Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

元小結千代大龍引退

2022-12-25 20:51:21 | 他スポーツ
九州場所の場所中に、写真の元小結千代大龍が突然の引退を発表しました。千代大龍は角界に残らないことを決めており、7日目に一方的に押し出される負けを見て、本人なりに情けない負けと感じたようで、「もう限界です」と九重親方(元大関千代大海)に申し出て引退しました。千代大龍は日体大相撲部の出身で、幕下まで本名の「明月院」で取っていました。

相撲は突き押し一本でした。最近は上位相手にはなかなか通用しなくなっていましたが、全盛期はまともに突きを当てることができれば上位相手にも押し出せる力を持っていました。勝つときは圧勝、負けるときは惨敗という、カラーがはっきりしていた力士でした。また、タイミングを見計らって、はたき込みを見せることもありました。

千代大龍は、昔のアニメ漫画「キン肉マン」に似ている風貌も印象的です。キン肉マンの作者、ゆでたまご氏が化粧まわしを贈っていたことも印象的です。体重は200kg近い巨漢ですが、意外にも身のこなしは良く、土俵際での勝負勘の良さも持っていた力士でした。残念ながら、小結に上がっていた場所で勝ち越すことはできませんでしたが、ちょっと前までは上位が定位置でした。

彼も34歳となり、引退後の準備は既に完了していたようで、引退後は「焼き肉店を経営したい」と具体的に語っていました。そういう飲食店で、四股名が入っていると集客にもプラスの効果はあるでしょう。東京の出身で、地元東京で開店するのでしょうが、何か旅番組やグルメ番組あたりで話題になっていることを期待したいです。
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槙野智章、現役引退

2022-12-25 20:01:41 | 浦和レッズ
昨日、写真の元浦和DF槙野智章選手の現役引退が発表になっていました。最後は神戸でプレーしていましたが、浦和で10年間もプレーしていたことで、浦和の選手としての思い出は数知れません。そんな槙野の記憶を書きます。槙野はユース時代からプレーしていた広島でプロ入りします。広島時代はCBで攻撃参加して点を取る当時の日本代表DF闘莉王への憧れを口にしていました。

広島から、ドイツ1部のケルンに移籍して海外挑戦しましたが、ケルンではわずか5試合の出場にとどまる挫折を味わいます。その槙野に、広島時代の恩師だったミシャのつてで、2012年に浦和にレンタルで入団してきました。当時はミシャが就任1年目だったことで戦術の理解者が必要だったチーム事情で、槙野は左のDFとして後ろから上がっていく攻撃で浦和を牽引しました。

この年の最終戦の名古屋戦で、FKを決めて浦和を勝利に導き、3位に入ってACL出場を決めた試合が印象的です。当時、ヒーローインタビューで「世界のDFの3本の指に入るくらいシュート練習をしている」と攻撃力には自信を持っていると豪語していました。ミシャレッズには、既にいた柏木に加えて、のちに李、森脇、西川が加入し、旧広島勢が一時期の浦和を支えていました。

本職の守備でも目立った試合を覚えています。それは2017年のACL準決勝の上海上港(中国)との試合でした。当時、上海のFWフッキに対応するためにビデオを繰り返し見たところ、ドリブルの際にいったんボールから目を切っている癖を見抜き、その瞬間に体を入れる守備でフッキを抑えることができました。これが効いて、浦和は2度目のACL優勝を、ミシャの後を継いだ堀監督のもとで達成します。

また、槙野はプロは名前を覚えてもらってなんぼという独特の哲学を持っていました。ゴールを決めた際は事前にカメラの位置を把握してその方向に向かってパフォーマンスをする、スパイクの色を左右違う色にしてスタンドから目立つという、彼なりの哲学は印象的でした。サポーター的には、それで結果を出しているんだからいいよという記憶です。

槙野はスピードのあるDFなので、現役の最後の方になっても衰えたという印象は感じていませんでしたが、ロドリゲス監督がショルツと組むDFを岩波で固定したので、彼の代わりに若いDFを獲得して成長に賭けるという考えも理解できました。ちょっと早い引退ではありますが、しゃべりの技術も持っており、いろんな方面での活躍を期待しています。
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森友哉、オリックスFA移籍

2022-12-24 20:09:23 | 他スポーツ
11月の後半が忙しい日々だったので今頃ネタにしますが、写真の西武捕手、森友哉がオリックスにFAで移籍しました。オリックスは伏見がFAで日本ハムに移籍しており捕手の即戦力が欲しかったチーム事情があります。また、森自身も、大阪の出身ということで地元でプレーしたかった意思もあったのでしょう。あまり社交的な性格ではないと聞きますが、決めた以上オリックスになじんで欲しいものです。

森の思い出は数知れません。2013年、高校2年生のときに1学年上の藤浪晋太郎(阪神)とバッテリーを組んで春夏の甲子園を連覇した「打てる捕手」として有名でしたが、身長が170cmとプロ選手としては小柄なので外れ1位程度の評価でした。そんな森を、その打力を評価した西武が単独1位で指名してライオンズに入団してきます。

最初は森を捕手として育成する方針で、二軍の試合で可能な限りマスクをかぶらせる育成をしましたが、その打力は既に一軍で使えるレベルでした。森は当時の田辺監督が代打要員として夏場に一軍に呼び、デビュー戦から3試合連続安打をマークするなど将来性を示します。翌2015年が森のブレイクの年になります。指名打者だったメヒアを一塁手に回して、森を指名打者に抜擢したからです。

開幕から驚異的な勢いで本塁打を量産し、一時は30本塁打の期待も集めましたが、本塁打の勢いは失速し17本塁打に終わりました。それでも、交流戦でDHが使えない時期は右翼手も守るなど、この年の森は打力では高い評価を得ていました。もっとも、当時は捕手で起用すると打てなくなるという理由で、マスクをかぶった試合はそれほど多くありませんでした。

マスクをかぶっても打てるようになったのは、辻監督の就任以降です。辻監督は森に100試合捕手で出て欲しい期待を寄せていましたが、それ以上の試合に出場し、捕手として史上4人目になる首位打者のタイトルも取りました。また、走塁でもアグレッシブに次の塁を狙う積極性があり、それほど俊足ではないものの次の塁を陥れた場面もありました。

森といえば、しゃがんで姿勢を低くしたバッティングフォームも印象的です。この体制でフルスイングができるのは、相当の下半身の鍛錬がなせる業でしょう。もっとも、今季は打つ方が不振で、FA宣言するとは思い切ったなという印象もあります。果たして、オリックスで捕手として出場してくるか、敵として映像を見ることを楽しみ?にします。
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アルゼンチン代表の戦術

2022-12-24 17:05:32 | ワールドサッカー
マニアックですが、先日のカタールW杯で優勝したアルゼンチン代表の戦術について書きます。アルゼンチンは伝統的に一人強烈な点取り屋を置いて、それ以外の選手はその「点取り屋」が動かない分をハードワークしてカバーするというチームができていることが多いです。もっとも、メッシはバルセロナでは何度も欧州CLを優勝するなど世界で実績を残していますが、アルゼンチン代表ではバルセロナほどメッシを機能させていないという評価が続いていました。

今回のアルゼンチン代表は、戦術的なオプションを多く持っていたことが評価できます。3-5-2でメッシとアルバレスが2トップを組むこともあれば、4-3-3で中央のメッシをアルバレスとディ・マリアでサイドをサポートすることもあります。この両方の戦術は試合中に変更することもあり、4バックでスタートしてからCBタイプを1枚投入して3バックにして守りを固めるオプションがあります。

また、メッシが守備をしない分は、中盤にいるデパウルとマクアリステルが裏のスペースを埋めています。こういう、「守備の職人」タイプのMFを多く輩出するのもアルゼンチンらしいところで、2010年に埼玉スタジアムで見たときはメッシの裏にマスケラーノを「影」のように張り付かせて埋めていました。マクアリステルは味方のパスに反応して攻撃面でも機能していました。

どうしても、アルゼンチンはハードなプレーが多く出ることから、警告累積による出場停止対策が必要なチームでもあります。そういうときに、3バックと4バックの両方が使えるのは強みで、準決勝で左アウトサイドのアクーニャが出場停止になったタイミングで、戦術を4バックに変更して何事もなかったように機能させることもできていました。

そういうサポートをしても、肝心のメッシが点を取れなければ意味がないですが、メッシはちゃんとこのカタールW杯に合わせて調子を上げており、PK以外でも点を取って得点王こそ逃したものの7ゴールの活躍でした。特に、初戦のサウジアラビア戦を敗れて後がなかった2戦目のメキシコ戦を確実に勝ち切った、メッシのゴールは価値のあるものでした。

メッシの35歳という年齢を考えると、これからは「ポストメッシ」という難しい課題が待っています。果たして、この稀代のストライカーの穴を埋めて連覇を果たすことができるか、アルゼンチンはなかなか映像を手に入れにくいチームではありますが機会があれば見てみたいです。

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玉田圭司の記憶

2022-12-22 23:57:46 | 他チーム
先日の阿部勇樹引退試合で見かけた、柏や名古屋でFWとして活躍した玉田圭司さんの記憶です。玉田はスピード型のFWで、日本代表にはジーコ監督時代によく選ばれていました。玉田と聞いて思い出すのは、2006年ドイツW杯でのブラジル戦での先制ゴールで、当時日本はブラジル相手の勝利のみが決勝トーナメント進出の条件だったこともあって、結果的には1-4で敗れたものの、このゴールで日本中が一時期待しました。

もっとも、当時所属していた柏レイソルはチームの低迷期でした。2004年、J1を2チーム増やすために最下位のみが入れ替え戦出場という楽な条件で、まさかの最下位に終わり、涙に暮れた姿が記憶にあります。入れ替え戦で福岡に勝って辛くも残留したものの、翌年も16位で入れ替え戦に回り、甲府に敗れてJ2降格となり、玉田自身は名古屋に移籍して新たなキャリアを踏み出すことになります。

この名古屋時代が玉田が最も輝いた時期でした。ヨンセンなどのストライカーにアシストするウイングとしても活躍し、通算66得点を挙げる活躍でした。日本代表では72試合16得点と、あまり得点を量産したイメージはないですが、ドイツW杯の後も代表に招集され、4年後の南アフリカW杯でも2試合に出場するなど、のちの岡田武史監督の信頼も得ていました。

名古屋退団後は、当時J2のセレッソ大阪に移籍しました。この当時のセレッソ大阪は、4位でプレーオフ進出は決めていたものの、プレーオフ直前に監督が解任されるという難しいチーム作りが必要な状況でした。このときに、急遽就任した大熊監督が日本人のベテランでチームを編成することにして、結果こそ福岡に敗れて昇格はならなかったものの、玉田はこの急造チームのストライカーだったのは印象的でした。

最後はJ2の長崎でもプレーし、40歳までプレーした長持ちの選手でした。どうしてもライバルチームのFWということで、普段のリーグ戦の印象は柏や名古屋のサポーターには敵いませんが、今でも思い出せる選手として、写真を撮っておいて良かったとは思えました。
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今野泰幸の記憶

2022-12-21 22:42:11 | 他チーム
阿部勇樹引退試合で撮ってきたレジェンドの記憶では、写真の元G大阪DF今野泰幸選手も印象深い選手です。彼は、東北高校では無名の存在で、地元のJFLソニー仙台に進む予定だったところを、岡田武史監督のスカウトでコンサドーレ札幌に入団してプロのキャリアをスタートします。当初、今野は自分の何が評価されてプロになれたかわかっていなかった様子ですが、本人が「やりたいです」とプロ入りを希望して実現しました。

今野はもともとはボランチの選手です。もっとも、華麗なパスで魅せるゲームメーカーではなく、地味に中盤の底に陣取ってこぼれ球を拾うアンカーでした。札幌でもボランチでしたが、J1のFC東京からオファーが届き移籍します。この頃からボランチで代表にも入る存在になりますが、当時は代表ではサブが定位置でした。当時FC東京を率いていた原監督は、代表で出ている選手は休ませる、出ていない選手は使うと明確だが、今野のようなベンチでちょっと出番がある選手は微妙だと使い方を考えていました。

もっとも、当時FC東京ではCBのポジションが課題でした。そのため、原監督はCBでもこなせる今野の守備力を評価してCBで起用する試合もありました。代表入りにはボランチでアピールしたかった今野には悪いことをしたと、原監督は振り返っていましたが、このCBコンバートがのちに生きることになります。それは、DFに攻撃センスを要求するタイプだったザッケローニ監督の就任でした。

攻撃の選手は、代表には一番上手い選手を使うと明確ですが、CBに関しては監督の好みがはっきり出ます。速いタイプが好きだったトルシエ監督は中田浩二を使い、フィジカルが強いタイプが好きだった岡田武史監督は闘莉王を重用しました。ザッケローニの場合は、イタリアという、相手チームが10人で引いてくるサッカーをこじ開ける必要がある文化を反映して、CBに攻撃センスが欲しいという考え方だったようです。

その要求にマッチしたのが今野でした。コンバートしたCBにしては異例の、代表での正CBを務めることになります。ザッケローニ時代は最終予選が比較的楽な通過だったこともあって、具体的な試合は思い出せないですが、吉田麻也と組んで代表のCBを張っていました。もっとも、集大成にするブラジルW杯は1分け2敗で1次リーグで敗退し、その後のハリルホジッチ監督にはあまり呼ばれなくなります。

昨年まではJ2のジュビロ磐田でプレーし、今は地域リーグでプレーします。来年で40歳になる今野もすっかりレジェンドですが、こういう引退試合で元気な姿を見られるのは嬉しいのでネタにしました。
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稲本潤一の記憶

2022-12-20 20:39:03 | 他チーム
先日の阿部勇樹引退試合で写真を撮ることができた、元日本代表ボランチ、稲本潤一さんの記憶です。稲本はガンバ大阪の育成システムから育ったボランチで、17歳でJ1デビューを果たした早熟の天才でした。もっとも、浦和戦では相手ボランチの動きに注目して見ることは少ないので、彼の記憶で大きいのは2002年W杯日韓大会での活躍です。

当時、稲本はU-23のシドニー五輪代表から、A代表に昇格してきました。シドニー五輪代表をトルシエ監督が指揮していたことで、トルシエ監督の独特な戦術を消化する時間があり、3バックでラインを高く保ってオフサイドも時には取りに行く強気な戦いの肝でした。当時の日本代表では、相方の戸田に守備的な役割を託して、思い切って上がっていく動きを得意にしていました。

その役割がうまくはまったのが、このときのW杯でした。稲本は相手ベルギーが警戒していなかった隙をうまく突いて、自陣から上がってゴールを決め、日本代表の勝ち点1に貢献すると、続くロシア戦でもチームを勝利に導くゴールを決めました。当時はまだ珍しかった「海外組」で、G大阪からイングランドのアーセナルに移籍したのがこの頃でした。

もっとも、稲本の全盛期は長くありませんでした。トルシエ監督の後を継いだジーコ監督は、最初の頃は「黄金の4人」と言って中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本の同時起用を狙っていましたが、次第に中田英寿をボランチで起用するようになり、稲本は日本代表での地位を失うことになります。クラブでもフルハム(イングランド)時代は活躍しましたが、フランクフルト、ガラタサライ(トルコ)など少しずつ力の落ちるクラブに移籍していきます。

それでも、昨年までJ3(昨年はJ2)のFC相模原でプレーするなど、息の長い選手でした。本人が現役に対して強いこだわりがあったのでしょう。日本代表でのW杯が一度きりだった悔しさもあったのでしょう。今でも、下部リーグではプレーしており、阿部勇樹引退試合でも動けていました。彼の写真を見て、ベルギー戦での懐かしい記憶が戻ってきたので、ネタにしました。
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アルゼンチン対フランス後半

2022-12-20 17:34:45 | ワールドサッカー
W杯決勝戦、アルゼンチン対フランスの続きです。後半も、ゲームとしてはアルゼンチンが主導権を握っていました。フランスはこのままではジリ貧と見て、ここまでゲームメーカーとして君臨していたグリーズマンを下げて、右MFのコマンを投入して、右からコマン、エムバペ、コロ・ムアニ、チュラムの4枚をFW気味に組み替えてきました。中盤が強いアルゼンチンの真ん中を飛ばして、ロングボールでサイドのFWを走らせるプランへの変更です。

この変更が当たりました。あれほど押し気味だったアルゼンチンが、DFオタメンディがスピードで抜け出したコロ・ムアニを倒したファウルでPKを献上して流れが変わりかけます。このPKはエムバペが蹴り、GKが届かないところに強い弾道で押し込んで、1-2とフランスが追い上げます。それでも、残り10分で1点リードならアルゼンチンの逃げ切りを多くのファンは想定したでしょう。

しかし、スーパープレーが出ます。エムバペが頭で落としてからのワンツーでDFライン裏に抜け出したプレーから、滑り込みながらボレーで合わせるという驚異的なプレーが出て、フランスは同点に追いつきます。アルゼンチンとしては左FWのディ・マリアを下げてMFタイプのアクーニャを投入して、逃げ切り態勢に入っていたところでの連続失点は痛い誤算だったでしょう。

試合は延長戦に入り、残っている交代枠の使い方に両チームの戦略が出ました。フランスはラビオを下げてくると、アルゼンチンはFWにラウタロ・マルティネスを投入してきます。このLマルティネスがゲームを動かします。Lマルティネスのシュートから、こぼれ球をメッシが押し込んで、アルゼンチンに3点目が入ります。試合はこのままでは終わらず、エムバペのシュートをモンティエルがハンドしてPKになり、これをエムバペが決めて同点に追いつきます。

ここでPK戦を想定したアルゼンチンの交代策が当たります。左SBのタグリアフィコを下げてFWのディバラを入れるという、時間のある展開なら無謀とも思われるような手ですが、早めに交代カードを切って余裕がなかったフランスはその手が打てず、PK戦に入ってから消耗していたチュアメニが3人目で蹴らざるを得なかったことが、アルゼンチン勝利の遠因になりました。

PK戦での勝負はハンドしていたモンティエルが4人目で確実に決めて、アルゼンチンが勝利しました。両チームとも策を打ち合った好ゲームでしたが、最後は交代枠の余裕が、勝負を紙一重のところで分けたと、映像で見た限りではそれが要因と感じました。
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アルゼンチン対フランス前半

2022-12-19 20:01:20 | ワールドサッカー
今朝のW杯決勝戦、アルゼンチン対フランスのゲームレポートです。アルゼンチンは準決勝まで出番が少なかった、ベテランのディ・マリアをスタメンで起用してきました。このディ・マリアをどのポジションで起用してくるかは、マスコミも予想が難しい様子でしたが、3トップの左でした。メッシを右FWに置く、右が張り出す非対称気味の3トップです。

この布陣はフランスサイドは予想していなかったようです。ディ・マリアが左サイドを駆け上がってくるプレーに、フランスは対応が後手に回り、なかなかFWにボールを入れられない展開です。特に、エムバペに対してはアルゼンチンは独自の対策を考えており、アルゼンチンはDF陣のスピードに自信があるから抜かれないという安定感を見せてきました。

もちろん、4-3-3のフランスは、アンカーのチュアメニを置いて、サイドをラビオとグリーズマンがカバーして、中央に厚みを増すことができます。その厚みに対しては、メッシが下がってゲームメーカーの役割をすることで対応しており、メッシの出すパスに右SBのモリーナが反応することでスピード感を出す攻めができていました。

この展開になればアルゼンチンに先制点が入るのは必然でした。左サイドをディ・マリアが仕掛けたプレーに対し、フランスの右FWデンベレが後ろから足を引っかけたという判定になってアルゼンチンにPKが与えられます。PKを得れば一番上手いメッシが蹴るのは当然で、GKロリスを逆方向に飛ばせておいて時間差で蹴る、絶妙なテクニックを見せてアルゼンチンに先制点が入ります。

アルゼンチンは2点目も素早く得られました。中盤に下がっていたメッシが、利き足の左のアウトサイドでのパスでした。これでモリーナが抜け出し、マクアリステルがフリーで独走すると、確実に逆サイドのディ・マリアにつないで、アルゼンチンは2点目を得ます。1ゴール1PK奪取となればディ・マリアはスカローニ監督の起用に十分応えた格好です。

前半はアルゼンチンのペースが続き、手詰まりと見たフランスのデシャン監督は、FWのデンベレとジルーを下げて、コロ・ムアニとチュラムを入れて思い切って流れを変えに行きます。前にボールが入らないなら、自力で走れる二人に独力で打開してもらおうという手でした。

後半以降については、明日以降に補足しようと思います。
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誕生日&ブログ開設6000日

2022-12-19 16:55:17 | 雑記
今日はkobbyの?回目の誕生日です。また、明日は当ブログ開設6000日の節目ということで、まとめてネタにします。今年はサッカーのW杯の年ということで、W杯ネタで使える写真を得ようとして、6月の日本代表ブラジル戦と、7月の浦和対パリ・サンジェルマンの両方とも生観戦できました。結果的に、パリ・サンジェルマン戦に来ていたメッシとエムバペが決勝戦で対戦したので、予想以上の成果でした。

また、今年は心に何となく引っかかっていた「やりたいこと」ができた年でした。5月の丹沢大山登山は、自分自身の体力の衰えを痛感することになりましたが、1200mの標高に立ち、本気で登山に復帰するにはそれなりの準備が必要と感じました。10月の清里旅行では、清泉寮カレーを食べて吐竜の滝を見て、高原のリゾート地の秋の風景を堪能してきました。

花の写真もいろんな写真を撮れました。森林公園や昭和記念公園に咲く、季節の花をいろいろ撮って来られました。節分草、カタクリ、オニバス、ツリフネソウなどは初めて本物を見ることができました。今はインターネット時代なので、どの花が今が見頃という情報は得られるので、思い切って行くという気持ちがあれば撮ることができます。

マラソンは残念ながら復活できませんでしたが、それでもこれまでの貯金もあって、森林公園や昭和記念公園で7キロの道を、園内バスに頼らずに歩き切ることは自分自身の誇りとして持っています。今年でだいぶ、心に引っかかっていたことはクリアできましたが、まだまだやりたいことは無限に湧いて出るので、それが少しでも叶えばいいですし、叶わないとしてもできるだけのことができればと思います。

トップの写真は、1月に撮ってきた、袋田の滝が凍っている「氷瀑」です。これを見るのは、20年ぶりくらいでした。旅がしたいという自分の夢が実現したこの写真は、自分自身がまだまだ元気だと感じる一つの材料です。関東近郊の近場で行きたいところはある程度行けましたが、今は整備新幹線のおかげで遠い場所に日帰りや一泊で行くことが可能になり、夢はまだまだ膨らみます。

来年はどういう年になるか、自分にとっては希望しかありません。このブログに載せたいというのも旅のモチベーションなので、来年もここに写真が載っていれば、「kobbyの奴元気だな」と思えることでしょう。来年も、文章と写真で、記事を書ければと思います。
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