今日はイラクの来日メンバーを調べる予定が、インターネットで見つからない誤算があり、今回は野球ネタです。西武ライオンズの次期監督が、元西武の二塁手だった辻発彦氏に決まりました。辻のことなら、記憶だけで大体書けると踏んで書いてみます。
辻は、野球では無名だった、佐賀東高校の出身です。そのため、社会人の日本通運に入るときはテストを受けて入社した苦労もしています。日本通運では4番打者で、西武からドラフト2位指名を受けたときは25歳という遅い入団でした。即戦力の期待を受けた辻は、新人時代から背番号5を着けていました。
辻と聞いて、真っ先に思い出すのは、そのバットを短く持った打撃フォームです。この打ち方はプロ入りしてから身に着けたものです。日本通運で4番とは言っても「自分のバッティングは(このままでは)プロに通用しない」と辻自身が判断して、意図して自分のバッティングを「小さくする」ことで安打狙いのバッティングに絞ります。
これが当たりました。辻は、投手が打席に立たないパリーグでは重要なポジションである9番打者に定着します。9番の辻が塁に出て、1番の石毛が送ったりつないだりするのが西武の必勝パターンだった時期も86年から88年にかけてあります。もちろん、辻自身の足も速く、プロで200盗塁以上を決めています。
89年に優勝を逃した西武は、チームの再編に着手し、辻を1番に回して中日からトレードで獲得した2番平野とのコンビを重視するスタイルに変わります。それまでの1番石毛は6番に回って打点を稼ぎ、1番辻が出て2番平野が送るというのが、新たな西武の必勝パターンになりました。
辻は、1995年まで西武でプレーしましたが、2億円という高年俸がネックになってヤクルトにトレードで移籍して西武を去りました。今回の西武復帰はその時以来です。就任記者会見では、「1点を取って守る野球」をキーワードに挙げています。最近の西武は、中村、メヒア、浅村など打てる選手はいますが、打って勝つ大味な野球です。辻監督の改革がどこまで浸透するか、リーグ最多の101失策の守備をどうするか、注目して見ていきたいと思います。
辻は、野球では無名だった、佐賀東高校の出身です。そのため、社会人の日本通運に入るときはテストを受けて入社した苦労もしています。日本通運では4番打者で、西武からドラフト2位指名を受けたときは25歳という遅い入団でした。即戦力の期待を受けた辻は、新人時代から背番号5を着けていました。
辻と聞いて、真っ先に思い出すのは、そのバットを短く持った打撃フォームです。この打ち方はプロ入りしてから身に着けたものです。日本通運で4番とは言っても「自分のバッティングは(このままでは)プロに通用しない」と辻自身が判断して、意図して自分のバッティングを「小さくする」ことで安打狙いのバッティングに絞ります。
これが当たりました。辻は、投手が打席に立たないパリーグでは重要なポジションである9番打者に定着します。9番の辻が塁に出て、1番の石毛が送ったりつないだりするのが西武の必勝パターンだった時期も86年から88年にかけてあります。もちろん、辻自身の足も速く、プロで200盗塁以上を決めています。
89年に優勝を逃した西武は、チームの再編に着手し、辻を1番に回して中日からトレードで獲得した2番平野とのコンビを重視するスタイルに変わります。それまでの1番石毛は6番に回って打点を稼ぎ、1番辻が出て2番平野が送るというのが、新たな西武の必勝パターンになりました。
辻は、1995年まで西武でプレーしましたが、2億円という高年俸がネックになってヤクルトにトレードで移籍して西武を去りました。今回の西武復帰はその時以来です。就任記者会見では、「1点を取って守る野球」をキーワードに挙げています。最近の西武は、中村、メヒア、浅村など打てる選手はいますが、打って勝つ大味な野球です。辻監督の改革がどこまで浸透するか、リーグ最多の101失策の守備をどうするか、注目して見ていきたいと思います。