統制された文化 地図 防諜の名のもと「戦時改描」
今尾 恵介
いまお・けいすけ 1959年生まれ。日本地図センター客員研究員、日本国際地図学会評議員。『地図で読む戦争の時代』ほか
図(上)は1937(昭和12)年に修正された東京府立川町(現東京都立川市)を描いた5万分の1地形図である。中央本線立川駅の北側に「立川町」と記された一帯は雑木林と桑畑、荒れ地などの記号が見え、その中を縦横に1本線で示された細い道が通っている。
図(下)はまったく同じ年の同じエリアの地形図なのだが、その一帯の内容が上の図とまったく違い、雑木林や桑畑などの代わりに「飛行場」が目立つ。地元の人なら知らぬ者はない陸軍の立川飛行場である。他にも「飛行五(連隊)」「航空本部技術部」「航空支廠」「航空支廠兵器庫」など、陸軍の空の要衝を示す文字と格納庫らしき建物を含むいくつもの建造物が描かれている。「空都」として名をはせた立川飛行場が上の図にまったく見られない理由は「戦時改描」が施されたためだ。
1:50,000地形図「立川」昭和12年修正(戦時改描版)大日本帝国陸地測量部
改描の有無は図の欄外の定価が「定価金拾参銭」とあれば非改描、「(定価金拾参銭)」は改描、「〔定価金拾参銭〕」なら改描の必要がなかったもの、という隠されたサインで区別していた
1:50,000地形図「立川」昭和12年修正(非改描)大日本帝国陸地測量部
軍機保護法強化されて
これは「防諜のため」に行われた地図上の偽装工作である。1899年に公布された軍機保護法が、日中戦争が始まった1937年に強化・厳罰化の方向で改正された。それに伴い、国の地形図作成機関であった陸軍陸地測量部(国土地理院の前身)が発行する図に適用されたものだ。
図のような飛行場や兵営はもちろん、軍施設の他にも戦略的に重要な民間工場や造船所とそれに通じる貨物線、鉄道操車場、発電所、ダム、貯水池など適用範囲は広く、このため時代の素顔を記号を用いて記録してきたはずの地形図が、この期間だけウソを描くことになってしまったのである。
現在は都庁などの高層ビル街になっている新宿駅西口にかつて存在した淀橋浄水場も改描の対象で、水を濾過する池などが整然と並ぶエリアは、池が点在する公園のような地域に擬装されていた。
しかしその描き方がどことなく不自然な印象なのは―これは私が勝手に推察しているのだが―それまで国土の姿を正確に図に表現することを生業としていた陸地測量部員がウソを描かせられた憤懣(ふんまん)が、わざと下手に描くという「ひそかな抵抗」として表れたのではないだろうか。
改描は従来刊行されていた既存の図の再版時にも適用されており、一般にはそれらのウソが描かれた図が販売された(41年からは全面的に地形図の販売は停止)。本物が描かれた図を入手できるのは軍や政府のこく一握りのメンバーだけで、多くの国民には正しい国土の姿は知らされなかった。もちろん民間発行の市街地図だけが現状を正しく描写してしまったら都合が悪いので、ウソの公園や住宅街の描写が各社に要請されている。すでに要塞地帯だった三浦半島や関門海峡、津軽海峡などではそれ以前から一般人が地形図を入手することはできず、一部が空白で一般国民は不便を感じたかもしれないが、少なくともウソを描いてはいない。
偽装工作に精を出す日本を尻目に、米軍は優れた情報収集力で日本中の主要都市の精密な地図を独自に作成していた。立川についても、基となる地形図は戦前にすでに入手済みで、これに加えて市街地図や時刻表なども併用、さらに偵察飛行で得た写真データおよび捕虜から聞き出した情報などを総合して作成したらしい。
米軍地図に詳細な記載
米国テキサス大学図書館のサイトで公開されている「Japan City Map」コレクションで「Tachikawa」の図を見れば、飛行場の西にある航空工廠には「金属切削工場」「エンジン工場」「風洞」「火薬庫」「おそらく事務所」など建物の詳細が載っていてまさに脱帽だ。
「地図を隠すこと」は戦前の日本に限ったことではなく、グーグルマップが世界を覆う今でも国によっては行われている。国家やその軍部の一部が「防諜」の名のもとに重要な情報を独占し、国民に判断材料を与えないことが、どのような結果を招いたかは歴史が証明しているが、とりわけ「特定秘密保護法」の存在する現在の日本にあって、本質的にこれは過去の話ではない。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年10月11日付掲載
地図から軍需施設を隠しても、相手の米軍には筒抜け、独自の資料を持っていた。
「特定秘密保護法」がある日本では、国家が本気になれば地図から国家に重要な施設が隠されるってことも…
やはり、安保法制、秘密保護法、共謀罪は廃止しかない。
今尾 恵介
いまお・けいすけ 1959年生まれ。日本地図センター客員研究員、日本国際地図学会評議員。『地図で読む戦争の時代』ほか
図(上)は1937(昭和12)年に修正された東京府立川町(現東京都立川市)を描いた5万分の1地形図である。中央本線立川駅の北側に「立川町」と記された一帯は雑木林と桑畑、荒れ地などの記号が見え、その中を縦横に1本線で示された細い道が通っている。
図(下)はまったく同じ年の同じエリアの地形図なのだが、その一帯の内容が上の図とまったく違い、雑木林や桑畑などの代わりに「飛行場」が目立つ。地元の人なら知らぬ者はない陸軍の立川飛行場である。他にも「飛行五(連隊)」「航空本部技術部」「航空支廠」「航空支廠兵器庫」など、陸軍の空の要衝を示す文字と格納庫らしき建物を含むいくつもの建造物が描かれている。「空都」として名をはせた立川飛行場が上の図にまったく見られない理由は「戦時改描」が施されたためだ。
1:50,000地形図「立川」昭和12年修正(戦時改描版)大日本帝国陸地測量部
改描の有無は図の欄外の定価が「定価金拾参銭」とあれば非改描、「(定価金拾参銭)」は改描、「〔定価金拾参銭〕」なら改描の必要がなかったもの、という隠されたサインで区別していた
1:50,000地形図「立川」昭和12年修正(非改描)大日本帝国陸地測量部
軍機保護法強化されて
これは「防諜のため」に行われた地図上の偽装工作である。1899年に公布された軍機保護法が、日中戦争が始まった1937年に強化・厳罰化の方向で改正された。それに伴い、国の地形図作成機関であった陸軍陸地測量部(国土地理院の前身)が発行する図に適用されたものだ。
図のような飛行場や兵営はもちろん、軍施設の他にも戦略的に重要な民間工場や造船所とそれに通じる貨物線、鉄道操車場、発電所、ダム、貯水池など適用範囲は広く、このため時代の素顔を記号を用いて記録してきたはずの地形図が、この期間だけウソを描くことになってしまったのである。
現在は都庁などの高層ビル街になっている新宿駅西口にかつて存在した淀橋浄水場も改描の対象で、水を濾過する池などが整然と並ぶエリアは、池が点在する公園のような地域に擬装されていた。
しかしその描き方がどことなく不自然な印象なのは―これは私が勝手に推察しているのだが―それまで国土の姿を正確に図に表現することを生業としていた陸地測量部員がウソを描かせられた憤懣(ふんまん)が、わざと下手に描くという「ひそかな抵抗」として表れたのではないだろうか。
改描は従来刊行されていた既存の図の再版時にも適用されており、一般にはそれらのウソが描かれた図が販売された(41年からは全面的に地形図の販売は停止)。本物が描かれた図を入手できるのは軍や政府のこく一握りのメンバーだけで、多くの国民には正しい国土の姿は知らされなかった。もちろん民間発行の市街地図だけが現状を正しく描写してしまったら都合が悪いので、ウソの公園や住宅街の描写が各社に要請されている。すでに要塞地帯だった三浦半島や関門海峡、津軽海峡などではそれ以前から一般人が地形図を入手することはできず、一部が空白で一般国民は不便を感じたかもしれないが、少なくともウソを描いてはいない。
偽装工作に精を出す日本を尻目に、米軍は優れた情報収集力で日本中の主要都市の精密な地図を独自に作成していた。立川についても、基となる地形図は戦前にすでに入手済みで、これに加えて市街地図や時刻表なども併用、さらに偵察飛行で得た写真データおよび捕虜から聞き出した情報などを総合して作成したらしい。
米軍地図に詳細な記載
米国テキサス大学図書館のサイトで公開されている「Japan City Map」コレクションで「Tachikawa」の図を見れば、飛行場の西にある航空工廠には「金属切削工場」「エンジン工場」「風洞」「火薬庫」「おそらく事務所」など建物の詳細が載っていてまさに脱帽だ。
「地図を隠すこと」は戦前の日本に限ったことではなく、グーグルマップが世界を覆う今でも国によっては行われている。国家やその軍部の一部が「防諜」の名のもとに重要な情報を独占し、国民に判断材料を与えないことが、どのような結果を招いたかは歴史が証明しているが、とりわけ「特定秘密保護法」の存在する現在の日本にあって、本質的にこれは過去の話ではない。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年10月11日付掲載
地図から軍需施設を隠しても、相手の米軍には筒抜け、独自の資料を持っていた。
「特定秘密保護法」がある日本では、国家が本気になれば地図から国家に重要な施設が隠されるってことも…
やはり、安保法制、秘密保護法、共謀罪は廃止しかない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます