する佐々木正美先生に私淑する著者によって書きおろされたこの本は、とかく世間から無視され、あるいは敬して遠ざけられていたこの障碍に関する最新の、また好個の解説書として、やや遅きに失したとはいえ、江湖のしかるべき歓迎を受ける資格はあるだろう。

今から30年くらい前にはカナーによって発見された自閉症といえば本書でいう古典的な「カナー型」しか存在しなかったのだが、80年代以降はそのカナー型の自閉症を基本に、同根異種的な発展形態としての「高機能自閉症(アスペルガー症候群)」や「注意欠陥多動性障害」、「学習障害」を含めた広汎な「発達障碍」と位置付けられるようになったが、その障碍の本質が脳の中枢神経系の生まれついての機能障碍にあることは言うを待たない。

私の長男が横浜戸塚の療育センター(旧こども療育)で東大医学部の2人の教授に診断を請うたのは1976年のことだったが、当時既に東神奈川の小児療育センター、東京の梅ヶ丘病院、久里浜の国立医療センターなどでは先進的な研究によって自閉症心因説を退けていたにもかかわらず、彼らは己の不勉強を棚に上げて「ご両親の子育て方法が間違っていたために心に傷が出来てしまったのです」などと私たちを誹謗中傷しながら偉そうに誤った御託宣を下したことを私は一生忘れないだろう。

いわれなき権威にあぐらをかき、かくも無知にして傲慢かつ人格最低の輩を教授に戴く東大医学部を、過ぐる1968年の熱い夏に根底から打倒解体しておかなかったことを、私はそのときほど悔やんだことはない。

 アホ馬鹿の東大教授の暴言に我は憤怒し妻は泣きたり昭和51年夏戸塚の杜に 蝶人

 大衆の原像などは虚妄なれど自閉症児者の生にほのかに浮かぶ人間の原像 蝶人
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内山登紀夫監修「もっと知りたい!自閉症のおともだち」を読んで

2013-04-10 09:38:32 | Weblog


照る日曇る日第583回&バガテル-そんな私のここだけの話op.163

ミネルヴァ書房の新しい発達と障碍を考える本の新刊が出ました。本書で紹介されているように、自閉症は1)他人と上手につきあえない。2)コミュニケーションがとりづらい。3)想像力が乏しくこだわりがあるという3つの特徴を持つ重篤な障碍です。

そんなんだったら周囲にいっぱいいるよ。じつはおれも、あたいもそうなのよ、という方も大勢いらっしゃるでしょうが、自閉症の場合は、その程度がハンパない、ではなく、半端ではないのです。

例えば私の長男は午後6時に私が食卓につかないと、「お父さん、お父さん、ご飯ですよ、ご飯ですよ」と私がそうするまで何回でも叫びますし、それが終わると「食器洗って下さい。洗って下さい」、「お風呂沸かして下さい、下さい」という具合に、朝から晩まで諸事万端に強いこだわりがあり、万が一それが自分の思惑通りに進行しないと大暴れしたり頭を西瓜のように叩いたりする大騒動になるのです。

愚息のような自閉症の人たちが、初めての場所で物凄い不安を感じたり、物事のすべてが決まり切った手順で行われていないとパニックに陥ったり、とんちんかんな返事をしたり同じパターンの質問を繰り返したりするのは、いまあなたがチラと考えたような親の育て方や愛情不足、心の病などが原因ではなく、脳の中枢神経系の働きが生まれつき悪いからなのです。

この中枢神経系というのは脳と脊髄を中心とした神経のことで、ここでは目、耳、鼻、皮膚などの感覚器官からの刺激を受け取り、手足などの運動器官に対して命令を出すなど人間活動の中央司令部のように重要な役割を果たしているのですが、遅くとも1980年代には、「そのネットワーク機能に先天的な障碍があるのが自閉症だ」というのが世界の医学界の常識になりました。

ところがあろうことか、なかろうことか、わが国のイッパン大衆はもとより、数多くのインテリゲンちゃんや聖路加国際病院の日野原理事長などの最長不倒医事専門家ですら、依然として自閉症は心や精神の「病気」だなどと固く信じ込んでいるのですから呆れ果てます。

過去30年以上にわたって思考停止を続けている彼らの脳こそほとんどビョウキであり、言葉の辞書的な意味合いにおいて「自閉症」なのでしょう。


みずからの脳の進化をおしとどめ百歳生きるは人の業かや 蝶人

国民を条理なき戦争に巻き込んで全権を掌握したり鉄女 蝶人 
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「THE CLAUDE DEBUSSY COLLECTION」全18枚組を聴いて

2013-04-09 08:16:19 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第301回

 ドビュッシーの管弦楽曲、ピアノ曲、室内楽、歌曲、歌劇の代表的な作品を18枚のCDに網羅したお馴染みソニーの超廉価盤セットです。

 どのジャンルのどの曲をとっても、ミュンシュ&ボストン、ブーレーズ&クリーブランド管、カサドシュ、クロスリー、東京カルテットなどの一流の音楽家が極めつけの名演奏を聴かせてくれます。

 とりわけ素晴らしいのは、ブーレーズ指揮&英ロイヤルオペラによる「ペレアスとメリザンド」とマイケル・ティルソン・トーマス指揮&ロンドン響による「聖セバスチャンの殉教」の2つのオペラです。

とりわけ後者の第5部「天国」における劇的な演奏には震撼させられます。初演の栄誉になったデジレ=エミール・アンゲルブレシュトに匹敵する名演奏を評してよろしいでしょう。

 マエストロ小澤の狂信者ばかりで賑わうロバの耳王国のこの国で、マイケル・ティルソン・トーマス選手なんて誰も知らないのでしょうが、私はひそかにクラシック界のマイケル・ジャクソンと呼んでその音楽性を高く評価しているのです。


       余りにも早く父母死にたればその身代わりでわれ生きており 蝶人
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「Great Conductors 偉大なる指揮者たち」を聴いて

2013-04-08 08:22:06 | Weblog


♪音楽千夜一夜 第300回


お馴染み「独ドキュメンツ・レーベル」が世界のルンペン・プロレタリアートに向けて贈る超廉価盤10枚組CDでありんす。主にスイスのルガーノに本拠があるわが偏愛のローカル・オケ、スイス・イタリアーナ放送管弦楽団のライブ録音で、特に聴きごたえがあるのはヘルマンシュルヘンのベートーヴェン「運命」のリハーサルと本番です。

この人が同じメンバーで遺した全曲録音(銀座山野楽器より限定発売された)も素晴らしかったが、ここでも凡百のアホ馬鹿指揮者を嘲笑うような快演を聴くことができます。誰でもベートーヴェンを振れると思ったら大間違いなのです。チェリビダッケのシューベルトとチャイコフスキーも例によって最高でがす。

オケは違うが、セル&クリーブランド管のシューマン、トマス・ビーチャム&ロイヤル・フィルのベト7、そして極めつけはフルヴェン&ベルリンによるベト6で、データは不明ですが、この「田園」の演奏は、もしかするとマエストロによる最高の演奏の最上のものかもしれませんな。


この歌ならこの人が良からんと選者もまた投稿者から選ばれていて 蝶人
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加藤治郎著「短歌のドア」を読んで

2013-04-07 09:12:44 | Weblog


照る日曇る日第582回

 恥ずかしながら短歌の本を手に取るのはこれが「岡井隆全歌集第4巻」に次ぐ2冊目ということで、最近短歌が好きになって下手な歌を見よう見まねで詠んでいるだけの人間にとっては、宮沢賢治の史上初の「シュルレアリスム短歌」の先駆的紹介をはじめいろいろ勉強になりました。

 著者によれば短歌界の大事件とは、アララギ解散、前衛短歌の隆盛、桑原クワバラの「第2芸術論」、俵万智の「サラダ記念日」、斎藤茂吉の「赤光」がベスト5で、特に最近では俵選手などのライトヴァース調が業界に大きな衝撃を与えたらしい。

 ベストセラーとなった彼女の86年の第一歌集「サラダ記念日」なら当時私も読んだが、「「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ一本で言ってしまっていいの」なんて友川カズキや友部正人、井上陽水、中島みゆきや甲本ヒロトなどのミュージシャンの歌詞に比べたらなんぼのもんや。当たり前どころかビートルズやボブ・ディランより内容も形式も古臭いじゃあないかと軽蔑して一顧だにしなかったが、当時はFuckの林あまり、Parcoの仙波龍英と共に一世を風靡したらしいんです。

 しゃあけんど、短詩形文学の詩の言葉も音楽の歌詞も一視同仁に取り扱うこのような視線の最先端には、高踏的な桂冠詩人の超難解な1行よりも、死刑囚の稚拙な5・7・5や、あまねく人口に膾炙されている相田みつおの「今日の言葉」や玉置宏の天才的な話芸、障碍者の輝かしい「言葉のサラダ」、肉体言語としてのラップ・ミュージックなどに、より高いゲイジュツ価値を見出そうとする(都築響一選手が「夜露死苦現代詩」で追及している)言語世界がある、と私には感じられたのである。

 されど「サラダ記念日」当時、短歌どころか文藝なんて全く無関心でインディーズのライヴに夢中になっていた私には、こういう近現代短歌史の基本知識がまったく欠落しているので、さまざまなドアから短歌へのアプローチを試みているこの本からは、実に貴重な示唆と刺激を受け取ることが出来ました。



歌を詠むしあわせそれは辛うじて七七にまでたどり着きしとき 蝶人


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大沢在昌著「売れる作家の全技術」を読んで

2013-04-06 06:48:12 | Weblog


照る日曇る日第581回

安倍蚤糞がどう奇怪な幻想を振り撒こうと相変わらず不景気が進行しているけたくそ悪い状況にめげず、初志貫徹をめざすえりすぐりの作家志望者を集めてかの「新宿鮫」の流行作家が角川書店で敢行した即席作家養成指南講座がこれであるぞよ。

作家に成りたい人は直ぐ読め、皆読め、読んで大作家になれ。

しかしながら、晴れて新人作家になったとしても想像を超える冷徹な現実が諸君を待ち構えている。超ラッキーな君が1年掛けて書きおろした1冊1800円初版4000部の本の収入は印税10%でたったの72万円。よほどの幸運が訪れない限りこれっきりでジ・エンド。コンビニのバイトのほうがよほど実入りがよろしい。

1800円の65%が出版社、35%が取り次ぎと書店の取り分になるが、出版社は作家の印税、制作費、宣伝費、社員の給料、紙代、印刷代、製本代などを支払わなければならない。出版社が儲かるためには初版4万部くらい刷れる作家でないとダメだが、現在わが国にそおゆう作家は20人!くらいしかいないんだそうである。

直木賞受賞者でも初版1万部程度が沢山いるそうだが、これが純文学になると3000.4000等のもっとお寒い状況にならざるを得ないから、大方は教員とかテレビ出演などのアルバイトで食いつながざるを得ず、そうなると作品の質と量にも大きな影響が出てくる。映画を撮らない、撮れないあのチョビ髭オヤジ映画監督のように、書かない作家とか書けない作家も出てくるという訳だ。


このように市場はますます厳しく、プロでも喰うや喰わずの貧民がウジャウジュしているのに、それでも小説が死にほど好きで作家に成りたい人にとってこれほど具体的に役に立つ指南書はないだろう。


あどけなき顔してテレビに見入る妻横顔見れば心慰む 蝶人
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バルザック著「艶笑滑稽譚第三輯」を読んで 

2013-04-05 08:17:31 | Weblog


照る日曇る日第580回


第一輯で「美姫インペリア」ではじまった本作は、第三輯の末尾「美しきインペリア」でああ堂々の円環を閉じて完結する。いかにもバ選手の超力作ではあるが、その「美しきインペリア」の逸話が艶笑味も滑稽味もさらさらなく、むしろ美徳を称賛する道徳律の賛美で閉じられてしまうのはなぜだろう。

また当初予告されていた一〇〇篇が僅か三〇篇で終結してしまったのはなぜだろうと考えると、やはりこういう艶笑譚を三〇も書き続ければプロットも技法もその限りを尽くす次第にならざるをえないからだろう。

この艶笑の持続の難しさと疲労感は当然読み手の方にも伝わり、またその話かとあくびのひとつも出てくるわけであるが、しかしそれによってバ選手の文学的成果がいささかも減じられることがないのは、古今当代の読書子が証言するとおりである。
末尾ながら「音楽をいざなう翻訳」をめざして死の直前まで全力を傾けられた訳者の石井晴一氏に、謹んで感謝と哀悼の意を表したい。



音楽をいざなうような翻訳めざし鏤骨彫心せし人のバルザック読む 蝶人
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川上弘美著「なめらかで熱くて甘苦しくて」を読んで

2013-04-04 08:46:24 | Weblog


照る日曇る日第579回


題名だけで判断すると全篇性的なものが主題になった作物ばかりかと想像する人がいるかもしれないが、そういうことは多少はあっても、じっさいはあんまりなくって、「なめらかで熱くて甘苦しくて」なんてふそれっぽいタイトルにしても性的な事柄の形容として使用されているわけでは毛頭なく、むしろ作者はお馴染みの生きている人と死んでいる人、あるいはそのあわいにいる人の状態をそれらしく描いて楽しんだり、妊婦と赤ん坊の微妙な関係や現代版伊勢物語など趣の異なる5つの短編をきままに並べており、そのうちの最後のものでは現代文学の先端的な実験みたいなものが敢行されている気配もありありと漂っているんだが、にもかかわらず、この書物をそとから眺めたらば、店開きはしたもののいったい営業しているのかいないのかてんでわからんやる気の無い本屋さん、みたいな感じの本であるが、ぜんたいをつうじていえることは死者を生者と同様、いなもっとも身近な存在として取り扱って生死を超越した無常の宇宙を創造するのは著者の得意ちゅうの得意といふことかしらん。


我が家に居るたった一人の女の子それがわたしの奥さんです 蝶人

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セルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和全4部」を見て

2013-04-03 08:07:00 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.422、423、424、425


トルストイの原作でもっとも感動的なのは、アウステルリッツの会戦で死を垣間見た主人公が戦場に横たわって見上げる蒼穹の描写、そして村夫子然とした典型的なロシア老人、クトーゾフ将軍の質朴にして頑強な姿であるが、この映画ではそのいずれの点においても正しく移し替えることに失敗している。もっとも1956年のメイドインUSA版よりはましな内容だが。

第2部は1811年の絢爛豪華な大舞踏会のシーンがみもの。ピエールの親切でアンドレイと踊ったナターシャは彼にひとめぼれ。1年後になにごとも起こらなければ結婚の約束が取り交わされるが、待たされて待ちきれなくなった処女は悶々とするうちに妻を持つ遊び人アナトーリにもてあそばれて自分を見失うが、このような狂気ははげしい恋にはつきものなのさ。

 第3部は1812年の阿鼻叫喚のボロジノの大会戦を、物量作戦でこれでもかこれでもかと描く。3Dなど一切使わない人力、物力、精神力が三味一体となった物凄い迫力だが、やはり老将クトーゾフのイメージが原作と違う。このヒーローはもっと歳をとって痩せており、いわば仙人のような風貌にしてくれないと困るのである。

 最終篇の第4部は、ナポレオンのモスクワ侵攻を例によって鳴り物入りでドラステイックに描く。虎の子の軍隊を死守するか、はたまた帝国の黄金都市をむすみす敵の手に委ねるか、老将クトーゾフの悩みは深い。しかしわれらが主人公ピエールはひとり見捨てられた街に残ってフランス軍の絶頂とその崩壊をその目で見届ける。

 映画は冒頭と同様に「悪人が群れをなして押し寄せるなら、善人もまた徒党を組んでこれと闘え」というトルストイの言葉を引用して終わるが、この偉大なる作家が描こうとしたのは政治に利用されやすいそんなケチなセリフではなく、戦争の愚かさと平和の貴重さであった。

 あらゆる戦争に反対し、あの日露戦争にも異議申し立てを敢行した文豪の小説の真意を、札付きのスターリニスト国家がおのれに都合よく書き換えることは断じて許されない。



怪物は戦を正義に仕立て上げ羊を地獄に突き落とすなり 蝶人

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ジュリー・デルピー監督の「パリ、恋人たちの2日間」を見て

2013-04-02 19:56:18 | Weblog



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.421


NY在住のアメリカ人デザイナーとフランス人女性写真家とのパリでの二日間をコメディタッチで描く恋愛映画。

ゴダールに見出された才人監督のジュリー・デルピーが、脚本・製作・編集・音楽・主演を兼ねて八面六臂の大活躍をするが、随所にいわゆるひとつのパリのエスプリが光っている。

ゴダールとは似ても似つかないが、フレンチ風女流ウッディ・アレンのタッチかな。


口臭き夫の長き接吻に耐えいる妻の愛の深さよ 蝶人
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大島渚監督の「御法度」を見て

2013-04-01 07:59:39 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.419

ふつう映画や芝居が新撰組を描くときには尊王攘夷の対立など幕末の政治情勢や権力闘争の要素として歴史の外側から対象化されることが多いが、本作ではそういう視点ではなく、あくまでも組織内の同性愛に絞って描き尽くしている。

外部ではなく内部、大状況ではなく卑小世界、時代や政治や思想、無機物ではなく身体、性愛、皮膜情動の様相に徹底的に迫ることによってなにが見えてくるか。

 組織のたががはずれた崩壊寸前の幕府体制を補完するべく外部から必殺お助け人として颯爽と登場した新撰組は、先行組織の轍を踏むまいと強権的な戒律=御法度で構成員を縛りつけた。

しかし彗星のように登場した隊の内部の異端分子の異様な美貌(松田)によって、鉄の規律が次第にゆるみ、ついには崩壊の危機にまで至るありさまを、鬼才大島が面白おかしい映画に仕上げてみせた。

ここにはどんな優秀な組織も、それを構成する人間の天衣無縫なはみだしによって崩壊せざるをえないという古くて新しい教訓が秘められているようだ。

坂本龍一の音楽が、演出と一体になってこの鬼才最期の作品を悼んでいるように鳴っていた。



我が庭に卯月朔日の朝日差し大島桜咲き誇りたり 蝶人

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