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エジミウソンの思い出

2011-06-25 16:26:46 | 浦和レッズ
この度、カタールのアルガラファに移籍することになったエジミウソンには、新潟時代、浦和時代といろいろな思い出があります。新潟に入団して初めてJリーグでプレーするときは21歳の若さで、前年まで活躍していたマルクスの後釜という大きな期待を背負っての入団でしたが、最初は右ウイングとしての入団でした。

右のエジミウソン、左のファビーニョの両ウイングのクロスを受けられる選手が必要と判断した当時のフロントが、元神戸のポストプレーヤー、オゼアスを補強したくらいです。オゼアスが退団した後、反町監督にエジミウソンはCFにコンバートされます。新潟時代のエジミウソンはチームで一番シュートがうまかったこともあって「王様」でした。

当時2トップを組んでいた矢野貴章は、エジミウソンに点を取らせようとして自ら犠牲になる動きが当時のオシム代表監督に評価されて代表入りを果たします。本来は右ウイングということを知っている新潟では、みんなが自分が点を取ることをサポートしてくれると満足してプレーしていたと思います。

しかし、コンスタントに二桁点が取れるエジミウソンの名声は、浦和にも届いていました。監督ともめて退団したワシントンの後釜が欲しかった浦和は、エジミウソンを指名します。2008年当時は移籍金も払ったでしょうが、最初はチームメイトが自分を理解していない浦和の厳しさを知らず、メタボ状態で来日してまったく動けず、オジェック監督が解任される理由の一つになります。

それでも悪いながらも11得点を挙げたエジミウソンですが、翌年フィンケ監督が就任すると、初日から紅白戦に出られるコンディションにして来日してきました。ここでしくじったら後がないという危機感で、この年はリーグ終盤の磐田戦でハットトリックを決めたりと存在感を見せます。

基本的に、CFとしてのエジミウソンはいいボールに反応するタイプで、待ちのFWです。そのため、いいボールがまったく入らないようなひどい試合のときはエジミウソンが非難されてしまうという損な立場でした。本当は右ウイングだということが最後の試合で示されるのは皮肉で、福岡戦のマルシオのゴールのアシストは、右ウイングならこれくらいはできると自ら証明したプレーだったと思います。

カタールはキリスト教徒にはイスラムの戒律が厳しく、過ごしにくいと聞きます。自ら良い待遇を求めて行ったのではなく、浦和の移籍金欲しさで放出されたなら、その厳しさにどこまで持ちこたえられるかはわかりません。それでも、海外は点を取ることが全ての世界ですから、エジミウソンのように終わっていたら点を取っているというタイプは認められます。是非ともカタールで活躍して、残りのサッカー人生を良いものにして欲しいと思います。
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