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昇格チームの健闘(2000年FC東京)

2009-02-27 18:03:39 | 他チーム
昨日は激しい眼精疲労に襲われ、普段携帯メールで更新しているブログはもちろん禁止にして、しかも一切他サイトを見に行かず、仕事柄PCを見るため、今日は休暇を取らざるを得ませんでした。毎日更新が売り物だった当ブログを覗きに来て下さった方には申し訳ありません。

J1とJ2が自動入れ替え制になってから、数多くのチームがJ1に挑んできました。壁に跳ね返されたチーム、健闘したものの監督が代わると戦力が維持できなかったチームなど、いろいろありますが、昇格初年度で一番のインパクトを残したのは2000年のFC東京だと、今でも思っています。

当時のFC東京は、確かにコンビニのampm、東京ガス、東京電力などスポンサーの名前は豪華でした。ただ、まだJ1で上位を狙うようなビッグネーム(今は今野がいますね)は集めていませんでした。そのため、この年の期待は、残留すればよしという程度のものでした。しかし、FC東京は開幕2戦目で早くもマスコミを驚かせます。

運動量の多い、切れのあるサッカーはJ2時代からやっていたようですが、FC東京がマスコミを驚かせたのは、その運動量が90分間落ちないことでした。「こんなサッカーが90分もつのかと視聴者は思うかもしれませんが、FC東京は運動量が落ちません。」と、実況のアナウンサーが語るほどでした。

当時は私のサポートする浦和がJ2だったため、なかなかJ1のチームの動向を探ることはできませんでしたが、FC東京はそのサッカーの面白さゆえ、何度か見に行っています。その秘密は2トップにあったと思っています。アマラオとトゥット(当時ツゥット)のコンビでしたが、この二人の運動量は驚異的で、一人がトップ下の位置を埋めてゲームメーカ的に働いて、もう一人が決めるというパターンがありました。

私は2000年のアマラオのハットトリックも見ていますが、これもアマラオが神出鬼没の動きでうまく相手DFを出し抜いた、会心のゴールが多かった記憶があります。ただ、こういうサッカーにしたのは、守備を安定させるために、ボランチに浅利と小池という守備的なコンビを並べて、トップ下に出て行ける選手が期待できないための、アマラオ、トゥットコンビの活躍でした。

そのため、これだけのサッカーをしても、翌年の大熊監督は「去年のサッカーは2トップに頼りすぎた」とあまり肯定的な評価はしていませんでした。その後、FC東京は少しずつチーム力を上げて行って、あれから一度もJ2に降格していません。新興チームと思っていた昔からのファンの意識は、確実に変えたでしょう。
コメント
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