私はいろんなスポーツを見ていますが、小学校低学年から見ている大相撲が一番ファン歴の長いスポーツです。たとえ生中継を見逃しても、NHKのニュースがフォローしてくれるし、しかも一瞬で決着がつくので、子供だった当時の私には最も見やすいスポーツでした。
その長いファン歴の中で、印象に残っている取り組みはいろいろありますが、一番を挙げるなら平成3年(1991年)夏場所の初日、千代の富士対貴花田戦です。この両者が対戦した当時、千代の富士は35歳、貴花田は18歳でした。
普通、17歳も年齢差がある力士が対戦することはなかなかありません。千代の富士が長く横綱を張り、貴花田も驚異的なスピードで前頭上位に上がってきたからこそ実現した「奇跡の対戦」です。
この対戦の前の春場所、千代の富士は休場していました。その前の初場所も途中休場なので、実質二場所いなかったのと同じです。その間に曙、貴花田、貴闘力らが上位に上がってきて、相撲界の勢力地図は急激に変わっていました。
それでも、休場前の1990年九州場所で優勝していた千代の富士の休場明けの強さを多くの人がまだ信じていた頃です。挑戦者の貴花田も期待はされていましたが、何回「残った」の声が行司から聞こえるかという、千代の富士有利の意見が多かったです。
この取り組みのときは私は外出先でラジオで聞いていたので、後から得た情報ですが、立ち合いで貴花田が千代の富士のお株を奪う左前みつを引いたのが勝因になりました。まわしに手がかからない千代の富士とは対照的に、有利な低い体勢を作った貴花田は堂々と千代の富士を寄り切ります。
この相撲の2日後、貴闘力に敗れて2敗になった千代の富士は引退を表明して、長かった千代の富士の時代が終わり、新たな相撲界へと向かう鮮やかな世代交代でした。今までの長いファン歴でも、これほど見事に新旧のヒーローが対戦したケースはありません。
最近、白鵬の連勝記録や魁皇の通算勝利記録で千代の富士の名前が話題になっているのは、千代の富士がヒーローだった少年時代の思い出が引き出されるようで嬉しいです。朝青龍がすっきりしない形で相撲界を去ったので、白鵬の次の時代のヒーローにはこういう鮮やかな世代交代を見せて欲しいと、しばらく先のことですが期待しています。
その長いファン歴の中で、印象に残っている取り組みはいろいろありますが、一番を挙げるなら平成3年(1991年)夏場所の初日、千代の富士対貴花田戦です。この両者が対戦した当時、千代の富士は35歳、貴花田は18歳でした。
普通、17歳も年齢差がある力士が対戦することはなかなかありません。千代の富士が長く横綱を張り、貴花田も驚異的なスピードで前頭上位に上がってきたからこそ実現した「奇跡の対戦」です。
この対戦の前の春場所、千代の富士は休場していました。その前の初場所も途中休場なので、実質二場所いなかったのと同じです。その間に曙、貴花田、貴闘力らが上位に上がってきて、相撲界の勢力地図は急激に変わっていました。
それでも、休場前の1990年九州場所で優勝していた千代の富士の休場明けの強さを多くの人がまだ信じていた頃です。挑戦者の貴花田も期待はされていましたが、何回「残った」の声が行司から聞こえるかという、千代の富士有利の意見が多かったです。
この取り組みのときは私は外出先でラジオで聞いていたので、後から得た情報ですが、立ち合いで貴花田が千代の富士のお株を奪う左前みつを引いたのが勝因になりました。まわしに手がかからない千代の富士とは対照的に、有利な低い体勢を作った貴花田は堂々と千代の富士を寄り切ります。
この相撲の2日後、貴闘力に敗れて2敗になった千代の富士は引退を表明して、長かった千代の富士の時代が終わり、新たな相撲界へと向かう鮮やかな世代交代でした。今までの長いファン歴でも、これほど見事に新旧のヒーローが対戦したケースはありません。
最近、白鵬の連勝記録や魁皇の通算勝利記録で千代の富士の名前が話題になっているのは、千代の富士がヒーローだった少年時代の思い出が引き出されるようで嬉しいです。朝青龍がすっきりしない形で相撲界を去ったので、白鵬の次の時代のヒーローにはこういう鮮やかな世代交代を見せて欲しいと、しばらく先のことですが期待しています。