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阿部勇樹の記憶

2022-09-15 21:34:03 | 浦和レッズ
先日、写真の元浦和MF阿部勇樹さんの引退試合が、11月12日(土)に行われることが発表になっていました。参加メンバーは未定ですが、阿部勇樹と一緒にプレーした選手は多いので、幅広い世代の選手が参加してくれることを期待しています。阿部勇樹は17歳の若さで、当時のジェフ市原でCBのポジションをつかみ、将来有望な選手と言われてきました。

千葉(市原)時代の阿部勇樹の記憶では、当時のイビチャ・オシム監督が最も頼りにした選手という印象が強いです。オシム監督はマンツーマン守備を多用しましたが、相手の最も良い選手に阿部勇樹がマンツーマンで付くのが常でした。浦和も、ゲームメーカーのポンテに阿部勇樹を付けられ、この両者の戦いは当時のJ1での名勝負でした。

そんな阿部勇樹が、2007年シーズンに浦和に移籍加入して味方になるというのは嬉しいニュースでした。当時のオジェック監督は阿部勇樹が持っているユーティリティ性を評価しており、本職のボランチ以外にも、CBや左SBなどで出場した試合もありました。2007年といえばACL初優勝の年でしたが、疲労性の腰痛を抱えながら「痛いだけなら我慢すればいい」と、最後のクラブW杯まで痛みを押して出場してくれました。

日本代表でも、オシム監督、岡田監督の時代に出場しています。印象的だったのは岡田監督時代の2010年南アフリカW杯での活躍です。当時、遠藤保仁、長谷部誠のダブルボランチで守備が持たないと判断した岡田監督が、その後ろにアンカーとして阿部勇樹を置く奇策が当たり、2勝1敗でグループリーグを通過してベスト16に入りました。親善試合で3連敗して暗雲立ち込めた当時の代表の奇跡は、阿部勇樹の起用で守備が安定したのも理由でした。

海外挑戦も、当時イングランド2部だったレスターシティで実現しました。2部だったので映像で彼の姿は見ていないですが、オファーがあるときに一度はやってみたい挑戦だったでしょう。その後、2012年に浦和に復帰し、ミシャのサッカーにボランチとしてキーマンになります。当時のミシャのサッカーはボランチの1枚を最終ラインに下げてアウトサイドを思い切って上げるもので、CBもこなせる阿部勇樹の守備力があったからできた戦術でしょう。

守備のイメージが強い阿部勇樹ですが、上手い選手なのでPKキッカーを任されることも多く、J1得点数では相当数を誇っていました。人間性も良かったようで、今は浦和でユースのコーチをしています。若い選手相手に練習で体を動かしている彼なので、是非とも引退試合では、得意のPKを蹴る姿が見たいと、早くも11月を楽しみにしています。

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