今電車が止まっており、時間潰しにブログを書いていますがネタが見つからず、困ったときの定番で昔の大相撲から引っ張ってきます。今回のネタは史上最多勝利(1047勝)の記録を持つ、元大関魁皇です。最多勝利の記録は以前は大横綱、千代の富士(1045勝)が持っていて、千代の富士の持っていたいくつもの記録でこれだけは更新不可能だと思っていました。
その不可能を可能にしたのが魁皇ですが、強さで達成した千代の富士とは違って、魁皇は驚異的な力士寿命の長さで達成した記録です。千代の富士の記録とは意味合いが違い、事実魁皇自身も「勝ち星の数が上回ったと言ってもあの大横綱を上回ったことにはならない」と認めています。
魁皇は晩年こそ毎場所のように8勝7敗が続き、議論も呼びましたが、大関以下の力士では最多の5回の優勝を誇り、史上最強の大関とは言ってもいいと思います。大関在位も千代大海と並ぶ65場所で史上最長の記録です。
魁皇といえば、若貴兄弟、曙、武蔵丸が上位にいた大相撲の大型化時代を知る、最後の力士でした。四つ相撲になったら勝てないと言われていた全盛期の貴乃花に四つ相撲で勝てる唯一の力士で、魁皇が勝つときは強力な右上手投げがパターンでした。
魁皇は怪力伝説も残していて、中身の入ったビール瓶のケースを二つ片手で持てたり、リンゴを握力で握り潰せるエピソードがあります。また、魁皇は奥さんが元女子プロレスラーで、勝負の世界を知っており、現役のうちはあまり優しくすると良くないと厳しいことも言われています。
晩年の魁皇はいつまで現役を続けられるかはらはらさせる土俵ぶりで、毎場所のように8勝7敗を続けられたのもある意味勝負強さです。下位相手に強かった千代大海とは違って、魁皇は中日で4勝4敗という低空飛行はざらでした。
それでも勝ち越せたのは他の大関に勝てるからでした。魁皇は琴欧洲、日馬富士、琴光喜といった当時の大関との対戦成績はほぼ五分でした。今度こそ危ないと思うことは何度もありましたが、毎回ぎりぎりのところでしのいでいました。
魁皇は福岡県の直方市の出身で、地元の九州場所はいつも人気がありました。5回も優勝しながら、九州場所が一つもないのは彼の残した悔いかもしれません。
その不可能を可能にしたのが魁皇ですが、強さで達成した千代の富士とは違って、魁皇は驚異的な力士寿命の長さで達成した記録です。千代の富士の記録とは意味合いが違い、事実魁皇自身も「勝ち星の数が上回ったと言ってもあの大横綱を上回ったことにはならない」と認めています。
魁皇は晩年こそ毎場所のように8勝7敗が続き、議論も呼びましたが、大関以下の力士では最多の5回の優勝を誇り、史上最強の大関とは言ってもいいと思います。大関在位も千代大海と並ぶ65場所で史上最長の記録です。
魁皇といえば、若貴兄弟、曙、武蔵丸が上位にいた大相撲の大型化時代を知る、最後の力士でした。四つ相撲になったら勝てないと言われていた全盛期の貴乃花に四つ相撲で勝てる唯一の力士で、魁皇が勝つときは強力な右上手投げがパターンでした。
魁皇は怪力伝説も残していて、中身の入ったビール瓶のケースを二つ片手で持てたり、リンゴを握力で握り潰せるエピソードがあります。また、魁皇は奥さんが元女子プロレスラーで、勝負の世界を知っており、現役のうちはあまり優しくすると良くないと厳しいことも言われています。
晩年の魁皇はいつまで現役を続けられるかはらはらさせる土俵ぶりで、毎場所のように8勝7敗を続けられたのもある意味勝負強さです。下位相手に強かった千代大海とは違って、魁皇は中日で4勝4敗という低空飛行はざらでした。
それでも勝ち越せたのは他の大関に勝てるからでした。魁皇は琴欧洲、日馬富士、琴光喜といった当時の大関との対戦成績はほぼ五分でした。今度こそ危ないと思うことは何度もありましたが、毎回ぎりぎりのところでしのいでいました。
魁皇は福岡県の直方市の出身で、地元の九州場所はいつも人気がありました。5回も優勝しながら、九州場所が一つもないのは彼の残した悔いかもしれません。
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