映画「フィールズ・グッド・マン」 ネット空間でヘイトが加速 実在ユーザーの証言に衝撃
SNSの闇を描いたドキュメンタリー映画「フィールズ・グッド・マン」が、12日から公開されます。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんに、寄稿してもらいました。
フォトジャーナリスト 安田菜津紀
変わり者で、とろんと眠たげな目を向け、けれども友人たちから愛されるカエルのぺぺは、若者たちのリアルな日常を描いた漫画「ポーイズ・クラブ」のキャラクターだった。「だった」と安易に過去形にするのは、不適切かもしれない。ぺぺは紛れもなく、作者のマット・フユーリー氏が生み出したのだ。ところが、そんな「オリジナル」を覆うほどの過激な現象が、マットとぺぺに降りかかっていた。
予兆はあった。ネット空間でペペは、ぺぺが放ったせりふ「feels good man(気持ちいいぜ)」と共に、徐々に改変された姿で表れはじめていた。漫画のキャラクターを、不特定のユーザーが自身で描き直しアップする行為は、「よくあること」と見過ごされがちだ。ところがぺぺはやがて、匿名掲示板「4chan」で人種差別のイメージと共に拡散されていく。熱狂的な「トランプ現象」とも結びつき、気づけば作者の意図とかけ離れた独り歩きは、もはや歯止めのきかないところまで加速してしまっていた。
とりわけゾッとしたのは、ぺぺをヘイトのシンポルにまで祭り上げていった人々の証言だった。一見すると“普通”の人々が、ネットで攻撃的な言葉を書き込み続け、矛先を向けたターゲットに“粘着”していく過程が、実在のユーザーの言葉と共に徐々に浮き彫りになっていく。
「原作なんて関係ない」といわんばかりに、自身がヘイト拡散の「加担者」であることを正当化する若者さえいた。「単なるネットの書き込み」と高をくくってはいられない。言葉の暴力は歯止めをかけなければ、身体的暴力に豹変(ひょうへん)する。
こうして映画は、SNSの構造的な問題をとらえながら、自己承認欲求を満たすためにネットストーキング(インターネット上のストーカー行為)を繰り返す心理にも迫り、あふれ続ける「過激な言葉」の濁流の水底に何が堆積しているのかをあぶり出していく。
ともすると人は、わかりやすい「シンボル」や「アイコン」を求めがちだ。だからこそマットとぺぺが、のみ込まれていったフェイクやヘイトの渦は、遠い国の問題とは思えなかった。
日本でもヘイトや誹謗(ひぼう)中傷は、掲示板やSNSで日々繰り返されている。追い詰められたマットはある時、自身の作品中でぺぺを葬ったことがあったが、漫画のキャラクターだけではなく、言葉の刃によって命を絶つまでに人が追い詰められることさえある。法改正やプラットフォーム側の運用のあり方が問われるのはもちろん、スマホのボタンひとつで加害者になってしまわないために、立ち止まり、再考できるかが、私たち一人ひとりにも求められている。
「しんぶん赤旗」日曜版 2021年3月7日付掲載
何の悪意もなくネットに公開した画像や動画が、その作者の意図を超えて変質されて拡散、ひいてはヘイトに使われてしまうってこと。
SNS社会の脅威を描き出します。
SNSの闇を描いたドキュメンタリー映画「フィールズ・グッド・マン」が、12日から公開されます。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんに、寄稿してもらいました。
フォトジャーナリスト 安田菜津紀
変わり者で、とろんと眠たげな目を向け、けれども友人たちから愛されるカエルのぺぺは、若者たちのリアルな日常を描いた漫画「ポーイズ・クラブ」のキャラクターだった。「だった」と安易に過去形にするのは、不適切かもしれない。ぺぺは紛れもなく、作者のマット・フユーリー氏が生み出したのだ。ところが、そんな「オリジナル」を覆うほどの過激な現象が、マットとぺぺに降りかかっていた。
予兆はあった。ネット空間でペペは、ぺぺが放ったせりふ「feels good man(気持ちいいぜ)」と共に、徐々に改変された姿で表れはじめていた。漫画のキャラクターを、不特定のユーザーが自身で描き直しアップする行為は、「よくあること」と見過ごされがちだ。ところがぺぺはやがて、匿名掲示板「4chan」で人種差別のイメージと共に拡散されていく。熱狂的な「トランプ現象」とも結びつき、気づけば作者の意図とかけ離れた独り歩きは、もはや歯止めのきかないところまで加速してしまっていた。
とりわけゾッとしたのは、ぺぺをヘイトのシンポルにまで祭り上げていった人々の証言だった。一見すると“普通”の人々が、ネットで攻撃的な言葉を書き込み続け、矛先を向けたターゲットに“粘着”していく過程が、実在のユーザーの言葉と共に徐々に浮き彫りになっていく。
「原作なんて関係ない」といわんばかりに、自身がヘイト拡散の「加担者」であることを正当化する若者さえいた。「単なるネットの書き込み」と高をくくってはいられない。言葉の暴力は歯止めをかけなければ、身体的暴力に豹変(ひょうへん)する。
こうして映画は、SNSの構造的な問題をとらえながら、自己承認欲求を満たすためにネットストーキング(インターネット上のストーカー行為)を繰り返す心理にも迫り、あふれ続ける「過激な言葉」の濁流の水底に何が堆積しているのかをあぶり出していく。
ともすると人は、わかりやすい「シンボル」や「アイコン」を求めがちだ。だからこそマットとぺぺが、のみ込まれていったフェイクやヘイトの渦は、遠い国の問題とは思えなかった。
日本でもヘイトや誹謗(ひぼう)中傷は、掲示板やSNSで日々繰り返されている。追い詰められたマットはある時、自身の作品中でぺぺを葬ったことがあったが、漫画のキャラクターだけではなく、言葉の刃によって命を絶つまでに人が追い詰められることさえある。法改正やプラットフォーム側の運用のあり方が問われるのはもちろん、スマホのボタンひとつで加害者になってしまわないために、立ち止まり、再考できるかが、私たち一人ひとりにも求められている。
「しんぶん赤旗」日曜版 2021年3月7日付掲載
何の悪意もなくネットに公開した画像や動画が、その作者の意図を超えて変質されて拡散、ひいてはヘイトに使われてしまうってこと。
SNS社会の脅威を描き出します。
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