東西に長い 岡城
城内に入る4つある門の 東端の櫓台
搦手門となり 城下町とは 反対側になる
これだけの門があるということは
麓に下りる道があり 行き来していた
道沿いに家来の住む家や田畑があった
武家屋敷があったということでしょう
日当たりも 風当たりも 良い方ではなく
やや 陰気な雰囲気を感じる
それもあってか 400年物 櫓台は
異様な感じも 若干する
人気も少ないし…
往時 周辺の木は 建物に使われて
見渡せるよう 開けていたのだろう
この辺りは かなりの急坂で 立ち止まるのも
自然に片足を 踏ん張る態勢になる
櫓台から続く 道沿いの石垣
石垣の向こうは すぐ 谷なので
防御用ではなく 安全のためだろう
ガードレールみたいな
ここには カマボコ石 は なかったようだ
反対側 も 石垣の向こうは 谷
少し下りた所から 下原門 見てみよう
谷側に 積み上げられた
誰が見ても 難攻な石垣
食違い虎口
地形をうまく利用した 虎口
櫓台2つが 同じ側にあるように見える
普通だと 互い違いなのだが
両側が 谷なので 正面になる石垣の
食違い度が 少なくなったということ
なるほど これが 外枡形 ね
すごく ムードある 門前
かなり 大きな規模
かっこいいな~
はやく 補修跡が 馴染んでくれるといいな~
というかね よく 補修予算 組めたよね
元々の角も 見てみたかったな~
ネットに 画像 あるかな~
崩れる危険があるから 補修したって事かな
奥は 見えない
って そもそも ここに 門があった
ん?
ここの説明板を読んで 自分は 誤解してたことに気付く
大手門にあった説明板には
藤堂高虎のアドバイスで 現大手門に移した
とあった
てっきり 古大手門を 現大手門に…
そう思っていた
ここでは 加藤清正が 現大手門に とある
どちらが 先か後かは わからないが
2人に 言われたら 疑いの余地はない
古大手門 は 規模が小さいし
大手前 大手道が 残っていない
なんだか ? 思っていた
ここ 下原門が 正門だった ということですか
城下町も こちら側だった…
規模が大きいのも頷ける
現大手門以前は
下原門が 正門だとしたら
近戸門が 搦手門だった?
古大手門は 下原門以前の
滑瀬坂から上がった 最初の門
古大手坂 ということやね
島津軍が攻めて来た時は
古大手門だけしかなかった
ということか…
そ~やな~
現大手門は 戦国の門と ちがうな~
ちょっと わかったところで…
ちょっと もみじ撮り
門の上から 斜めに 陽が射してるので
もみじの 下から 通り抜けてくる感じ狙って
石垣は 良いのですが
左の 木が 邪魔かな
これで どや!
PM 14:42
朝夕 斜光になると おもしろいのが 撮れる
ことがある
露出飛ばし過ぎたので
もうちょっと 絞って
フレア と ハレーション 入れたった
だから なんやねん!
ここで スクワット
光が 通過する角度を 立ったり座ったりして探す
露出とアングルを決めて 息を止めて風を待つ…
ぷはぁ~~ 死ぬところやった
こういう時には 風吹かん
あきらめて 一歩動くと 吹く
虎口 上がります
下原門 東端 櫓台
いい門でした
そろそろ 大手門に 戻ることにします
御廟前の通路
西日射す 秋って感じ
山の上は 日没が遅い
あら ボケた
まあ いいや
紅葉のトンネル
春は
桜木花道
あ 立ち止まった そーそー
そう 気にせんでも 大丈夫ですよ
せっかくなんで
昔の 写真風に してみた
写ってる人も 撮ってる人も
昔の人なんで…
いや~ 西日が きれい
ナイスタイミングの 逆光具合
振り向いて 見上げると
順光
と よそ見を してたら
横矢
1本か…
ヒューヒューヒュー
バババババッ
蜘蛛巣城 ラストシーン 凄かったね
矢をかけられたことないんだけど
飛んでくるとき 音がするんやろか?
紅葉のトンネルも素晴らしい。
蜘蛛の巣城の件、あの弓矢怖いです。
三船さんも怒ったとか(笑)
そりゃそうか。
なのに、午前十時で見逃してしまったのですよ…クヤシイ
実際に矢を射ったんでしたよね?
最初、逆回転かと思ったり、糸が張ってあるとか思ったのですが…
こういう時代だったのですよね~
セットの門もすごかった!