あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

佐助稲荷神社と銭洗弁財天を訪ねて

2015-04-16 11:17:44 | Weblog


茫洋物見遊山記第176回&鎌倉ちょっと不思議な物語第338回


 源頼朝が伊豆に配流されていた折に翁の姿を借りた「隠れ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、平氏への挙兵を勧めたという故事があります。

 その託宣に従った頼朝が見事に念願を果たしたあとで、「隠れ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけたので畠山重忠に命じて建立させたのがこの神社だそうです。

 頼朝は佐殿と呼ばれていましたが、「隠れ里の稲荷」はその佐殿を助けたので「佐助稲荷」の名前がつけられたというのは出来過ぎのような気もしますが、この近所に住んでいた井上ひさしが「ムサシ」で私の祖先の佐々木小次郎と宮本武蔵をこの神社の境内で再戦させたのはむべなるかなという気が致します。

 その佐助稲荷神社のすぐ近くにあるのが「銭洗弁財天宇賀福神社」です。文治元年1185年、壇ノ浦の合戦で平氏を滅亡させた頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち、「西北の仙境に湧き出している霊水で神仏を祀れば人心は治まる」というお告げがありました。

 そのお告げ通りに泉があったので、頼朝は岩窟を掘らせて宇賀福神を祀ったのがこの神社の起源と伝えられています。

 その後執権北条時頼の時代になって幸運や財力の神とされる弁財天の信者たちがこの聖水で金銭を洗うようになったのがいまの奇妙な風習のはじまりというわけです。

 以上、吉田茂穂「鎌倉の神社」などから引用しました。


ある作家の奥さんは銭洗弁天で夫の原稿用紙を洗ったと永井龍男いうさてその後いかがなりしや 蝶人

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歌う象さん~「これでも詩かよ」第132番

2015-04-15 11:21:06 | Weblog


ある晴れた日に第300回


マンボでマンゴ、マンタがマンポ 
呑気な象さん、ゆらゆるスカート!
ポンポコ、ポンポコ、チンポコリン!
 
古来、家というものは、どっしりと鎮座して動かなかった。
ニュートンの万有引力の法則には従うが、動かざること岩のごとし。
さながら風林火山のように不動のものだった。

しかし「リトル・ホラーショップ」以降、事態は変わった。
花は歌い、花屋は揺れ動くようになった。我が国でも「踊るサンマ御殿」以降、秋刀魚ばかりか狸も芸者も神社も屋敷も舞い踊るようになった。

マンボでマンゴ、マンタがマンポ 
呑気な象さん、ゆらゆるスカート!
ポンポコ、ポンポコ、チンポコリン!

1990年代には荒川修作の天命反転住宅が誕生し、2010年にはフロア毎に回転するドバイ・ダイナミック・タワー構想が発表されるなど、機は大いに熟した。

かくて長きにわたって「動かないから不動産」と呼ばれた住宅や建築は、「投げる不動産屋」ならぬ「歌って踊ろう動産」、略して「歌う象さん」へと変身していったのである。

マンボでマンゴ、マンタがマンポ 
呑気な象さん、ゆらゆるスカート!
ポンポコ、ポンポコ、チンポコリン!

揺れ動く家といっても、はじめは4分の2拍子のアンダンテくらいのものだったが、大震災に対応する超高層ビルジングがスロー、スルー、クイック、クイックの4分の4拍子で揺れ始めると、耐震基準にクリアーしながらミック・ジャガーのシャウトに合わせて激しく身をくねらせるロックン・ロール軽量住宅も登場するようになった。

退嬰的な8拍子を垂れ流すハウスミュージック館、伊豆の大島では都はるみの「あんこ椿」に合わせた演歌どさ回り長屋、燃えやすい桜材で丁寧に仕上がられた八百屋お七住宅、「A列車で行こう」がかかると二階建が背筋を伸ばして三階まで立ち上がるスイング・ジャズ・ハウス。

マンボでマンゴ、マンタがマンポ 
呑気な象さん、ゆらゆるスカート!
ポンポコ、ポンポコ、チンポコリン!

三味線が聞こえてくると低音で唸りだす義太夫邸宅、訳のわからぬ呪文を呟くヒップホップハウス、なども続々登場して、いつまでたってもコンクリートしか頭にない安藤忠男事務所はついに倒産のやむなきにいたった。

かくて不動産から動産、動く住宅、踊る建築、「歌う象さん」へと革命的な進化を遂げた21世紀後葉のデベロッパーが取り組む最後の壁、それはシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの現代音楽三馬鹿大将の無調ハウス。そして東洋あほだら教の権化、三波春夫の「お客様は神様御殿」の立ち上げだった。

マンボでマンゴ、マンタがマンポ 
呑気な象さん、ゆらゆるスカート!
ポンポコ、ポンポコ、チンポコリン!

とりわけ難航しているのは三波春夫邸で、「チャンチキおけさ」や「おまん囃子」を軽くクリアーした超ハイテク屋敷なのに、「豪商一代 紀伊國屋文左衛門」の浪曲の入りで、いつもわらわらと崩壊してしまうのであるんであるん。

マンボでマンゴ、マンタがマンポ 
呑気な象さん、ゆらゆるスカート!
ポンポコ、ポンポコ、チンポコリン!


 「滅びるね」と広田先生はまた言うだろう平成日本の混沌を見て 蝶人

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なあんも要らへん~「これでも詩かよ」第133番

2015-04-14 11:02:24 | Weblog


ある晴れた日に第299回


世を呪い、わが身を呪いながら
苦しい息の下で、老人は叫んだ

要らん、要らん、なあんも要らへん
金も女もダイヤも要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
ごめんで済んだら、警察は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
ムクさえおれば、犬は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
羽田があれば、成田は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
新幹線があるから、リニアは要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
中古があれば、新築は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らん
田中がおるから、黒田は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
谷風、雷電甦るから、モンゴル横綱は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
マルクスがあるから、ピケティは要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
九条があるから、軍隊は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
戦はせんから、基地など要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
真昼を暗黒にするから、自民は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
岸、佐藤で懲りたさか、安倍は要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
イランもシリアも「偽イスラム国」も要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
ロシアもアメリカも日本も中国も要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
あんたも、あたしも、みーんな要らへん

要らん、要らん、なあんも要らへん
要らん、要らん、だーれも要らへん

世を呪い、わが身を呪いながら
一人の瘋癲老人が、いま身罷った


 弥生三月雲南桜草咲く頃そんなに大切な人だったと気づいてももう遅い 蝶人


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鎌倉十二所を歩く その8 御坊ケ谷の巻

2015-04-13 10:41:29 | Weblog


茫洋物見遊山記第175回&鎌倉ちょっと不思議な物語第337回


 御坊ケ谷は十二所神社の北側に広がる谷戸で、路は吉沢川に沿って北上している。

 吉沢川には御坊橋が架かっていて、谷戸の奥には「月輪寺」という寺があり、さらにその先の番場谷には北条高時の首やぐらとも伝えられる「お塔の窪」と呼ばれるやぐらがある。

「お塔の窪」は市の指定史跡で、やぐら内には籾塔型の古式の宝篋印塔があるそうだが、私は見たことがない。おそらく私の息子は遊び仲間のヒロやマサと一緒にこの謎の傾斜地を探検したことだろう。

「月輪寺」の場所も不明だが、もしかすると私の息子の遊び仲間だった高木君の実家がその旧蹟ではないだろうか。その一画にはかつて有名な歴史家の小丸俊雄さんの寓居もあった。

「月輪寺」を創建したのは鎌倉幕府の第四代執権の北条経時で、鶴岡八幡宮寺の供僧が別当を務め、鎌倉御所の護持僧が住持したと伝えられているからかなり格式の高い寺院であったと思われる。

 番場谷の「お塔の窪」の反対側には寺院跡と思われる谷戸が現存するが、(最近ロッジハウスが建った)私はここが「月輪寺」の別坊、あるいは遍照院ではないかと考えている。

「月輪寺」のペアとなる「日輪寺」は北条高時の寺号なので、もしかするとこの近くにあったかもしれないが、「十二所地誌」をみるとこのシリーズの第三回で紹介した鑪ケ谷にあったと推定されているがつまびらかではない。


  斉藤斎藤の「NHK短歌」終りぬこれだけは受信料払う値打あったな 蝶人

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今村昌平監督の映画3本をみて

2015-04-12 10:07:04 | Weblog


bowyow cine-archives vol.784&785&786


○今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」をみて

 今村昌平監督の大きな掌の上で1匹の昆虫と化した左幸子がいくたびも脱皮を繰り返して初めは処女の如く終りは脱兎の如く窯変して7つのヴェールの踊りを踊る。

 その左幸子の美しさ、逞しさ、原子心母性に圧倒されないひとはいないだろう。

シークエンスの転換に際してストップモーションにして左幸子が不器用な五七五七七を呟く趣向も面白いが、ラストで出演者が、演出の今村を除いて全員五十音順で一括してクレジットされるのには驚いた。悪平等民主主義、てか。


○今村昌平監督の「神々の深き欲望」をみて
 
 気狂い監督の今村昌平が、沖山秀子、嵐寛十郎、三國連太郎などの気狂い俳優と南大東島でおまんた音頭を踊りながら撮った見事な神話映画。

 南の島で伝統と因習に縛られて生きる神ながらの土俗の民と、大都会から漂着する人との対峙を軸にして、神話的現代、現代的神話の物語が極彩色で濃厚に語られる。

 台風に直撃され濁流に押し流されながらの撮影も物凄い迫力だが、島から逃亡を図った三國と松井康子の兄妹をカヌーで追いかけ、奇妙な仮面をかぶって全員で櫂を振るう場面は総毛立つ。

 島の掟に従い、皆と一緒に仮面を被れば、息子も共同体の一員として父親を撲殺するに至るのである。


○今村昌平監督の「赤い殺意」をみて

 にんげんの爬虫類の脳裏の奥深くに潜む男女の性的欲望、業の深さを、雪霏霏と降りしきる東北の地でしらじらと描きつくす今村昌平の力技に圧倒される。

 劇走する列車の中での男女の格闘長回しなどはほとんど命懸けの撮影であるが、いまどき誰がたかが映画のためにこんな危険を冒すだろうか。

 太股に蚕を這わせるシーンは「にっぽん昆虫記」のほうで使ってほしかったが、春川ますみが全存在をさらけ出しての熱演は見事。西村晃、露口茂も好演。


「映画くらいは撮らせてやる」と言い放ちし監督のお手本はさすがに凄い 蝶人





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トヨタの自称高級車「エスクァイア」の広告をみて

2015-04-11 10:17:21 | Weblog



広告戯評第20回&バガテル-そんな私のここだけの話op.195


少しく旧聞に属するが旧臘の新聞やテレビで見かけた我が国、いな世界を代表する自動車メーカーの広告である。

そこには赤地に不気味な黒衣のバットマンが登場しており、「日本にも、私も、ここからだ」とか「この国には今、目標がある。さて、あなたは、どうだろう」などという御大層なキャッチフレーズが掲げてあった。

ボデイコピーを見ると「この国が再び走り出そうとしている今、より充実した人生を求める男たちは増えるはずだ。きっと誰もが自分のアクセルを踏み始めるはずだ。ESQIREはそんな男たちと共に走り、彼らを鼓舞する存在になろうと思う」そうだが、これってまるで安倍蚤糞一味の演説そのものではないか。

「この国には今、目標がある」なぞと勝手に妄想しているのは一部の国権的右翼政党だけだし、その目標だって戦後民主主義を冒涜して戦前回帰を目指そうとするきわめていかがわしいものだ。

 「さて、あなたは、どうだろう」なんて凄まれても、満額回答の出たトヨタとかその株主たちとは裏腹に、さっぱり景気回復の実感などない国民の大多数はシラケルばかりだ。

 憲法を蹂躙して特定国家秘密法案で民草を威圧し、自衛隊を自在に海外派兵しようとする連中さながら、「日本にも、私も、ここからだ」などと発破をかけられても、「日本も、私も、もうおしまいだ」としか答えられない。

 どの企業が商売の相手にするのもこの国の民草であれば、その企業がときの政府や一部の政党の政治的見解をなぞるような広告を発信するのは、いかがなものであろうか。

 この広告を眺めていると、その背後にはトヨタ→電通→安倍蚤糞の一連の伏流すら浮かび上がってくるようだ。

 ときに1台300万円の車って、高級車なの?


   幻想の共同体の暗がりで国家国家と喚く者ども 蝶人

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鎌倉冬柏山房を歩いた後で、鎌倉文学館「冬柏山房に集まった文人たち」展をみて

2015-04-10 16:57:30 | Weblog



茫洋物見遊山記第174回&鎌倉ちょっと不思議な物語第336回



冬柏山房というのは横浜の名庭園「三渓園」のオーナーであった原三渓の下で働いていた実業家、内山英保(明治元年~昭和二十年)が鎌倉市役所近くの千葉が谷に設けた邸宅で、「冬柏」とは椿の別名とされています。

冬柏山房には彼の歌の師である与謝野鉄幹、晶子夫妻や、吉井勇、有島生馬、萩原井泉水、川端康成、久米正夫、小杉天外、斉藤茂吉、石井柏亭、徳富蘇峰、高浜虚子、土屋文明、堀口大學、吉野秀雄、尾崎咢堂ら多くの文人、画家、政治家たちが四季折々に訪れ、詩歌や画に残しました。

 現地に旧宅は残っていませんが、その跡地の上の山頂には茶室と思しき別荘も残っており、昭和の初めに鎌倉に花開いたサロンの面影をいまに偲ぶことができます。

 なおここから遠からぬ場所にたつ鎌倉文学館では、来る4月19日まで「冬柏山房に集まった文人たち」展を開催中です。

  以上、同館の資料の拠ってノートさせていただきました。



  父親の仕出かした罪業の落とし前をつけに旅立つ二人なりけり 蝶人

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渋谷Hikarieで「I`m sorry,please talk more slowly」展をみて

2015-04-09 14:03:05 | Weblog


茫洋物見遊山記第175回


 ようやく春になって桜も満開になったというのに、昨夜から急に寒くなって関東平野では雪が降ったという寒い朝、私たち夫婦は変貌常ならぬ暗黒未来都市にやってきた。

 小山登美夫氏が監修するHikarie Contemporary Art Eyeの第1回目に7人の先鋭的なアーティストに混ざって愚息が作品を出展するというので遥々鎌倉からやってきたというわけだ。

 学生時代からなじみの深い渋谷の街だが、数年前から天と地を覆すような気狂いじみた大工事が始まり、二度出かけて、二度とも地下街で道に迷った私は、金輪際こんな暗黒部室満載の伏魔殿なんか行くまいと決心したのだが、息子の展覧会と会っては誓いも破らざるをえまい。

 ガラガラの会場の一番奥のコーナーに、彼の作品がポツン、ポツン、ポツンと3つ並んでいた。これは何だ、もしかして雑巾じゃないか、と思って近寄ってみると雑巾だった。いやあ東京のど真ん中で、雑巾の油絵を見せられるとは思わなかったなあ。

I`m sorry,please talk more slowly.

雑巾の霹靂に言葉を失った私らは、急に空腹を覚え、
近くの料理屋でうなぎのかば焼きを食べた。
久しぶりのかば焼きは美味かった。


 なお同展は来たる4月12日まで渋谷ヒカリエ8階アートスペースにて開催中。


       桜散る妻と撮り合う遺影哉 蝶人
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М・ナイト・シャラマン監督の「シックスセンス」をみて

2015-04-08 17:05:58 | Weblog


bowyow cine-archives vol.784

 人は死ぬとどうなるのであろうか。肉体は消えても霊魂は存続して現世の周辺をさすらっているのであろうか?
 
 この霊魂の有無を認めるか否か、来世を認めるか認めないかは私たちの人世にとっての大問題である。この映画ではその白昼、死者の亡霊を見る少年が登場するのであるが、見る人の立場によって評価を異にする作品だろう。

「ここで飛べここがロドス島だ」と思いつづけいつのまにやら七十年過ぎたり 蝶人

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夢は第2の人生である 第24回

2015-04-07 11:14:23 | Weblog
 

西暦2014年霜月蝶人酔生夢死幾百夜


アムステルダム港からルテシア号に乗り込んだカラヤンは、NYに到着したらシベリウスの交響曲4番と5番、それに交響詩フィンランディアを振るつもりでいたが、まさか自分が亡命することになるとは夢にも思っていなかった。11/1

研修会の講師が演説している。「さあ、君たち。ここで最新型の3Dシステムが導入されているので、君たちが望むものなら、たとえそれが原発でも原子力潜水艦でもたちどころに出来上がるのだ。それはこの私が太鼓判を押すから安心したまえ」

「問題は、まず何を製造するのかを君自身が決めることだ。それが決まれば、問題はそれをいかに作るかという問題に進むことができる。素材については鉱物系、動物系、植物系、無組織系の4種類を用意しているからどれでも君のお好み次第だ」

やがてあるメンバーの製品が溶鉱炉の真上に吊るされた。よく見るとそれは彼自身の精巧なダミーであった。ダミーは下から吹き上げる摂氏何万度ものまばゆい光と高熱に包まれ、アッという間に紅蓮の炎をあげて燃え尽きた。11/2

私がワルキューレの女騎士にちょいと顎で合図すると、彼女はただちに銀色に輝く巨大な槍を投げつけ、古今東西の膨大な書籍を宙空に浮かべた。そして彼女が槍を左右に煌めかせるたびに、忽ち書籍は時代別や地域別に並び変えられ、人類の文化史の編集に大きく貢献するのだった。11/3

去年の夏に亡くなった酒井君が、覚えめでたい前課長の前で今季の媒体計画を説明している。とくに四国地方に注力してローカルバス媒体を使った広告宣伝に力を入れたいと例の口調で熱っぽく説くのだった。11/4

突然誰かにピストルで撃たれた。当初肉体への侵入度は3.5であったが、ドクターⅩが緊急手術してくれた結果、2.5まで下がった。これで脳の切開手術はせずにすむ。11/4

手が紙で切れ血が止まらなくなったので病院へ行くと、そこに穴が開いてどんどん大きく深くなってゆく。覗きこむと穴の内部にびっしりくっ付いた微細な黄色い卵から、見たこともない奇妙な魚が次々に孵化して、琵琶湖ほどに拡大した湖を泳ぎ回っているのだった。11/5

私のオケで公演前のゲネプロをやっていたら、時々雑音が紛れ込んでアンサンブルが乱れるので、どうしたことかと眼を光らせていたら、突然の豚のように太った醜いヴィオラ奏者が、「ごめんなさい、私が悪いのです。退団させてください」と泣きだした。聞けば昨夜夫婦喧嘩をして演奏どころではないというのである。11/6

私は戦時中は今井和也という人が社長をしている小さな広告会社に勤め、来る日も来る日も出征広告を作っていた。私が文章を書き半川君がデザインするのであるが、ある日常にPEDを携えて英語を勉強していた旧知の大辻四郎という人が召集されたので、この辞書の写真を掲載したところ私はすぐに特高に逮捕された。

今井社長をはじめ橋本清一、村雲太郎などの諸先輩が築地署に掛けあってくれたが、特高は私の思想的背景を激しい拷問付きで日夜追及した。が、もともとなんの思想も持たないノータリンでパープリンンの私だったから、小林多喜二を虐殺したばかりの殺人鬼も2週間で放免したのだった。11/7

私は戦場でまみえた雑兵太兵衛を相手に、城壁を3たびも4たびもぐるぐる回りながら鋤を振り回してとうとう斃した。すると今度は雑兵次郎衛門が出てきたので、次郎衛門を相手に城壁を3たびも4たびもぐるぐる回りながら、鋤を振り回してとうとう斃した。すると今度は雑兵三郎衛門が出てきたので11/8

韓国に仕事で来ていたので、ホテルで朝食をとってから白いローブをまとったまま表通りに出ると、軍隊が警備している。私は午後1時に韓国の原宿と呼ばれている明洞で小林陽子と待ち合わせていたので、どんどん歩いて行ったが、戒厳令が敷かれている街には誰一人いなかった。11/8

久しぶりに北嶋君と芝居を観た後で、彼の自宅で飯でも食おうということになって2人でスーパーで買い物をしてから歩道橋を歩いていたら、向こうから本町4丁目の足立茶碗店の足立君がやって来て、「ほらよ、これが「熊野の天然水」だ。遠慮せずに持ってけよ」といって北嶋君にビニール袋を渡した。11/8

北嶋君は、「僕は君が誰だか知らないし、知らない人から物をもらってはいけないとカントも語っているから、要らない」と断ったのだが、足立君があまりにもしつこく「持っていけ、持っていけ」とヤクザのように強要するので、さすがの北嶋君も根負けしてその重いビニール袋を受け取った。

両手に花ならぬ食料品をいっぱいぶらさげ、大汗かいて北嶋君の家にたどり着き、一歩玄関の中に入ると、驚いた。玄関も、リビングも、キッチンも、寝室も、書斎も、トイレや浴室の中まで「熊野の天然水」で一杯なのだ。

1LDKに立錐の余地なく立ち並ぶ500mlのペットボトルの大群は、モダンアートのインスタレーションのようでもあり、巨人の胃袋の内壁にびっしりとへばりついたポリープの森のようでもあった。おまけに北嶋君のビニール袋の中には「熊野の天然水」しか入っていない。

「北嶋君、これはいったいどうしたわけだ」と尋ねると、カントの読みすぎで青ざめた顔付きの哲学青年は、上がり框にどっかりと腰をおろして、事の次第を語ってくれた。
「実はさっきの足立君は僕と同じこのマンションに住んでいるんだが、中上健次の水呑み婆が出てくる小説を読んでから水呑み教の虜になってしまったんだ」

「その小説では熊野の聖水を飲むと体毒をきれいにしてくれるという妄想に取りつかれた連中が出てくるんだが、これに一発でいかれてしまった足立君は、毎晩僕の部屋にやって来て「熊野の天然水」の押し売りをするようになってしまった」

「ああ、仕事だって大変なのに、家に帰れば足立君が聖なる水をガブガブ飲めば健康になって幸せが訪れるという。飲んでも飲んでも下痢をするばかり。これからいったいどうなるんだろう。僕は人世に疲れ果てたよ」と嘆くのだが、私はなんと慰めてよいのか分からなかった。11/8

アメリカ大使館にベロニカ嬢が来日した。私が飲み屋で友人のフランキーに「もしキャロラインに事故があったら次期駐日大使はベロニカちゃんで決まりだね」と話しかけると、彼は突然真っ青になって「JFK is No.1! Caroline is No.1!」と叫んで泣きだした。11/9

今度の課長は、本来部下に任せるべき仕事もぜんぶ自分でやってしまう人物なので、やりにくくて仕方がない。「大量に発生したユスリカにどう対応すべきかは、俺に任せろ」と宣言したままなにもしないので、頭にきた私は、火炎放射機で抹殺してやった。11/10

その大劇場に入ると、数年前に開催された超マイナーなインディペンデント映画祭で上映されるはずだった「古い谷の記録」や「アクラ」などの35ミリフイルムが、あちこちの座席の上に長い帯のように抛り出されたままになっていた。おそらく誰かの妨害が入ったのだ。11/11

南米のばあさんの屋台からガヴァを買おうとして邦貨300円相当のコインを渡したはずだったが、ばあさんは受け取っていないという。しばらく押し問答しているうちに、「まてよ、これはおいらの耄碌と勘違いだった」と思い直して300円払うと、喜んだばあさんはいきなり右手を出してきたので、私もその手を取ってぐっと握り返した。11/11

宇宙蛇がおのれの尻尾を銜えてどんどん呑みこんでいくのをじっと見つめていたのだが、どんどん胴体が消えていって、そのうち全部無くなってしまった。11/12

私は「いいね!」と書き込まれた私の投稿記事が、パソコンの画面の真ん中で突然ぜんぶ消えてゆくのを、茫然と眺めていた。11/13

今なら敵の間隙を衝いてアジスアベバの司令本部も大審院も軍事顧問の魔法使いも撃滅することができる千載一遇のチャンスだというのに、わが反乱軍の無能な指導者たちは、いつまでも腕組みをしたまま、立ち上がろうとはしなかった。11/13

NYの山本君がコムデギャルソンから新ブランドを出すというので、絶海の孤島で開催されたショーを見に行った。服はいまいちだったがバッグ、シューズ、雑貨の出来が良かったと感想を伝えると、これから村の老漁師を訪ねて習字と下駄の鼻緒すげを習いに行くのでここでお別れします、といった。11/14

川で遊んでいたらゴッゴオという物凄い音が聞こえたので、村人たちと一緒に急いで裏山の頂上まで登ったら、いままさに村全体が津波に呑みこまれてゆくところだった。11/15

裏駅の近くに永滝氏の住居兼用の壮麗な屋敷が聳えていたが、氏はその3階にある展示会場が来訪者に分かりずらいといって、いつまでもくよくよ心配していた。11/15

真夜中に庭の離れに電気が点いていたので覗いてみると、母が「心配しなくても大丈夫だよ。昔の友達がやって来たのでお父さんと一緒にもてなしているところだよ」というのであった。11/16

あたしのことを好きな男がいると子供たちから聞いたので、それはいったい誰だろうと思いながら公民館の外までやってくると、蛍があちこちで輝き始めていた。11/16

「○○とするにはあらずしてそは○○なり」という和歌を作った。これは上出来、この歌こそはわが生涯の大傑作ならむ、と確信していたのだが、時が経つうちにその○○がなんであったのかをすっかり忘れ果ててしまった。11/17

急に学生時代の呑気な気分が蘇って、部屋の向こうで寝ている友人に鉄の球を投げてやろうと思いついたが、友人は2階ではなく1階に寝ているのを思い出した。すると見知らぬ人から「真夜中にネンネグーしているところに、鉄球なんか投げないでくれよ」というメールが入った。11/17

わが会計事務所では、沿線の駅ごとに1名から数名の担当者を派遣していたが、普段は閑散としている綾部駅で突然殺人事件が発生して、多数の乗客が押し寄せたために、1人だけの係員は朝からてんてこ舞いだった。11/18

機動隊に追われてお茶ノ水のビルジングのてっぺんによじ登った私は、次々に別の建物に飛び移りながら追及をかわし、無人の日大の運動場に飛び降りた。11/18

山崎方代さんがいる八幡宮の前の鎌倉飯店で中華丼を食べていると、いきなりドンブリが宙に浮き、料理屋の外に飛び出した。私のだけでなく方代さんや他の客のドンブリも列をなして段葛を南下し、由比ヶ浜めがけて飛んでいった。今頃は相模湾を飛行しているだろう。11/19

私は自分の下手くそな詩を朗読しながら、身振り手振りで表情をつけようと努力しましたが、まるで最近アルツハイマーが進んだおばあちゃんのように思うにまかせません。のみならず肝心の詩の朗読すらおぼつかなくなってしまい、すっかり自信を喪失してしまいました。11/19

テントの中にクスクスやカナカナを連れ込んで背後から貫いた浅ましい姿を赤外線カメラで盗撮されていたために、私は検察局に呼び出されて1階級降格になってしまった。11/20

家光公から「最近領海に出没する海賊船を拿捕せよ」と命じられたので、本邦最大の戦艦と屈強な漁師百名の下賜を願い出て、南の海に乗り出した。夜陰に乗じて敵船百艘の周囲を百名の漁師が荒縄で縛り、私が操縦する巨大戦艦が先頭に立って海賊もろとも全船を長崎の港まで牽引すると、公は大層喜んで「望みの物は何でも取らそう」とのたもうた。11/21

尾根チャンと海外出張して良い写真を2カット撮ってこいといわれたので、まずパリでモデルのからみを、ついでアルジェリアで乾いた風景写真を撮ったが、圧倒的に後者の出来栄えがよかった。11/22

名古屋近鉄の電器売り場でキャンバスを立ててスケッチを描き始まると、忽ち人だかりができた。私は「あら、これはダリよ」「これはゴッホよ」と持て囃す女たちとどんどんデートの約束を取りつけながら、売り場主任と大型テレビの商談を始め、どんどん値切っていった。11/23

やがてA子とデートの約束をとりつけ、50インチの液晶テレビを40万円で買う商談が成立したところで、私はキャンバスをかたずけ、サインをしてから彼女と新幹線の駅に急いだ。11/23

某新聞社に勤務する友人が、彼が担当者である歌壇の選歌会と同じく彼が担当する本年度年間最優秀スポーツマン選考会のメンバーを同じ部屋に同じ日時に召集したたために、それぞれの作業が大混乱したために、長嶋茂雄や岡井隆などの有名人が怒り狂って友人に詰め寄った。11/24

2人で地下道を何十分も歩いてから、ようやくシティタウンの前に出たところで、彼女が私に絡みついてきたので、さあ困ったぞ、どうしようと悩んでいると、その近辺の若者たちがこちらに近づいてきた。11/25

繊研新聞の広告を見ていたら、誰かの小説の読書感想文が出ていた。よく見るとそれは3Dの立体広告になっていて紙面から立ち上がっているのだった。11/25

私はイトレルを演じたチャプリンの映画からヒントを得て、常に7人の美女をデスクの周囲に侍らせておいて、たまたまそうしたくなったときには、そのうちの誰かをつかまえて、内なる欲望を発散させるのだった。11/25

会いたい会いたいと希っていた昔の思い人と連絡がついた私は、再会の喜びに殆ど有頂天になっていたが、午後4時に落ち合う約束をしていたレストランに行くと、それは切り立った岩山のてっぺんに聳え立っていた。11/27

レストランは無人で、誰もいない。客も給仕もいないし、いくら待っても彼女は来ない。それでも私は辛抱強く椅子に腰かけていると、厨房のほうで物音がしたかと思うと恐ろしい顔つきをした屈強な男たちが突然現れて私を取り囲んだ。11/27

白い蝶が飛んで来たので、寒冷紗の網を一閃し得たりやおうと捉えてみるとそれは巨大なウスバシロチョウだった。私がその部厚い胸を圧して息の根を止めようとするとそれは全裸の堀北真希に変身し、「お願いです、なんでもしますからわたしを殺さないで」と哀願するのだった。11/28

いつのまに内戦が始まったのか知らないが、横須賀線から眺めた逗子では死人は見かけなかったのに、鎌倉駅の下馬四つ角では、黄色く焼け焦げた肢体が折り重なって、見るも無残な様相を呈していた。11/28

雄大な山脈を背景にした映像に「山は常に動いている」というナレーションを乗せたアリゾナ州のCMに、「山登りをするときにはガラガラ蛇に気をつけよう」という注意事項を付け加えてほしいという依頼があったのだが、阿呆馬鹿デザイナーが山を蛇のとぐろ型に修正したために放映中止になってしまった。11/29

卓ちゃんたちと待ち合わせした料理屋はどうやら風呂屋だったらしく、部屋の中は浴衣などが乱雑に脱ぎ捨てられていて、浴槽からは嬌声が聞こえてくるので、気分を害した一人は「俺はもう帰る」と言ってどこかへ行ってしまった。11/30


 世界中「目には目を」となり行きて井筒『コーラン』を読み返す日々 蝶人

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林真理子著「マイストーリー 私の物語」を読んで

2015-04-06 09:55:31 | Weblog


照る日曇る日第774回

 この人の小説はほとんど読んだことがないが、たまたま朝日新聞に連載されたので毎朝楽しみながらクイクイ読み終わることができました。

 主人公は自費出版の編集者なのだが、彼が勤務している会社がどうやらその業界の最大手といわれる文芸社のようで、なかなか面白かった。ここは私も仕事で大変お世話になったことがあるので興味津津だったのです。

 自費出版というと大手の普通の出版社の連中は馬鹿にしているようですが、一生に一度は自分史を書いてみたいという普通の人々のニーズを掬い取ってビジネスにつなげ、あまつさえそれを大手書店の本棚に並べて見せるという離れ業を実現した功績は高く評価してもいいのではないでせうか。

 毎年雑誌や書籍の売り上げが低下していくなか、今では先駆者の文芸社の後塵を拝するようにしてほとんどの有名出版社や新聞社がかつて軽蔑していたこの業界に参入している現況を見るにつけそう思うのですね。

 肝心の小説について評する余裕がなくなってしまいましたが、著者は徹底的なマーケットリサーチを踏まえたうえで、この比較的新しい業態を舞台に蠢く商魂逞しい野心家や初な男心を手玉に取る美貌の元AV女優などを生き生きと踊らせ、巧みな構成と円熟した筆致でウエルメイドな通俗小説を仕上げています。


  小説を一冊ものすは大変なことまして面白い小説となればなおさら 蝶人
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又吉直樹著「火花」を読んで

2015-04-05 12:45:19 | Weblog


照る日曇る日第773回


サザエさん 
最初ちょっと堅苦しい文体に戸惑ってなんども読みなおしたりするけれど、どんどん物語の魅力に惹きつけられて最後まで夢中になって読みとおしてしまうわね。

マスオさん
最近の小説の多くが難しい漢字や堅苦しい表現を廃してスラスラ読みやすい文章にしている傾向があるけど、これはあえてその逆を行くようないわば硬派の正統的文体で、そこが却って新鮮だな。

偽丸谷才一
過剰なまでに知的であるが、かといってユーモアとウイットにも欠けてはいない。泣き喚く赤ちゃんを「尼さんの右目に止まる蠅2匹」なる偽川柳で笑わせようとするシーンは長く文芸史に残るだろう。

偽吉本隆明
日本文学の古典をよく研究咀嚼しているし、「太鼓の太鼓のお兄さん、真っ赤な帽子のお兄さん、龍よ目覚めよ、太鼓の音で」というフレーズにみられるような現代詩歌のセンスも半端ではない。

偽吉田健一 

著者が長く親しんでいる漫才師の師弟愛の世界を描いているわけだけど、漫才に生きる人々の人物像を繊細かつ精妙に描き出している。とりわけステージに立った時以外も朝から晩まで漫才をやっている仙人か哲学者のような主人公の師匠の造型が見事。

ドラえもん 
さてどうやって物語を終わらせるのかと心配していたら、見事なラストが出現して僕らに思いがけないカタルシスを贈ってくれましたあ。

偽小林秀雄
熱血純文学青年による傑作漫才小説なり。著者の文学と漫才への真摯な愛に不意打ちされてしまった。これなら特別芥川賞をくれてやらなきゃ。


   わが軍は吾輩のもの米帝が行けと言うなら地の果てまでも 蝶人

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東田直樹著「あるがままに自閉症です」を読んで

2015-04-04 09:52:49 | Weblog


照る日曇る日第772回



 自閉症者の障がいの特徴は「認知の障がい」「運動の障がい」「社会性発達の障がい」「言語発達の障がい」に加えて「同一性への固執」「常同的な遊びや行動のパターン」などを示すことにある。

 脳の中枢神経系に器質障がいがあると推定されている彼らの、そんないっけん奇妙で奇怪な行動の背後には、なんらかの理由や根拠があるはずなのだが、そのメカニズムは遅々として解明されない。

 今年40歳になった長男も自閉症だが、私が彼をちょっと注意したり怒ったりすると、それが大きなこだわりになって長きにわたって潜伏し、私がとっくに忘却した頃になってそれに対する反発や怒りや自傷が爆発したりする。

 どうしてそうなるのと息子に尋ねても、言葉が壁になって明確な答えが返ってこず、こちらは推理と想像を逞しくするほかなかった。

 おそらく本書の著者もそのような障がいを複合的に保持している青年ではないかと想像するのだが、世の自閉症者と異なるのは、言葉を自在に用いて、まるで哲学者のように自分と他者と世界について深い思考を巡らせる驚くべき才能を持っていることである。

 本書を読むと「なるほどなあ、そういうことだったのか」と腑に落ちる個所がいくつもある。たとえば、

「お母さん、おもてなしってなに?」
「人に親切にしてあげることよ」
「おもてなし、おもてなし」

 というわが家の母と子の会話のような状況において、息子は本気で質問をして回答を求めているのではなく、著者が正しく解説しているように「言葉のキャッチボールを楽しんでいる」のである。

 本書は、みかけは阿呆莫迦気狂い同然の障がい者が、じつは健常者の想像を絶する辛さと生き難さ、そして驚くべき繊細な知性と感性の世界を内蔵している逆説を鮮やかに証している。

 嗚呼、うちの耕君も、パソコンに向かって言葉で内面を吐露する能力さえあれば著者に勝るとも劣らぬ豊かな思想や感情を表現することができるに違いないのだが。


 人はみな発達障害にしてアインシュタインもエジソンも自閉症だと いい加減なレッテルを貼りはやめてけれ 蝶人
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鎌倉十二所を歩く その7 朝夷奈切通の巻

2015-04-03 12:50:16 | Weblog

茫洋物見遊山記第174回&鎌倉ちょっと不思議な物語第336回


 毎度おなじみの散策路なり。

 鎌倉には7つの切通があるが、これは武蔵国久良岐郡と相模国鎌倉郡の境にあって、鎌倉と東京湾の六浦(むつら)を結ぶ鎌倉以前からある重要な峠道であり、六浦港は関東一円の生産物が集積される幕府の貴重な外港であった。

 鎌倉町青年団が建てた石碑には「土俗に朝夷奈三郎義秀一夜のうちに切抜けたるを以てその名ありと伝えられている」とあるが、まあこれは英雄伝説で、「仁治元年11月に議定があり、翌年4月に執権北条泰時がここを訪れて諸人群衆し土石を運んだ」とあるのが正しいのだろう。

 朝夷奈切通は産業道路のほかに軍事戦略の要衝として活用され、それは北条泰時の甥、金沢実時が六浦に別荘を持ったことで一層その重要度を強めていった。

 いずれにせよ将軍や執権、武将、日蓮上人などの宗教家をはじめ、無数の商人、百姓たちがさまざまな、しかし現代にも通じる思いを懐きながら、およそ700年にわたってこの切通を往来していたのであろう。

 朝夷奈峠を登ったところにある湿地では現在2か所でオタマジャクシが泳いでいる。



   月の沙漠で喉が乾けば君が鎖骨の甘露を汲まん 蝶人
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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第21回

2015-04-02 09:20:53 | Weblog



西暦2015年弥生蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.194



「どう生きたか」ではなく、「どう生きるか」だ。山本周五郎「小説日本婦道記」3/2

動かない家の時代は終わった。「リトル・ホラーショップ」や「踊るサンマ御殿」のようなポンポコリンな家、音楽や住人の感情に合わせてスイングし、ダンスする家、ロケンロールな家が求められている。3/2

悼む人への問題。偽イスラム国に虐殺された青年への涙と仲間に虐殺された川崎の少年への涙、暗殺されたロシアの野党指導者への涙の質と量の違いについて考察せよ。3/3

涙には感情的な涙と悟性の涙、そして無自覚なダダモレ涙があるのだろう。3/3

殺された者へ注がれる一掬の涙は、殺した者の母親に注がれる一掬の涙と地下深くにある涙の谷でつながっているはずだ。3/4

憲法がそれを禁じているのに、またなんの必要も必然性もないのに、どうしても軍隊を海外に派兵したいとダダをこねている連中がいるようだ。3/5

人間なんて弱いものだ。人間なんて弱いものだ。人間なんて弱いものだ。人間なんて弱いものだ。人間なんて。3/7

もはや誰も介入できない心身の大混乱、押し寄せる不安と異様な急迫、そのとき暗い空から舞い降りる一筋の白い糸の揺曳のごときものとして、自死へのあこがれが立ち現われるのだろうか。3/8

実行できもしないのに経済最優先と喚く男が、海外派兵最優先と称して密室で憲法違反の悪だくみを図っている。3/9

「3・11」を身近に体験したはずの島国の男が、遥か彼方から観察していた異国の女性より切実に直視していなかったというのは、21世紀の歴史の皮肉のひとつといえるだろう。3/11

「安倍さえ決意すれば原発は廃められる」と力説する元首相は評価できるが、「勝手に安倍談話を出せばいい」という放言ぶりは相変わらずの無責任男だ。3/12

しかし小泉が言うように「首相一人が決断すれば原発政策が変わる」ほど宰相の権限が巨大であるということのほうが、むしろ問題だ。「安倍が決断すれば○○でも○○でも何でも出来る」ということなのだから。3/13

誰ものぞんでいないのに偽ロシア国グルジアを訪れる鳩山元首相。こういう能天気な政治白痴が民主党政治を裏側から損耗し、結果的に安倍専制独裁政治を招来したのである。3/13

帰納と演繹万能主義による要素還元換骨奪胎手法全盛の中で、歴史の真実は絞め殺されていく。格調高い正史を投げ捨て、梅原猛と司馬遼太郎は、玉虫色をした偽史の穴に潜り込んだ。3/15

自公の一握りの政治家が、国民の蚊帳の外で、我が国の安全保障について恣意的な談合と聾断を行うことは、それ自体が許されざる憲法違反行為である。3/16

グルジアを併呑する際に核兵器の準備をしていたとはなんということだろう。プーチン恐るべし。3/17

こないだ終了したテレビドラマ「ゴーストライター」と「まっしろ」がマア面白かった。前者ではあんな編集者と役員が講談社にいそうな気がするし、後者でも脚本が冴えていた。それにくらべて「マッサン」と「花燃ゆ」の酷さは目に余る。あれはドラマというより学芸会。3/18

チュニジアにおける邦人殺害も、ある意味では安倍首相の誤った対「偽イスラム国」対策の犠牲者といえるだろう。私たちがどんなに治安がよいとされる国に出かける場合にも、テロの危険を「自己責任」で引き受けなければならないというこの非常事態。3/19

「ように」という日本語を「よに」なんて歌うな。けたくそ悪くて身の毛がよだつ。福山君、とりあえずあんたに言っているんだ。3/20

「俗悪な音楽を嫌うのはいい。しかし軽蔑してはいけない。高雅な音楽より低俗な音楽のほうが遥かにしばしば、遥かに情熱をこめて演奏され歌われるので、前者より後者が徐々に、人々の夢や涙で満たされるにいたった」プルースト「低俗な音楽への賛辞」(岩崎力訳)

いずれ慰めを見出すように、人は癒されもする。人の心の中には、いつまでも涙を流し、いつまでも愛し続けるほどのものはないのだ」ラ・ブリュイエール「人さまざま」(岩崎力訳)3/20

理非曲直を正す韓非子を装う手合いが戦争準備を進めているが、いったん戦争が始まってしまう理非曲直なぞ吹っ飛んで殺戮の無限の泥仕合に巻き込まれてしまう。だから、いかなる大義名分があろうとも刀を抜いてはいけないということが分かっていないようだね。3/21

コンスタンツェ「ドゥルクンシュープちゃん。もう8時、どうしようもないわ」
モーツアルト「私の大事なバガテルちゃん、僕は出かける、君は残る。なんて悲しいことだろう。雨が降れば濡れちあまう、もうどうしようもない」
友人1「モーツアルト君、黙れ、黙れ、首をへし折っちゃうぞ」
友人2「お情け、お情け、僕はノミに食われちゃった」
モーツアルト作詩作曲の諧謔的四重唱K571a

それにしても宮本文昭ってどうしてオーボエの演奏をやめたんだろう。あれは世界の音楽界にとっても大いなる損失であった。今月限りで指揮者から足を洗うそうだが、ぜひとも演奏を再開してほしいものだ。

大量のトイレットペーパーを使うしょうぐあい者にどう対応すればいいのだろう。怒ったり注意したりするのは最悪であることは間違いない。

月曜日の朝日歌壇。「二十年投稿すれど選ばれず出したはがきは七千枚に」。佐々木幸綱選の最後に掲載された横浜市武市治子さんの一首に思わず笑ってしまったが、その気持ちはよく分かる。1枚50円としても三十五万!「七千枚に」籠められた怨念はついに報われた!3/23

大嫌いなモンゴル人の横綱を徹底的にやっつけてくれる強い国産相撲取りが久しぶりに登場したと思って喜んでいたら、なんとなんと、彼もまたモンゴル人なのであったあ。3/24

「わが軍隊」か。お山の大将おれひとり、ってか。専守防衛の自衛隊どころかいっさいの軍備の所有を認めない憲法第9条を甚だしく棄損し、意図的に反逆しようとする発言だな。3/26

「フライシュテットラー君、ガウリマウリ君、ハリネズミ君、どこへ行くつもりですか?フィンタでもなければスクルテッティでもない。というと結局他のところへ行く訳だね。それじゃあキッチャーのところへ行く訳か、リリエンフェルトさんの所へ行くつもりか。
モーツアルト作詩作曲四声のカノン「親愛なるフライシュテットラー」3/27

そうじゃないでしょう?フライシュテットラーでもなきゃ、ガウリマウリでもなきゃ、
ハリネズミ君でもなくて、君はリリエンフェルトさんですね。モーツアルト作詩作曲四声のカノン「親愛なるフライシュテットラー」3/28

新覇者中国主導のアジア投資銀行に雪崩打つ主要国のなかで、2人淋しく孤立する日米阿呆莫迦親子同盟。いい加減で激変するパワーオブバランスに目を開き、それなりの主体性を発揮すべきだが「わが軍」の指揮官が安倍蚤糞では到底無理だろうな。3/31


   展覧会に雑巾の絵を出すといういったい誰が買うのだろうか 蝶人

*渋谷ヒカリエ8階で今月12日まで開催中。http://www.hikarie8.com/cube/2015/03/hikarie-contemporary-art-eye-vol1.shtml


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