いのちを守る くらしの防災① 何を備えるか 命救われた経験と共に
坂本佳奈
さかもとかな
食文化・料理研究家。大阪市立大学院生活科学部前期博士課程修了。子どもからの防災教育のスペシャリストとして「まなぼうさいラボ」設立。科学の視点からの防災の食を研究、米粉の推進普及を行う
「防災」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。避難所を確かめておく、家の補強をしておく、食料を買っておく、いろいろな事が浮かんでくるでしょう。災害が起こった時のための準備。を引っくるめて“防災”と呼んでいます。その防災、今できていますか?
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。第2次世界大戦後、初めての都市部直下型地震でした。当時、関西には地震が来ないと言われていました。東京など関東は関東大震災のような大きな地震に襲われると思われていました。
突然の大地震
ところが、本当に突然、大きな地震がやってきたのです。幸いにしで津波はありませんでした。わが家はまさに活断層のすぐそばにあり、震度7の場所にありました。家は無事だったものの、本棚が崩れ、私はその下敷きになりました。朝、陽が昇る前の真っ暗な時間帯で、かぶっていた布団を顔にかけてしまい、それで顔を圧迫して窒息しました。
暗闇で「これは夢を見ているに違いない、早く起きなくては」と焦りました。いくら目を覚まそうと思っても、身体を起こそうと思ってもビクともしませんでした。動けないでいたまま、意識がなくなりました。
気がつくと、隣の部屋にいた両親が私を掘り起こしてくれ、ほとんど止まっていた息を習いたての心肺蘇生法で吹き返してくれました。大きな地震があったのだと分かったのは日も高くなってからで、情報源はラジオのみ、どこで何が起こっているかはほとんど分かりませんでした。
いまと違うのはインターネットがまだなく、携帯電話も普及が始まったばかりの頃で、情報の量が格段に少なかったのです。避難所には支援物資や情報が来ました。避難所に人が殺到し、救援活動をしていたり、足が悪かったり、なんらかの理由で先に入れなかった人たちは、家または別の場所に行かざるを得ませんでした。
マスクは震災時の粉じんから命を守る大切なもの。伸縮性のあるキッチンペーパーで、ぴったりしたマスクが簡単に作れます
マスクの作り方
①三角に折って切り込みを入れる
②サイドに当たる所を折り込む
③下を折る
④上を折る。三層安心フィルターマスクができる
⑤切り込みを耳にかける
⑥赤ちゃんにも
避難生活では
その日から、自宅にいての避難生活が始まりました。電気なし、水道なし、ガスなし。まるで野外キャンプのようでした。台所にあるビニールや、アルミホイル、キッチンペーパーが生活の役に立ちました。
あれから25年たっても、つい1週間ほど前の出来事のように当時を思い出します。「あの時、心肺蘇生法を知っていてよかった。あなたを救えてよかった」と母は亡くなるまでよく言っていました。
大きな災害では、一瞬にして平穏な暮らしがなくなります。どんなに不便で困難な時でも、人間は食べて、出して、寝て、その基本的な暮らしを止めることはできません。いつものように買い物に行き、いつものように苦労することなくご飯を作る、ゆっくりお風呂に入って休める暮らし、復興とは、そんな日々の暮らしが戻って来ることでもあります。
では、復興するために何を備えていたらよいのか、それは毎日の生活の中に答えがあります。日常に全く必要を感じないものは、実は災害時もいらないものが多いのです。物の準備の後は、いくつか知っておくと便利なことがあります。例えば心肺蘇生法を父母が知らなかったら、私は、ここに居ないでしょう。
(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月6日付掲載
坂本さんのおうちは倒壊しなかったのですね。それは良かったですね。
僕の住んでいた文化住宅は、倒壊もまぬがれて、電気も早く復旧しました。水道も近くの烏原浄水場からの水で止まることはありませんでした。
食事はともかく、トイレやお風呂に困りましたね。
坂本佳奈
さかもとかな
食文化・料理研究家。大阪市立大学院生活科学部前期博士課程修了。子どもからの防災教育のスペシャリストとして「まなぼうさいラボ」設立。科学の視点からの防災の食を研究、米粉の推進普及を行う
「防災」と聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。避難所を確かめておく、家の補強をしておく、食料を買っておく、いろいろな事が浮かんでくるでしょう。災害が起こった時のための準備。を引っくるめて“防災”と呼んでいます。その防災、今できていますか?
1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。第2次世界大戦後、初めての都市部直下型地震でした。当時、関西には地震が来ないと言われていました。東京など関東は関東大震災のような大きな地震に襲われると思われていました。
突然の大地震
ところが、本当に突然、大きな地震がやってきたのです。幸いにしで津波はありませんでした。わが家はまさに活断層のすぐそばにあり、震度7の場所にありました。家は無事だったものの、本棚が崩れ、私はその下敷きになりました。朝、陽が昇る前の真っ暗な時間帯で、かぶっていた布団を顔にかけてしまい、それで顔を圧迫して窒息しました。
暗闇で「これは夢を見ているに違いない、早く起きなくては」と焦りました。いくら目を覚まそうと思っても、身体を起こそうと思ってもビクともしませんでした。動けないでいたまま、意識がなくなりました。
気がつくと、隣の部屋にいた両親が私を掘り起こしてくれ、ほとんど止まっていた息を習いたての心肺蘇生法で吹き返してくれました。大きな地震があったのだと分かったのは日も高くなってからで、情報源はラジオのみ、どこで何が起こっているかはほとんど分かりませんでした。
いまと違うのはインターネットがまだなく、携帯電話も普及が始まったばかりの頃で、情報の量が格段に少なかったのです。避難所には支援物資や情報が来ました。避難所に人が殺到し、救援活動をしていたり、足が悪かったり、なんらかの理由で先に入れなかった人たちは、家または別の場所に行かざるを得ませんでした。
マスクは震災時の粉じんから命を守る大切なもの。伸縮性のあるキッチンペーパーで、ぴったりしたマスクが簡単に作れます
マスクの作り方
①三角に折って切り込みを入れる
②サイドに当たる所を折り込む
③下を折る
④上を折る。三層安心フィルターマスクができる
⑤切り込みを耳にかける
⑥赤ちゃんにも
避難生活では
その日から、自宅にいての避難生活が始まりました。電気なし、水道なし、ガスなし。まるで野外キャンプのようでした。台所にあるビニールや、アルミホイル、キッチンペーパーが生活の役に立ちました。
あれから25年たっても、つい1週間ほど前の出来事のように当時を思い出します。「あの時、心肺蘇生法を知っていてよかった。あなたを救えてよかった」と母は亡くなるまでよく言っていました。
大きな災害では、一瞬にして平穏な暮らしがなくなります。どんなに不便で困難な時でも、人間は食べて、出して、寝て、その基本的な暮らしを止めることはできません。いつものように買い物に行き、いつものように苦労することなくご飯を作る、ゆっくりお風呂に入って休める暮らし、復興とは、そんな日々の暮らしが戻って来ることでもあります。
では、復興するために何を備えていたらよいのか、それは毎日の生活の中に答えがあります。日常に全く必要を感じないものは、実は災害時もいらないものが多いのです。物の準備の後は、いくつか知っておくと便利なことがあります。例えば心肺蘇生法を父母が知らなかったら、私は、ここに居ないでしょう。
(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月6日付掲載
坂本さんのおうちは倒壊しなかったのですね。それは良かったですね。
僕の住んでいた文化住宅は、倒壊もまぬがれて、電気も早く復旧しました。水道も近くの烏原浄水場からの水で止まることはありませんでした。
食事はともかく、トイレやお風呂に困りましたね。
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