11月の後半が忙しい日々だったので今頃ネタにしますが、写真の西武捕手、森友哉がオリックスにFAで移籍しました。オリックスは伏見がFAで日本ハムに移籍しており捕手の即戦力が欲しかったチーム事情があります。また、森自身も、大阪の出身ということで地元でプレーしたかった意思もあったのでしょう。あまり社交的な性格ではないと聞きますが、決めた以上オリックスになじんで欲しいものです。
森の思い出は数知れません。2013年、高校2年生のときに1学年上の藤浪晋太郎(阪神)とバッテリーを組んで春夏の甲子園を連覇した「打てる捕手」として有名でしたが、身長が170cmとプロ選手としては小柄なので外れ1位程度の評価でした。そんな森を、その打力を評価した西武が単独1位で指名してライオンズに入団してきます。
最初は森を捕手として育成する方針で、二軍の試合で可能な限りマスクをかぶらせる育成をしましたが、その打力は既に一軍で使えるレベルでした。森は当時の田辺監督が代打要員として夏場に一軍に呼び、デビュー戦から3試合連続安打をマークするなど将来性を示します。翌2015年が森のブレイクの年になります。指名打者だったメヒアを一塁手に回して、森を指名打者に抜擢したからです。
開幕から驚異的な勢いで本塁打を量産し、一時は30本塁打の期待も集めましたが、本塁打の勢いは失速し17本塁打に終わりました。それでも、交流戦でDHが使えない時期は右翼手も守るなど、この年の森は打力では高い評価を得ていました。もっとも、当時は捕手で起用すると打てなくなるという理由で、マスクをかぶった試合はそれほど多くありませんでした。
マスクをかぶっても打てるようになったのは、辻監督の就任以降です。辻監督は森に100試合捕手で出て欲しい期待を寄せていましたが、それ以上の試合に出場し、捕手として史上4人目になる首位打者のタイトルも取りました。また、走塁でもアグレッシブに次の塁を狙う積極性があり、それほど俊足ではないものの次の塁を陥れた場面もありました。
森といえば、しゃがんで姿勢を低くしたバッティングフォームも印象的です。この体制でフルスイングができるのは、相当の下半身の鍛錬がなせる業でしょう。もっとも、今季は打つ方が不振で、FA宣言するとは思い切ったなという印象もあります。果たして、オリックスで捕手として出場してくるか、敵として映像を見ることを楽しみ?にします。
森の思い出は数知れません。2013年、高校2年生のときに1学年上の藤浪晋太郎(阪神)とバッテリーを組んで春夏の甲子園を連覇した「打てる捕手」として有名でしたが、身長が170cmとプロ選手としては小柄なので外れ1位程度の評価でした。そんな森を、その打力を評価した西武が単独1位で指名してライオンズに入団してきます。
最初は森を捕手として育成する方針で、二軍の試合で可能な限りマスクをかぶらせる育成をしましたが、その打力は既に一軍で使えるレベルでした。森は当時の田辺監督が代打要員として夏場に一軍に呼び、デビュー戦から3試合連続安打をマークするなど将来性を示します。翌2015年が森のブレイクの年になります。指名打者だったメヒアを一塁手に回して、森を指名打者に抜擢したからです。
開幕から驚異的な勢いで本塁打を量産し、一時は30本塁打の期待も集めましたが、本塁打の勢いは失速し17本塁打に終わりました。それでも、交流戦でDHが使えない時期は右翼手も守るなど、この年の森は打力では高い評価を得ていました。もっとも、当時は捕手で起用すると打てなくなるという理由で、マスクをかぶった試合はそれほど多くありませんでした。
マスクをかぶっても打てるようになったのは、辻監督の就任以降です。辻監督は森に100試合捕手で出て欲しい期待を寄せていましたが、それ以上の試合に出場し、捕手として史上4人目になる首位打者のタイトルも取りました。また、走塁でもアグレッシブに次の塁を狙う積極性があり、それほど俊足ではないものの次の塁を陥れた場面もありました。
森といえば、しゃがんで姿勢を低くしたバッティングフォームも印象的です。この体制でフルスイングができるのは、相当の下半身の鍛錬がなせる業でしょう。もっとも、今季は打つ方が不振で、FA宣言するとは思い切ったなという印象もあります。果たして、オリックスで捕手として出場してくるか、敵として映像を見ることを楽しみ?にします。