安保改定60年 第二部④ 「核基地」化強める横須賀 原子力艦入港1000回 偽りと欺瞞の歩み
昨年11月、原子力艦船の入港が1000回を超えた米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)。
その歩みは、核密約のもとでの米艦船の入港と、日米合意さえ踏みにじった原子力空母の母港化という、偽りと欺隔の歴史でした。さらに、トランプ政権の新たな核戦略のもと、「限定核戦争」の拠点となる危険が浮上。非核三原則に照らして許されない実態を告発します。
横須賀基地をめぐる主な動き
66・5・30 原潜スヌークが初寄港
73・10・5 空母ミッドウェーが横須賀母港化
81・5・18 ライシャワー元駐日大使「日本にも核搭載船が寄港している」と発言
84・12・10 原子力空母カールビンソン初寄港
90・10・2 湾岸危機でミッドウェーがアラビア海へ出撃
91・9・11 空母インディペンデンスを交代配備
98・8・11 空母キティホークを交代配備
01・10・1 キティホークがアフガン作戦でアラビア海へ
03・2・7 キティホークがイラク作戦でペルシャ湾へ(3月20日からイラク戦争に参戦)
08・9・25 原子力空母ジョージ・ワシントンを配備
09・3・28 原子炉の定期整備に伴う放射性廃棄物を初めて搬出
15・10・1 原子力空母ロナルド・レーガンを交代配備
19・11・2 原子力艦船の入港が1000回に
定期整備を行っている米原子力空母ロナルド・レーガン=3月12日、神奈川県横須賀市
左上はレーガンから搬出された放射性廃棄物が入っているとみられるコンテナ=2017年4月25日、同上
合意に反して搬出
横須賀港を見渡せる高台に立つと、全長約333メートル・高さ約63メートルの巨艦―米原子力空母ロナルド・レーガンの姿が目に飛び込んできました。
横須賀への空母配備は1973年に始まり、2008年から原子力空母ジョージ・ワシントンを配備。15年にレーガンと交代しました。いまはインド太平洋地域への定期航海を前に約4カ月の定期整備の最中です。甲板には随所にテントが張られ、作業用車両や作業員が動き回っています。
加圧水型原子炉(PWR)2基を有する原子力空母の定期整備では、1次冷却系を含む原子炉内の「メンテナンス」が行われ、これに伴う放射性廃棄物が搬出されています。米政府の募集公告によると、今年は30日~4月2日の間に実施され、コンテナ4個を搬出。これまでの4月下旬以降の搬出よりも早く、出航準備を早めている可能性があります。
しかし、日本への原子力艦船の寄港にあたって日米両政府が1964年に締結した「エード・メモワール」(覚書)では、米国は①動力装置の修理はしない②放射性廃棄物は港内で搬出しない、原子力艦が自ら搬送する―などと約束しており、放射性物質の搬出や原子炉関連の作業は、覚書に明確に反します。
ところが、原子力空母配備にあたり、米国は2006年に公表した「ファクトシート」で、①を「原子炉の修理はしない」(1次冷却系など放射線管理を伴う作業は可能)に、②を「(日本国内で)適切に包装された上で、米国に輸送される(自ら搬送しなくてもよい)」と書き換えたのです。
これにより、09年以降、横須賀で原子炉の「メンテナンス」が行われ、空母外への放射性廃棄物の搬出と、輸送船での本国への輸送が常態化。日本政府もこうした脱法行為を追認しています。
「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」共同代表の呉東正彦弁護士は「背景には、明らかに日米の秘密交渉と日本政府の売国的協力がある」と批判します。
米原子力空母ジョージ・ワシントンの航海日誌(2011年4月18日分)。①に原子炉2号機の緊急停止②に出力急速再上昇が記されている
近海で出力急上昇
原子炉の「メンテナンス」は高度な軍事機密とされ、秘密のべールに覆われていますが、呉東氏が15年に入手した、原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)の航海日誌(11年3~4月)から驚くべき実態が明らかになりました。
東日本大震災直後の同年3月21日、GWは定期整備中にもかかわらず、突如出港。当時、米第7艦隊司令部は「(GWの)能力の予防措置と今回の災害の複雑な性質による」とし、福島第1原発の放射能漏れ事故から艦と乗組員を防護する措置だと事実上認めています。
GWは4月12~14日に佐世保基地(長崎県)に寄港し、横須賀に戻る途上の18日午前、「推進機関プラントドリル」を開始。9時2分に原子炉2号機を緊急停止し、同15分に再稼働急速出力上昇を開始。38分に臨界に達したとしています。しかも、同日、原子炉内の過剰放射性冷却水や放射性気体を日本近海に排出していました。翌日には、1号機で同じテストを行っていました。
このような急上昇は原子炉や核燃料へのダメージを増大させるため、商業用原発では行われません。呉東氏は「原子力空母は、原子炉事故の危険や放射性物質の投棄を伴うテストを、定期整備終了後の試験航海で繰り返している可能性がある」と指摘。英国では原子力艦船の整備に関する情報が国民に開示されていることをあげ、徹底した情報公開を求めました。
横須賀基地に入港したロサンゼルス級攻撃型原潜シャイアン=2019年3月4日
空母オリスカニ=1952年8月(米海軍ウェブサイトから)
限定核戦争の前線
2月21日、米国防総省は衝撃的な事実を公表しました。新たな海洋発射型核巡航ミサイル(SLCM)の開発費を22会計年度予算に計上し、「7~10年以内」に配備するというもの。トランプ政権が18年に公表した新たな核態勢見直し(NPR)に基づくもので、「小型化」で核使用のハードルを大幅に下げようと狙っています。
米海軍はかつて、ほぼすべての戦闘艦に核兵器を搭載。なかでも、核巡航ミサイル・トマホーク(TLAM-N)は日本にとって「核抑止」の象徴でした。米国が1994年までに水上艦・潜水艦から核兵器を撤云し、2013年に核トマホークが廃棄された後も、日米の核固執勢力がSLCMの復帰を画策していました。
「このSLCMはTLAM-Nの後継だ。核兵器を搭載した攻撃型原潜は日本に間違いなく寄港し、日本の領海を通過する」。米国の科学者団体「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラーキー氏(長崎大核兵器廃絶研究センター外国人客員研究員)は、こう警告します。
日本への闇の核持ち込みは横須賀から始まっています。1953年6月、アイゼンハワー米大統領は、初めて空母への核配備を許可。同月28日、空母オリスカニに核が搭載され、途中で核を降ろすことなく、同年10月15日、横須賀に入港しました。
その後、日米両政府は60年1月の日米安保条約改定に伴い、核兵器を搭載した米艦船・航空機の寄港・通過を容認する「核密約」を締結。核持ち込みが常態化してきました。
オバマ政権期の「戦略態勢議会委員会」最終報告書(2009年5月)は「アジアでは、拡大抑止はロサンゼルス級攻撃潜水艦の核巡航ミサイル=TLAM-Nに大きく依存していた」と明記。日本国内で原潜が寄港するのは佐世保、ホワイトビーチ(沖縄県)、そして横須賀です。なかでも横須賀は寄港回数・日数とも最多で、1000回を超えた原子力艦船寄港のうち、大半は攻撃型原潜です。
横須賀への核持ち込みの蓋然性(がいぜんせい)は高いといえますが、カラーキー氏はこう指摘します。「米国は核兵器搭載の有無を『肯定も否定もしない』(NCND)政策をとり続けている。今後、原潜に新たなSLCMを搭載したとしても、真相を知ることは困難だ」
学習講演会開く
8日、横須賀市内で幅広い団体による「原子力艦船入港1000回・安保条約60周年」を考える学習講演会が開かれ、約60人が参加しました。ジャーナリストの吉田敏浩氏は、横須賀がベトナム戦争、湾岸戦争、イラク・アフガニスタン戦争と、日米安保条約さえ逸脱した侵略と干渉の拠点になってきたことを告発した上で、「日本がアメリカの限定核戦争の前線基地にされ、捨て石のように利用される。横須賀は攻撃対象になり地域住民も巻き込まれる」と指摘。核密約の廃棄を訴えました。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月18日付掲載
改定安保と同時に結ばれたという「核密約」。
米国の核兵器搭載の有無を『肯定も否定もしない』(NCND)政策のもと必要不可欠なものになっている。
米軍は東日本大震災に際して、「トモダチ作戦」と称していかにも日本の支援をしているように見せかけながら、実際は福島第一原発の被曝から逃れるために原子力空母の出航。
さらに、福島原発の事故をあざ笑うかのように、自らの原子力空母の出力試験を行うとは。
昨年11月、原子力艦船の入港が1000回を超えた米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)。
その歩みは、核密約のもとでの米艦船の入港と、日米合意さえ踏みにじった原子力空母の母港化という、偽りと欺隔の歴史でした。さらに、トランプ政権の新たな核戦略のもと、「限定核戦争」の拠点となる危険が浮上。非核三原則に照らして許されない実態を告発します。
横須賀基地をめぐる主な動き
66・5・30 原潜スヌークが初寄港
73・10・5 空母ミッドウェーが横須賀母港化
81・5・18 ライシャワー元駐日大使「日本にも核搭載船が寄港している」と発言
84・12・10 原子力空母カールビンソン初寄港
90・10・2 湾岸危機でミッドウェーがアラビア海へ出撃
91・9・11 空母インディペンデンスを交代配備
98・8・11 空母キティホークを交代配備
01・10・1 キティホークがアフガン作戦でアラビア海へ
03・2・7 キティホークがイラク作戦でペルシャ湾へ(3月20日からイラク戦争に参戦)
08・9・25 原子力空母ジョージ・ワシントンを配備
09・3・28 原子炉の定期整備に伴う放射性廃棄物を初めて搬出
15・10・1 原子力空母ロナルド・レーガンを交代配備
19・11・2 原子力艦船の入港が1000回に
定期整備を行っている米原子力空母ロナルド・レーガン=3月12日、神奈川県横須賀市
左上はレーガンから搬出された放射性廃棄物が入っているとみられるコンテナ=2017年4月25日、同上
合意に反して搬出
横須賀港を見渡せる高台に立つと、全長約333メートル・高さ約63メートルの巨艦―米原子力空母ロナルド・レーガンの姿が目に飛び込んできました。
横須賀への空母配備は1973年に始まり、2008年から原子力空母ジョージ・ワシントンを配備。15年にレーガンと交代しました。いまはインド太平洋地域への定期航海を前に約4カ月の定期整備の最中です。甲板には随所にテントが張られ、作業用車両や作業員が動き回っています。
加圧水型原子炉(PWR)2基を有する原子力空母の定期整備では、1次冷却系を含む原子炉内の「メンテナンス」が行われ、これに伴う放射性廃棄物が搬出されています。米政府の募集公告によると、今年は30日~4月2日の間に実施され、コンテナ4個を搬出。これまでの4月下旬以降の搬出よりも早く、出航準備を早めている可能性があります。
しかし、日本への原子力艦船の寄港にあたって日米両政府が1964年に締結した「エード・メモワール」(覚書)では、米国は①動力装置の修理はしない②放射性廃棄物は港内で搬出しない、原子力艦が自ら搬送する―などと約束しており、放射性物質の搬出や原子炉関連の作業は、覚書に明確に反します。
ところが、原子力空母配備にあたり、米国は2006年に公表した「ファクトシート」で、①を「原子炉の修理はしない」(1次冷却系など放射線管理を伴う作業は可能)に、②を「(日本国内で)適切に包装された上で、米国に輸送される(自ら搬送しなくてもよい)」と書き換えたのです。
これにより、09年以降、横須賀で原子炉の「メンテナンス」が行われ、空母外への放射性廃棄物の搬出と、輸送船での本国への輸送が常態化。日本政府もこうした脱法行為を追認しています。
「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」共同代表の呉東正彦弁護士は「背景には、明らかに日米の秘密交渉と日本政府の売国的協力がある」と批判します。
米原子力空母ジョージ・ワシントンの航海日誌(2011年4月18日分)。①に原子炉2号機の緊急停止②に出力急速再上昇が記されている
近海で出力急上昇
原子炉の「メンテナンス」は高度な軍事機密とされ、秘密のべールに覆われていますが、呉東氏が15年に入手した、原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)の航海日誌(11年3~4月)から驚くべき実態が明らかになりました。
東日本大震災直後の同年3月21日、GWは定期整備中にもかかわらず、突如出港。当時、米第7艦隊司令部は「(GWの)能力の予防措置と今回の災害の複雑な性質による」とし、福島第1原発の放射能漏れ事故から艦と乗組員を防護する措置だと事実上認めています。
GWは4月12~14日に佐世保基地(長崎県)に寄港し、横須賀に戻る途上の18日午前、「推進機関プラントドリル」を開始。9時2分に原子炉2号機を緊急停止し、同15分に再稼働急速出力上昇を開始。38分に臨界に達したとしています。しかも、同日、原子炉内の過剰放射性冷却水や放射性気体を日本近海に排出していました。翌日には、1号機で同じテストを行っていました。
このような急上昇は原子炉や核燃料へのダメージを増大させるため、商業用原発では行われません。呉東氏は「原子力空母は、原子炉事故の危険や放射性物質の投棄を伴うテストを、定期整備終了後の試験航海で繰り返している可能性がある」と指摘。英国では原子力艦船の整備に関する情報が国民に開示されていることをあげ、徹底した情報公開を求めました。
横須賀基地に入港したロサンゼルス級攻撃型原潜シャイアン=2019年3月4日
空母オリスカニ=1952年8月(米海軍ウェブサイトから)
限定核戦争の前線
2月21日、米国防総省は衝撃的な事実を公表しました。新たな海洋発射型核巡航ミサイル(SLCM)の開発費を22会計年度予算に計上し、「7~10年以内」に配備するというもの。トランプ政権が18年に公表した新たな核態勢見直し(NPR)に基づくもので、「小型化」で核使用のハードルを大幅に下げようと狙っています。
米海軍はかつて、ほぼすべての戦闘艦に核兵器を搭載。なかでも、核巡航ミサイル・トマホーク(TLAM-N)は日本にとって「核抑止」の象徴でした。米国が1994年までに水上艦・潜水艦から核兵器を撤云し、2013年に核トマホークが廃棄された後も、日米の核固執勢力がSLCMの復帰を画策していました。
「このSLCMはTLAM-Nの後継だ。核兵器を搭載した攻撃型原潜は日本に間違いなく寄港し、日本の領海を通過する」。米国の科学者団体「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラーキー氏(長崎大核兵器廃絶研究センター外国人客員研究員)は、こう警告します。
日本への闇の核持ち込みは横須賀から始まっています。1953年6月、アイゼンハワー米大統領は、初めて空母への核配備を許可。同月28日、空母オリスカニに核が搭載され、途中で核を降ろすことなく、同年10月15日、横須賀に入港しました。
その後、日米両政府は60年1月の日米安保条約改定に伴い、核兵器を搭載した米艦船・航空機の寄港・通過を容認する「核密約」を締結。核持ち込みが常態化してきました。
オバマ政権期の「戦略態勢議会委員会」最終報告書(2009年5月)は「アジアでは、拡大抑止はロサンゼルス級攻撃潜水艦の核巡航ミサイル=TLAM-Nに大きく依存していた」と明記。日本国内で原潜が寄港するのは佐世保、ホワイトビーチ(沖縄県)、そして横須賀です。なかでも横須賀は寄港回数・日数とも最多で、1000回を超えた原子力艦船寄港のうち、大半は攻撃型原潜です。
横須賀への核持ち込みの蓋然性(がいぜんせい)は高いといえますが、カラーキー氏はこう指摘します。「米国は核兵器搭載の有無を『肯定も否定もしない』(NCND)政策をとり続けている。今後、原潜に新たなSLCMを搭載したとしても、真相を知ることは困難だ」
学習講演会開く
8日、横須賀市内で幅広い団体による「原子力艦船入港1000回・安保条約60周年」を考える学習講演会が開かれ、約60人が参加しました。ジャーナリストの吉田敏浩氏は、横須賀がベトナム戦争、湾岸戦争、イラク・アフガニスタン戦争と、日米安保条約さえ逸脱した侵略と干渉の拠点になってきたことを告発した上で、「日本がアメリカの限定核戦争の前線基地にされ、捨て石のように利用される。横須賀は攻撃対象になり地域住民も巻き込まれる」と指摘。核密約の廃棄を訴えました。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年3月18日付掲載
改定安保と同時に結ばれたという「核密約」。
米国の核兵器搭載の有無を『肯定も否定もしない』(NCND)政策のもと必要不可欠なものになっている。
米軍は東日本大震災に際して、「トモダチ作戦」と称していかにも日本の支援をしているように見せかけながら、実際は福島第一原発の被曝から逃れるために原子力空母の出航。
さらに、福島原発の事故をあざ笑うかのように、自らの原子力空母の出力試験を行うとは。
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