10月24日から公開されている、映画「沈まぬ太陽」。
原作は山崎豊子さんの長編小説。
「しんぶん赤旗」日曜版の2009年11月1日付けで紹介された。
沈まぬ太陽 若松節郎監督インタビュー
人は、まっすぐに自分を貫いて生きていけるのか?映画「沈まぬ太陽」は、そう問いかけます。会社からの差別に屈せず、筋を通して生き抜く主人公を演じたのは、渡辺謙さん。原作は、山崎豊子さんの大河小説です。若松節朗監督は、「今、こういう映画を作らなければいけないと思った」と語ります。
児玉由紀恵記者
正直に生きる強靭さ 今の時代に響いて欲しい
「ものすごく心を動かされて、これは、何とか映画に撮りたいと思いましたね」
若松監督は、2004年に初めて山崎豊子さんの原作を読んだときの感想をこう語ります。
舞台は、1960年代から80年代を背景とする航空会社「国民航空」。その労働組合委員長を務めた恩地元(おんち・はじめ)は、会社の報復人事で10年近く中東やアフリカに飛ばされます。帰国後、国民航空機が御巣鷹山に墜落した大惨事で、遺族係を務め、新しく赴任した会長に抜てきされて会長室室長として働くー。
映画は、全5巻、2300ページを超えるこの長編小説を、巧みに構成。導入部に、アフリカでの恩地と御巣鷹山で520人の命が奪われた大惨事を交差させ、底に流れる「命の尊厳」という大きな主題を浮かばせます。
仲間たち
「山崎さんは、『この映像化なしに私は死ねない。墜落事故のある遺族を取材したときに3年分の涙を流した』、と言われました。お会いするたびに、(山崎作品の『白い巨塔』『不毛地帯』を映画化した)山本(薩夫)監督はね、と話されて、すごいプレッシャーでしたよ(笑い)」
さまざまな曲折を経ての映画化実現であるだけに、若松監督は、思いをほとばしらせるように語ります。
カラチ、テヘラン、ナイロビと、10年近く流刑に等しい海外勤務を強いられる恩地。“会社にわびを入れれば、好きな部署に戻す”と言われますが、“仲間に顔向けできない”と断ります。
組合での闘争をともにした仲間たち。安全飛行に直結する要求を掲げ、会社と団体交渉をする彼らの先頭にいたのが恩地でした。社長らと鋭く切り結ぶ団交。
要求が通って“恩地!”“恩地!”と唱和しながらともに喜びあう姿。仲間の尊さが伝わるシーンです。
「すっごく撮影現場が盛り上がりましたね。恩地役の渡辺謙さんに、わび状を書けないと意識させるのも、こういうシーンあればこそでしょう。この映画を何としても作り上げなきゃいけないと、スタッフ間、役者間の意思疎通がすごくできたシーンでした」
夫であり父である恩地が、思いを貫き、海外勤務を続けることは、家族にも負担がのしかかります。しかし、“会社を辞めるわけにはいかない。おれの衿持(きょうじ)が許さない”と踏ん張る恩地。人間としての誇りを表す「殆持」という言葉が、痛切に響きます。
「多くの人命を預かる航空会社ですから、その方針に問題を感じれば自分が言い続けなければ、という思いもあって辞められない。
人は、自分に正直に生きようとすると、強靭(きょうじん)なものを持っていないとできない。恩地は、それを持っていた。そこにみんながあこがれるんじゃないでしょうか」
アフリカに飛ばされた恩地が、そこで感得したのは「アフリカのサバンナに行くと、力強い生命力を感じさせられます。大草原、風、でっかい太陽。ああ何やってるんだろうな、と、人問をもう一歩踏み出させる力があるんです」
御巣鷹山
520人が犠牲になった御巣鷹山での墜落事故。飛行機も人間もほとんど原形をとどめない惨状に、死者の無念、遺族の果てしない悲しみが、あらためて迫ってきます。群馬県の、御巣鷹山を想定した山での撮影時、スタッフは、山の向こうの御巣鷹山に黙とうをした後、撮影を進めました。
若松監督は、事故で亡くなった息子に“今どこにいるの”と呼びかける母親の手紙を台本にはって日々読み返し、撮影にのぞんだと言います。
「涙しながらの撮影でした。520人の魂を背負ってやらなければ、と言い聞かせながら。監督として、忘れてはならないことですから」
恩地役をやりたいと山崎さんに自ら願い出た渡辺謙さんが、苦節を超えていく恩地像を刻み、観客を引き込みます。
恩地とともに組合を導いた友人でありながら、組合の分裂を謀り、出世街道を走る行天四郎(三浦友和)。
請われて会長になり、国民航空の再出発を図ろうとするものの政治にほんろうされてしまう国見会長(石坂浩二)。
利潤第一の企業、それに結託する政財界。そのあくどさをみすえて骨太く描かれる人間ドラマ。3時間半近くの上映を飽かさず見せます。
「俳優さんたちが原作にほれこんで、燃えてくれました。一人の男の生き方を通して、家族、友情、企業のあり方、いろんなことが感じていただけると思います。政変があり、日航の問題があり、時代が、くしくもこの映画を待っていたような気がします。今を生きている人たち、自分を変えたいと思っている人たちに響いてくれるなら、すりごくうれしいですね」
恩地元の名前の由来
小説『沈まぬ太陽』の恩地のモデルは、故小倉寛太郎さん(元日航労組委員長)です。そのお別れの会(02年10月)で、山崎さんが、「大地の恩を知り、物事の根源にたって考えるという意味を込めた名前」と語っています。
全国の東宝系劇場で上映中です。ぜひ、観てくださいね!
原作は山崎豊子さんの長編小説。
「しんぶん赤旗」日曜版の2009年11月1日付けで紹介された。
沈まぬ太陽 若松節郎監督インタビュー
人は、まっすぐに自分を貫いて生きていけるのか?映画「沈まぬ太陽」は、そう問いかけます。会社からの差別に屈せず、筋を通して生き抜く主人公を演じたのは、渡辺謙さん。原作は、山崎豊子さんの大河小説です。若松節朗監督は、「今、こういう映画を作らなければいけないと思った」と語ります。
児玉由紀恵記者
正直に生きる強靭さ 今の時代に響いて欲しい
「ものすごく心を動かされて、これは、何とか映画に撮りたいと思いましたね」
若松監督は、2004年に初めて山崎豊子さんの原作を読んだときの感想をこう語ります。
舞台は、1960年代から80年代を背景とする航空会社「国民航空」。その労働組合委員長を務めた恩地元(おんち・はじめ)は、会社の報復人事で10年近く中東やアフリカに飛ばされます。帰国後、国民航空機が御巣鷹山に墜落した大惨事で、遺族係を務め、新しく赴任した会長に抜てきされて会長室室長として働くー。
映画は、全5巻、2300ページを超えるこの長編小説を、巧みに構成。導入部に、アフリカでの恩地と御巣鷹山で520人の命が奪われた大惨事を交差させ、底に流れる「命の尊厳」という大きな主題を浮かばせます。
仲間たち
「山崎さんは、『この映像化なしに私は死ねない。墜落事故のある遺族を取材したときに3年分の涙を流した』、と言われました。お会いするたびに、(山崎作品の『白い巨塔』『不毛地帯』を映画化した)山本(薩夫)監督はね、と話されて、すごいプレッシャーでしたよ(笑い)」
さまざまな曲折を経ての映画化実現であるだけに、若松監督は、思いをほとばしらせるように語ります。
カラチ、テヘラン、ナイロビと、10年近く流刑に等しい海外勤務を強いられる恩地。“会社にわびを入れれば、好きな部署に戻す”と言われますが、“仲間に顔向けできない”と断ります。
組合での闘争をともにした仲間たち。安全飛行に直結する要求を掲げ、会社と団体交渉をする彼らの先頭にいたのが恩地でした。社長らと鋭く切り結ぶ団交。
要求が通って“恩地!”“恩地!”と唱和しながらともに喜びあう姿。仲間の尊さが伝わるシーンです。
「すっごく撮影現場が盛り上がりましたね。恩地役の渡辺謙さんに、わび状を書けないと意識させるのも、こういうシーンあればこそでしょう。この映画を何としても作り上げなきゃいけないと、スタッフ間、役者間の意思疎通がすごくできたシーンでした」
夫であり父である恩地が、思いを貫き、海外勤務を続けることは、家族にも負担がのしかかります。しかし、“会社を辞めるわけにはいかない。おれの衿持(きょうじ)が許さない”と踏ん張る恩地。人間としての誇りを表す「殆持」という言葉が、痛切に響きます。
「多くの人命を預かる航空会社ですから、その方針に問題を感じれば自分が言い続けなければ、という思いもあって辞められない。
人は、自分に正直に生きようとすると、強靭(きょうじん)なものを持っていないとできない。恩地は、それを持っていた。そこにみんながあこがれるんじゃないでしょうか」
アフリカに飛ばされた恩地が、そこで感得したのは「アフリカのサバンナに行くと、力強い生命力を感じさせられます。大草原、風、でっかい太陽。ああ何やってるんだろうな、と、人問をもう一歩踏み出させる力があるんです」
御巣鷹山
520人が犠牲になった御巣鷹山での墜落事故。飛行機も人間もほとんど原形をとどめない惨状に、死者の無念、遺族の果てしない悲しみが、あらためて迫ってきます。群馬県の、御巣鷹山を想定した山での撮影時、スタッフは、山の向こうの御巣鷹山に黙とうをした後、撮影を進めました。
若松監督は、事故で亡くなった息子に“今どこにいるの”と呼びかける母親の手紙を台本にはって日々読み返し、撮影にのぞんだと言います。
「涙しながらの撮影でした。520人の魂を背負ってやらなければ、と言い聞かせながら。監督として、忘れてはならないことですから」
恩地役をやりたいと山崎さんに自ら願い出た渡辺謙さんが、苦節を超えていく恩地像を刻み、観客を引き込みます。
恩地とともに組合を導いた友人でありながら、組合の分裂を謀り、出世街道を走る行天四郎(三浦友和)。
請われて会長になり、国民航空の再出発を図ろうとするものの政治にほんろうされてしまう国見会長(石坂浩二)。
利潤第一の企業、それに結託する政財界。そのあくどさをみすえて骨太く描かれる人間ドラマ。3時間半近くの上映を飽かさず見せます。
「俳優さんたちが原作にほれこんで、燃えてくれました。一人の男の生き方を通して、家族、友情、企業のあり方、いろんなことが感じていただけると思います。政変があり、日航の問題があり、時代が、くしくもこの映画を待っていたような気がします。今を生きている人たち、自分を変えたいと思っている人たちに響いてくれるなら、すりごくうれしいですね」
恩地元の名前の由来
小説『沈まぬ太陽』の恩地のモデルは、故小倉寛太郎さん(元日航労組委員長)です。そのお別れの会(02年10月)で、山崎さんが、「大地の恩を知り、物事の根源にたって考えるという意味を込めた名前」と語っています。
全国の東宝系劇場で上映中です。ぜひ、観てくださいね!
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