食料自給率38%に低下 海外依存への転落 アメリカが意図
日本は豊かな自然、国土に恵まれ、農業を営んできました。しかし、1965年に73%あった食料自給率は2020年には38%まで下がりました。これは、輸入が途絶した場合、国民が必要とするカロリーの38%しか摂取できず、多くの国民が飢餓に直面する危険な水準です。
生産基盤である農地面積は、1961年の609万ヘクタールから21年には434・9万ヘクタールへと実に約174万ヘクタールも減少。減少面積は、東京都の総面積の7・9倍にも及びます。耕作放棄地は東京都と大阪府を合わせた面積を超えます。
農業従事者はこの二十数年間で約3分の1に激減。しかも、農業就業者の7割が65歳以上という高齢化した状態です。
米の生産量は、2000年の924万トンから21年には701万トンにまで下落。この間、販売価格は19%下がり、農家の経営を直撃しています。
食生活に不可欠な小麦、大豆、トウモロコシなどは、ほとんど輸入に依存しています。
小麦の輸入ができなければ、パンやパスタ、うどんなどの生産ができなくなり、家畜飼料のトウモロコシの輸入が途絶すれば、酪農も牛豚肉生産や鶏肉・鶏卵生産が成り立たなくなります。
この輸入依存をつくったのが61年に制定された農業基本法です。
同法で導入された「選択的拡大」は、「需要が減少する農産物の生産の転換、外国産農産物と競争関係にある農産物の生産の合理化等」(第2条)とされ、アメリカからの輸入と競合する麦や大豆から、需要が増大すると見込まれた畜産・酪農、果樹などへ生産体制を大きく転換するものでした。
ニンジンの収穫=宮城県色麻町
背景にはアメリカ政府の意向がありました。
当時のアメリカは、第2次世界大戦以降の小麦や大豆、トウモロコシなどの余剰農産物と過剰在庫に悩み、それを同盟国の日本に押しつけようとしました。
当時の米中心の日本の食生活を変えるために、パン食が学校給食に導入されました。
それを裏付けるように、アメリカの小麦協会のリチャード・バウム氏が“米食民族の胃袋を変えるという作戦が成功した”と勝利宣言し、アメリカ政府関係筋の“余剰農産物処理や胃袋を変えるうえで、学校給食ほど安上がりで効果的なものはない”などという言明がありました。
その結果、小麦の作付面積は、61年を境に急激に減少。大豆の生産量は急減し、「大豆の安楽死」といわれました。
酪農・畜産の飼料は、米国からの輸入飼料に依存し、飼料自給率は下がる一方です。選択的拡大で生産を拡大してきた酪農・畜産・果樹産地を直撃したのが、牛肉・オレンジの自由化など食料輸入自由化で、産地では離農が続出しています。
食料の海外依存をやめ、自給率向上をめざす政治への転換が求められます。
小倉正行(おぐら・まさゆき 食ジャーナリスト)
「しんぶん赤旗」日曜版 2023年10月15日付掲載
日本は豊かな自然、国土に恵まれ、農業を営んできました。しかし、1965年に73%あった食料自給率は2020年には38%まで下がりました。
背景にはアメリカ政府の意向。当時のアメリカは、第2次世界大戦以降の小麦や大豆、トウモロコシなどの余剰農産物と過剰在庫に悩み、それを同盟国の日本に押しつけ。
酪農・畜産の飼料は、米国からの輸入飼料に依存し、飼料自給率は下がる一方。選択的拡大で生産を拡大してきた酪農・畜産・果樹産地を直撃したのが、牛肉・オレンジの自由化など食料輸入自由化で、産地では離農が続出。
食料の海外依存をやめ、自給率向上をめざす政治への転換が求められます。
日本は豊かな自然、国土に恵まれ、農業を営んできました。しかし、1965年に73%あった食料自給率は2020年には38%まで下がりました。これは、輸入が途絶した場合、国民が必要とするカロリーの38%しか摂取できず、多くの国民が飢餓に直面する危険な水準です。
生産基盤である農地面積は、1961年の609万ヘクタールから21年には434・9万ヘクタールへと実に約174万ヘクタールも減少。減少面積は、東京都の総面積の7・9倍にも及びます。耕作放棄地は東京都と大阪府を合わせた面積を超えます。
農業従事者はこの二十数年間で約3分の1に激減。しかも、農業就業者の7割が65歳以上という高齢化した状態です。
米の生産量は、2000年の924万トンから21年には701万トンにまで下落。この間、販売価格は19%下がり、農家の経営を直撃しています。
食生活に不可欠な小麦、大豆、トウモロコシなどは、ほとんど輸入に依存しています。
小麦の輸入ができなければ、パンやパスタ、うどんなどの生産ができなくなり、家畜飼料のトウモロコシの輸入が途絶すれば、酪農も牛豚肉生産や鶏肉・鶏卵生産が成り立たなくなります。
この輸入依存をつくったのが61年に制定された農業基本法です。
同法で導入された「選択的拡大」は、「需要が減少する農産物の生産の転換、外国産農産物と競争関係にある農産物の生産の合理化等」(第2条)とされ、アメリカからの輸入と競合する麦や大豆から、需要が増大すると見込まれた畜産・酪農、果樹などへ生産体制を大きく転換するものでした。
ニンジンの収穫=宮城県色麻町
背景にはアメリカ政府の意向がありました。
当時のアメリカは、第2次世界大戦以降の小麦や大豆、トウモロコシなどの余剰農産物と過剰在庫に悩み、それを同盟国の日本に押しつけようとしました。
当時の米中心の日本の食生活を変えるために、パン食が学校給食に導入されました。
それを裏付けるように、アメリカの小麦協会のリチャード・バウム氏が“米食民族の胃袋を変えるという作戦が成功した”と勝利宣言し、アメリカ政府関係筋の“余剰農産物処理や胃袋を変えるうえで、学校給食ほど安上がりで効果的なものはない”などという言明がありました。
その結果、小麦の作付面積は、61年を境に急激に減少。大豆の生産量は急減し、「大豆の安楽死」といわれました。
酪農・畜産の飼料は、米国からの輸入飼料に依存し、飼料自給率は下がる一方です。選択的拡大で生産を拡大してきた酪農・畜産・果樹産地を直撃したのが、牛肉・オレンジの自由化など食料輸入自由化で、産地では離農が続出しています。
食料の海外依存をやめ、自給率向上をめざす政治への転換が求められます。
小倉正行(おぐら・まさゆき 食ジャーナリスト)
「しんぶん赤旗」日曜版 2023年10月15日付掲載
日本は豊かな自然、国土に恵まれ、農業を営んできました。しかし、1965年に73%あった食料自給率は2020年には38%まで下がりました。
背景にはアメリカ政府の意向。当時のアメリカは、第2次世界大戦以降の小麦や大豆、トウモロコシなどの余剰農産物と過剰在庫に悩み、それを同盟国の日本に押しつけ。
酪農・畜産の飼料は、米国からの輸入飼料に依存し、飼料自給率は下がる一方。選択的拡大で生産を拡大してきた酪農・畜産・果樹産地を直撃したのが、牛肉・オレンジの自由化など食料輸入自由化で、産地では離農が続出。
食料の海外依存をやめ、自給率向上をめざす政治への転換が求められます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます