日刊スポーツのHPによれば、J1仙台のFWマルキーニョスが地震で「精神的に日本でサッカーを続けるのがきつくなった」という理由で退団することになりました。35歳という年齢と、ブラジルでは無名選手だったことを考えると、このまま引退の可能性もあります。
仙台にとっては、二桁得点を期待できるエースストライカーの退団は非常に痛く、柳沢との「旧鹿島2トップ」ももう組めません。それでも、ブラジルでは地震はほとんどないことを考えると、無理には引き留められないと思います。
こんな形で彼の思い出を語ることになるとは思いませんでしたが、マルキーニョスは2001年に東京Vに加入してから長いキャリアを誇りますが、点を取るから評価されたストライカーではないところが面白いです。
最初の5年間はいろんなチームを転々としましたが、その間の二桁得点はわずか一度だけです。それでもどこかのチームと契約できたのは、彼がブラジル人にしては珍しいタイプのハードワーカーだったからです。
Jリーグのチームだと、たとえ点は取れなくても、前線から守備をして相手の攻撃を遅らせてくれたプレーなどはよく見ていますから、それが彼の長いキャリアを支えていたと思います。しかし、それだけでは鹿島に移籍してリーグ得点王を取るほどの活躍はできなかったはずです。
マルキーニョスの得点感覚が開花したのは長谷川監督時代の清水でした。敵として見たので、正確ではないかもしれませんが、当時4-4-2だった清水ではトップ下の位置は空白でした。運動量が多いなら一旦トップ下の位置に引いて受けることで、もう一人のFWを使って自分が点を取ることもできるだろうという指導をしたように、スタンドから見る限りでは思います。
その結果、二桁得点が取れるようになったマルキーニョスは移籍した鹿島でも中心選手の活躍でした。印象に残っているのは2008年の天皇杯決勝で、内田が早い時間で点を入れた鹿島は徹底的に広島のいいところを消すサッカーをしました。
マルキーニョスもFWでありながら、相手CBストヤノフの上がりに蓋をする役割でした。チームプレーとはこういうものだと痛感した、鹿島の強さを感じた一日でした。マルキーニョスは体力で勝負する選手ですから、ブラジルでそれをわかってくれるチームがあれば現役続行の可能性はあります。今は幸運を祈るだけです。
仙台にとっては、二桁得点を期待できるエースストライカーの退団は非常に痛く、柳沢との「旧鹿島2トップ」ももう組めません。それでも、ブラジルでは地震はほとんどないことを考えると、無理には引き留められないと思います。
こんな形で彼の思い出を語ることになるとは思いませんでしたが、マルキーニョスは2001年に東京Vに加入してから長いキャリアを誇りますが、点を取るから評価されたストライカーではないところが面白いです。
最初の5年間はいろんなチームを転々としましたが、その間の二桁得点はわずか一度だけです。それでもどこかのチームと契約できたのは、彼がブラジル人にしては珍しいタイプのハードワーカーだったからです。
Jリーグのチームだと、たとえ点は取れなくても、前線から守備をして相手の攻撃を遅らせてくれたプレーなどはよく見ていますから、それが彼の長いキャリアを支えていたと思います。しかし、それだけでは鹿島に移籍してリーグ得点王を取るほどの活躍はできなかったはずです。
マルキーニョスの得点感覚が開花したのは長谷川監督時代の清水でした。敵として見たので、正確ではないかもしれませんが、当時4-4-2だった清水ではトップ下の位置は空白でした。運動量が多いなら一旦トップ下の位置に引いて受けることで、もう一人のFWを使って自分が点を取ることもできるだろうという指導をしたように、スタンドから見る限りでは思います。
その結果、二桁得点が取れるようになったマルキーニョスは移籍した鹿島でも中心選手の活躍でした。印象に残っているのは2008年の天皇杯決勝で、内田が早い時間で点を入れた鹿島は徹底的に広島のいいところを消すサッカーをしました。
マルキーニョスもFWでありながら、相手CBストヤノフの上がりに蓋をする役割でした。チームプレーとはこういうものだと痛感した、鹿島の強さを感じた一日でした。マルキーニョスは体力で勝負する選手ですから、ブラジルでそれをわかってくれるチームがあれば現役続行の可能性はあります。今は幸運を祈るだけです。