槻門前
折り返しの 下 左へ折れたところが 大手門
左の石垣の上に 塀がある
ここは 多聞櫓 門櫓 があって 向こうも 多聞櫓
だったと思います
ここに 門櫓
坂虎口
セオリー通りです
門を突破しても 360° 狙われて
横矢 前矢 後矢
大手門に 行く前に 西側に 石垣が続いてます
行ってみます
下の方は 元の石垣のようです ⇧
この辺は 新しい石が積まれてます
⇧
井戸
ちょっと どう理解すればいいのか
戸惑う 井戸周りの 石垣
さらに 進むと
鉄門
くろがねもん
ここも 門櫓 があって
両側に 多聞櫓 あったにちがいない
石段は 無くて
門を通ったら 歩きにくい坂
だったはず
鉄門 西側
拡張してますね
鉄門を造るのに 間口を狭めるため?
同時に 鉄門傍を強固にするため?
さらに 西側
櫓台ですね
築城 当初の 石積みでしょう
荒っぽい まさに 小倉っぽい
なかなか いい!
反対側
こちらも 荒っぽい
粗さとは ちょっとちがう?
この日は 春分の日 前々日だったから
西日が ほぼ 真西ということだ
西の口門
ここが 搦手門
からめてもん
になるのだが…
当初は ここが 大手門だったらしい
堀を土橋で渡っての門なので
搦手
というのは 思わなかった
多聞口門方面の 堀西面の 西口門より 北側
多聞口側から 撮った 反対側からだ
本丸 堀の石垣は 丁寧に積まれてる
野面積みだが 面がきれいに揃っている
反対側の 南側 見てみましょ
本丸石垣 ⇩
こちらも 比較的大きさが揃った石で
丁寧に積まれている
高度な野面積み って感じ
ここから 打込み接ぎになっていくのかな?
というのも
ここに 松本清張記念館がある
新しい 石段がつけられている
雰囲気を壊さない工夫がされている
⇩
こっちも もともとは 水堀だったのでしょう
すばらしい
除草も行き届いている
除草も行き届いている
で 門の角石は 荒っぽい
さて
大手門へ 行くことにします
逆ルートに なってしまいました
玄海育ち=荒っぽい
勝手に思いました。
当時の技術の最高峰だと思うと、全然分からないものです(´・ω・`)