ヘーゲル生誕250年に寄せて 貫いた人間の理性への確信 鰺坂真
あじさか・まこと 1933年生まれ。関西大学名誉教授。『マルクス主義哲学の源流ドイツ古典哲学の本質とその展開』『時代をひらく哲学』ほか
哲学者へーゲルは1770年に、西南ドイツのシュツットガルトで生まれました。今年でちょうど生誕250年になります。
1788年にチュービンゲン大学の神学部に入学。翌年、隣国でフランス革命がおきました。当時のドイツの若者たちはこれに大きな影響を受けました。へーゲルもその中の一人でした。彼は、終生フランス革命は「理性の夜明けだ」という意見を持ち続けました。
ヘーゲル
不断の変化・発展弁証法の世界観
へーゲルの画期的な功績は、弁証法的世界観の最初の最も包括的な叙述を試みたことでした。彼は自然と歴史および人間の認識のすべての過程が、不断の運動・変化・発展の過程に貫かれていることを示し、その内的連関をとらえました。これがへーゲル弁証法です。へーゲル哲学の合理的な核心は、人間社会の進歩と科学の発展の豊かな内容に立脚している点にありました。
しかし彼はその内容を、「絶対理念」という観念的実体が自己実現していくという、現実が逆立ちした観念論的体系として叙述しました。そのため、彼の弁証法は自然からも人間の頭脳からも切り離された、概念の自己展開という不合理な衣に覆われてしまいました。
シュツットガルトのヘーゲルの生家。現在はヘーゲル博物館
マルクスたちが唯物論的に改造
マルクスとエンゲルスは、このへーゲルの観念論的弁証法を批判して、その合理的な核心を取り出し、これを唯物論的に改造しました。
マルクスたちがへーゲルから受け継いで取り出すことのできた合理的な核心とは何か。それは人間理性への確信です。当時、すでに反動期に入っていたドイツで理性への不信が幅を利かせ、情念や感情が大事などという思想、あるいは感覚的事実がすべてであるという思想がはびこっていたのに対して、へーゲルは「真理の理性的認識に対する軽蔑」に憤りを表明し、「学問の確実性」を確信すること、「社会発展の必然性」と「法則性」を徹底して追求することの重要性を強調しました。
マルクスやエンゲルスもこの点でへーゲル哲学を受け継ぎ、『資本論』で資本主義の科学的分析を進め、「価値」や「貨幣」や「資本」など、直接には感覚できないものを理性的に分析し、資本主義の矛盾を見つけ出し、資本主義社会の克服の道を探究しました。
「反理性主義」がファシズム源流
19世紀後半から観念論陣営は、ショーペンハウアーから、さらにニーチェ、そして20世紀のハイデッガーへと「反理性主義」を強め、ヒトラーのファシズムへの道を準備することになりました。
20世紀に入り、ヒトラーが出てきた時期に、主として欧米で、へーゲル主義がファシズムの源流であるという論調がみられました。確かにへーゲルは、19世紀のイギリスなどの議会制民主主義が腐敗選挙で混乱していたのを厳しく批判して、否定的な評価をしているところがあり、それが論拠とされていました。
例えばユダヤ系のオーストリア人のK・ポッパーなどが代表的です。彼はウィーン大学の教授でしたが、ナチスの侵略を嫌ってロンドンに亡命し、ロンドン大学教授として、戦時中、また第2次大戦後も、盛んにナチズム反対と同時にスターリンのソ連にも反対する活動をした人物です。
彼はファシズムの源流はへーゲルであると主張しました。しかしそれは誤解で、ヒトラーの思想的源流は上記のように「反理性主義」の潮流でした。へーゲルはこれとは違って、「理性の夜明け」を支持していました。
第2次世界大戦も終わり、ドイツのファシズムも打倒された現在は、欧米でもへーゲル哲学は見直されてきていて、へーゲル学会というものも盛んに活動しているようです。へーゲル哲学の基本に、以上のような「理性の科学的認識」への信頼があったことは再評価されるべきことでしょう。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年12月15日付掲載
ヘーゲルといえば観念論ということで、私たち活動家の中でも否定的にみる側面があることは否めません。
しかし、マルクスやエンゲルスも最初は青年ヘーゲル派でしたし、ヘーゲルの弁証法を取り入れて、その観念論を克服して、2つの偉大発見のひとつ、史的唯物論に至ったわけです。その足跡をつくってくれた人物として評価しなおすべきです。
なお、鰺坂さんは学習協の労働学校では大変お世話になりましたね。
あじさか・まこと 1933年生まれ。関西大学名誉教授。『マルクス主義哲学の源流ドイツ古典哲学の本質とその展開』『時代をひらく哲学』ほか
哲学者へーゲルは1770年に、西南ドイツのシュツットガルトで生まれました。今年でちょうど生誕250年になります。
1788年にチュービンゲン大学の神学部に入学。翌年、隣国でフランス革命がおきました。当時のドイツの若者たちはこれに大きな影響を受けました。へーゲルもその中の一人でした。彼は、終生フランス革命は「理性の夜明けだ」という意見を持ち続けました。
ヘーゲル
不断の変化・発展弁証法の世界観
へーゲルの画期的な功績は、弁証法的世界観の最初の最も包括的な叙述を試みたことでした。彼は自然と歴史および人間の認識のすべての過程が、不断の運動・変化・発展の過程に貫かれていることを示し、その内的連関をとらえました。これがへーゲル弁証法です。へーゲル哲学の合理的な核心は、人間社会の進歩と科学の発展の豊かな内容に立脚している点にありました。
しかし彼はその内容を、「絶対理念」という観念的実体が自己実現していくという、現実が逆立ちした観念論的体系として叙述しました。そのため、彼の弁証法は自然からも人間の頭脳からも切り離された、概念の自己展開という不合理な衣に覆われてしまいました。
シュツットガルトのヘーゲルの生家。現在はヘーゲル博物館
マルクスたちが唯物論的に改造
マルクスとエンゲルスは、このへーゲルの観念論的弁証法を批判して、その合理的な核心を取り出し、これを唯物論的に改造しました。
マルクスたちがへーゲルから受け継いで取り出すことのできた合理的な核心とは何か。それは人間理性への確信です。当時、すでに反動期に入っていたドイツで理性への不信が幅を利かせ、情念や感情が大事などという思想、あるいは感覚的事実がすべてであるという思想がはびこっていたのに対して、へーゲルは「真理の理性的認識に対する軽蔑」に憤りを表明し、「学問の確実性」を確信すること、「社会発展の必然性」と「法則性」を徹底して追求することの重要性を強調しました。
マルクスやエンゲルスもこの点でへーゲル哲学を受け継ぎ、『資本論』で資本主義の科学的分析を進め、「価値」や「貨幣」や「資本」など、直接には感覚できないものを理性的に分析し、資本主義の矛盾を見つけ出し、資本主義社会の克服の道を探究しました。
「反理性主義」がファシズム源流
19世紀後半から観念論陣営は、ショーペンハウアーから、さらにニーチェ、そして20世紀のハイデッガーへと「反理性主義」を強め、ヒトラーのファシズムへの道を準備することになりました。
20世紀に入り、ヒトラーが出てきた時期に、主として欧米で、へーゲル主義がファシズムの源流であるという論調がみられました。確かにへーゲルは、19世紀のイギリスなどの議会制民主主義が腐敗選挙で混乱していたのを厳しく批判して、否定的な評価をしているところがあり、それが論拠とされていました。
例えばユダヤ系のオーストリア人のK・ポッパーなどが代表的です。彼はウィーン大学の教授でしたが、ナチスの侵略を嫌ってロンドンに亡命し、ロンドン大学教授として、戦時中、また第2次大戦後も、盛んにナチズム反対と同時にスターリンのソ連にも反対する活動をした人物です。
彼はファシズムの源流はへーゲルであると主張しました。しかしそれは誤解で、ヒトラーの思想的源流は上記のように「反理性主義」の潮流でした。へーゲルはこれとは違って、「理性の夜明け」を支持していました。
第2次世界大戦も終わり、ドイツのファシズムも打倒された現在は、欧米でもへーゲル哲学は見直されてきていて、へーゲル学会というものも盛んに活動しているようです。へーゲル哲学の基本に、以上のような「理性の科学的認識」への信頼があったことは再評価されるべきことでしょう。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2020年12月15日付掲載
ヘーゲルといえば観念論ということで、私たち活動家の中でも否定的にみる側面があることは否めません。
しかし、マルクスやエンゲルスも最初は青年ヘーゲル派でしたし、ヘーゲルの弁証法を取り入れて、その観念論を克服して、2つの偉大発見のひとつ、史的唯物論に至ったわけです。その足跡をつくってくれた人物として評価しなおすべきです。
なお、鰺坂さんは学習協の労働学校では大変お世話になりましたね。
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